ピケッティ 「21世紀の資本論」

Capital in the Twenty-First Century

Capital in the Twenty-First Century

 
書籍の紹介をどうやってするのが適当なのかというのはなかなか難しい問題。
今回の書籍のテーマは「21世紀の資本論」という名の下に、国と国の間や
個人と個人の間の資産格差、所得格差を扱っている。
かなり人の感情を逆撫でするデリケートな問題なので扱い方を間違えると大変な
ことになりそうな政治的な問題。ここまでpoliticalなものをこのブログで扱ったことは
あまりなかったかもしれない。
この書籍を紹介している他のブログ
ピケティ『21世紀の資本論』はなぜ論争を呼んでいるのか | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト
↑のブログが本書の中身を一番、丁寧に紹介しているのではないかと思います。

そもそもこの本を、突貫工事で翻訳することになった人のブログ
山形浩生の「経済のトリセツ」
↑日本で出版される運びになったら一番、渦中になる人ということで、すこしカオスな感じで
紹介されている。ピケティの本を実際は読んでいないのに、いろいろと発言したり、書こうとしたり
する人がいるらしく、そういう人たちについて「ちゃんと読んでから書いて!」というメッセージを
送っている。

放送局出身のエコノミスト
池田信夫 blog : 21世紀の資本論
ガチで経済学をやり込んだようなので、いろいろと専門的な突っ込んだ考察が書いてあると思います。

ピケティの本は世界的な論争を呼び起こしている。タレブの『ブラック・スワン』以来だろう。特にクルーグマンは、NYRBに長文の書評を寄せて絶賛している。ピケティの最大の強みは、15年かけて最近300年の各国の税務資料を収集し、富の分配とその内訳について包括的な統計をつくったことだ

NHKでの紹介
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_1017.html
なんといっても、マスコミの強みを活かして、ピケティ本人に対するインタビューに成功している。

「21世紀の資本論」で伝えたかったことは何ですか?

ピケティ教授:
欧米や日本などでは、暮らしは楽にならないのに、金持ちばかりがいい思いをしていると感じている人が増えています。多くの人が今の資本主義の姿に疑問を持つようになっているのです。 私は、誰のもとにお金が集まってきたのか、歴史をさかのぼって明らかにしたいと思ってきました。所得税制度が作られたのは、フランスなど欧州各国やアメリカでは1900年前後です。日本ではもう少し早く始まりましたね。相続や資産に関するデータについては、イギリスやフランスでは18世紀にまでさかのぼることができます。無味乾燥なデータが、実は、私たちの暮らしそのものを表しています。

この本の筆者が、自前で運営しているホームページには
この本に挿入されているグラフをつくるためのデータがexcelファイル形式で
アップされていて、だれでもアクセスができる。↓がそこへのリンクになっている。
Thomas Piketty - capital21cen

本文は およそ19万ワード。
注釈の部分は加算していない。
本の作りからして少し変わっているなと思いました。
普通、学術っぽい書籍は本文と脚注にわかれます。私が法学部に在籍しているときに購入した法学系の教科書なんかも
その典型でした。
本書もそのスタイルを踏襲しているのですが、その脚注の部分が2階建てになっている。
とある統計データを、本文に掲載する。
そのデータについて脚注でコメントをつける。
そのデータや図表を作るときにどういう計算方法を用いたのかといったことをさらにウェブサイトでアップしている「技術的補遺」(山形訳)。
本書の中で少ししか出てこないジニ係数なんかも、この「補遺」の中では、係数の考え方から具体的な計算方法まで丁寧に書かれている。
また、本書の中で大事なデータは、そもそもそういうデータを誰が、どうやって作ったのかとか。
それに関連する論文は何かとか、本文の脚注に掲載することすら躊躇するようなマニアックな事項をすべて「補遺」にまとめている。
だから、本書をガチで読もうと思ったら、本文を読んで、脚注に飛んで、さらに、「技術的補遺」にジャンプする必要がある。
ネットにつなぎやすい端末が近くにあったほうがいいと思う。
バルザックの「ゴリオ爺さん」という文学作品が頻繁に引用されるけど、本書では、随所に様々な映画や文学作品の引用や紹介が
テーマにそってなされます。その引用されている作品の概要をすこしネットで見るだけでも、面白い発見(「息抜き?」)が
あると思います。下記は訳者によるバルザックの紹介があります。

バルザック『ゴリオ爺さん』:さすが元祖大衆小説。おもしろい! - 山形浩生の「経済のトリセツ」

筆者のピケッティは、MITで教鞭をとっていたこともある、フランス人のエコノミスト
こつこつとフランスで、税務署に蓄積されたデータを丁寧に調べ上げることで本書のもとになる研究成果を生んだということで
やはり、この書籍の中でも、フランスについての所得分布の推移についての記述は、群を抜いて優れていると思います。
私が、学生だったときに、「フランス法」の講義をうけたことがあります。
単位をとれたかどうか、すこし自信がないのですが。そのとき、教授がいったことが印象的。
「フランスの民法が、革命後に生まれたというのは、「もうこれで争いは終わりだ」ということだったんですよ。」。
こういうことの意味は、もっと大人になって財産の重要性を思い知らないと、ピンと来ない。
フランス革命があってから、民法典の整備が進む。不動産まわりの法整備が進む。そして政府による課税のために
誰が、どの土地をもっているのかといったことや、誰と誰の間で不動産の取引があったのかといったことが200年以上にわたって
きっちり記録になって残っていた。所得税という制度も、フランスが先駆けて、採用したらしい。だから、個人が税務署に申告するときの
書類なんかも残っている。
税務署に残っている申告に関する資料を使って所得分布を時系列で推移を追えるようにするという方法論はクズネッツという経済学者が
先駆けてやったそうだ。クズネッツはどういう研究者だったのでしょうか?
wikipedia

クズネッツは計量経済学に大きな変革をもたらし、ケインジアンのマクロ経済理論の発展に大きく寄与した。
クズネッツは1930年に刊行された『Secular Movements in Production and Prices(生産と価格の趨勢)』の中で、アメリカ合衆国の経済時系列データに15年から20年の周期的変動があることを示した(現在、クズネッツ循環として知られている)。
1941年に刊行された『National Income and Its Composition(国民所得とその構成)』や1971年に刊行された『Economic Growth of Nations: Total Output and Production Struct(諸国民の経済成長:総生産高と産業構造)』など、経済成長に関する一連の著書は、クズネッツの業績を知る上で最も重要な作品である。これらの本の中でクズネッツは、経済成長に伴い所得格差が増加するのに対し、先進国では経済成長に伴い所得格差が減少することを示した。
クズネッツはこの他にも、世界各国の国民総生産やその構成要素の統計学的な分析を通じて、長期波動や産業構造の変化法則、平均貯蓄性向の長期的安定性、所得分配の平等度に関する逆U字型変動(逆U字仮説)など、多くの規則性を発見した。
これらの「経済および社会の成長に関する構造および過程を深く洞察するための経済成長に関する理論を実証的手法を用いて構築した功績」が称えられ、1971年にクズネッツはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞した。

という人でした。
ただ、筆者(ピケッティ)にとって残念だったのは、この方法論が「アメリカだけ」「期間が短い」
という問題を抱えていたということ。
アメリカ合衆国は、建国当初から、その発展期、そして現在と、国情を比較したとき、人口増加が激しすぎるなど、他の国と
発展のパターンが違いすぎる面がある。
クズネッツが統計をとった期間だけをみると、たしかに、資産や所得の格差は減少していたそうな。クズネッツはここから
現代資本主義は、勃興機は資産格差を拡大させるけど、だんだんその格差を減少させる傾向があるという結論を出す。
それはそのまま政府の経済政策に対する方向付けを与えてしまう。
ピケッティは、クズネッツがとった統計の期間の「前」と「後ろ」を詳細に、共同研究の手法で作り上げた。
そして、その「前」と「後ろ」では、資産格差が拡大している場合のほうが常態なんだということを明らかにした。

こういった統計学をフル活用する地味な実証研究の成果を延々とpart3まで書き上げて、part4になって
今までに明らかにした事実から、実践的な結論、提案を出します。

資産課税を、世界の税務当局が協力しながら行うということ。
世界のどこで、誰が(どの銀行が)、どれだけの資産をもっているのか。
この情報を、世界中の政府は共有しろと。

そうしないと、実効的な徴税が出来なくなっているのだと。
この徴税が出来なくなると、「社会国家」の運営に必要な財源の確保が出来なくなるのだと。

英米流の経済学もガチで取り込んだ筆者は、自分の祖国が生み出した人文科学の成果もおおいに活用して
優れた研究書を世に送り出そうと努力しました。
ピケッティいわく、自分が世に送り出す書物は、「歴史学」の書物としても評価して欲しいとのこと。では
フランスの歴史学の流れとはどういうものなのかというと。これもwikipediaからはりつけしますが。
wikipediaから。

フェーヴルの歴史学の特色[編集]
文献史料主義への批判:
ランケにより確立された、政治史・外交史を文献に基づき厳密に再現する歴史学(「歴史は文献で作られる」)を無味蒙昧な方法(「生命を欠いたオウム返しの歴史」)と批判。統計学、地理学、経済学等を取り入れた社会学的手法を取り入れ、文献史料の意義を問い直し、「生きた歴史学」を主張した。また、古文書等の文献史料のみならず、詩・絵画・戯曲・考古学的史料なども、広義において史料と位置づけられることを強調した。
学際性の提唱:
農業史、技術史、出版史などのテーマ史において、周辺領域の学問との連携が必要であると主張した。経済史においては政治史のみならず、貨幣価値の変遷を重視し、統計学的手法を取り入れた。上記のように絵画・文学を史料として用いる場合は芸術学・心理学・文学の手法を用いるなど、テーマに応じ他の学問の手法を柔軟に援用し、対象となる時代の「心性」を包括的に位置づけるよう主張した。
テーマ史・問題史の提唱:
自己の問題意識から出発し、様々な史料から得られた仮説を組み立てつつ、対象のテーマを掘り下げて再構成する、テーマ史または問題史を提唱した。この姿勢は19世紀のランケが、ドイツ統一ナショナリズムの気運の影響下で政治史・外交史・戦争史的側面の強い研究を行っていたのと対照的である。フェーヴルは、2つの大戦を経て、人間の心性の進化や歴史でのその描かれ方に強い疑念を抱いていた。そのため、歴史を「人間を対象とする学問」と定義づけ、歴史家の役割を問題提起を行うことであると規定した。

たしかに、本書の構成の根本を規定するようなことが書かれているような気がします。

下記には、本書の全体の概要を書きました。
本書はとても長い書物なので筆者もそれを意識して随所に、コンパクトに全体像が見渡せるようなまとめが付記しています。
本エントリの筆者もそれを利用させてもらいます。

part1 資本と所得
chapter1
国民所得 資本 資本を所得で割った値 について定義する。
所得と、産出が世界レベルでどういう推移をとったかを示す。

chapter2
産業革命以来の人口増加率と産出の推移をみる。

part2 資本を所得で割った値の変化
chapter3
資本を構成する要素が変化していくことを確認する。18世紀からの変化。
サンプルはイギリスとフランス。 なぜなら資料が豊富にあったから。
ピケッティは言うには、寓話である文学作品だって、当時の時代背景をとても克明に記していることがあるのだということです。
こういう経済学的な興味をきっかけに英語やフランス語の「多読」をするのもいいかもしれません。

かの有名な「レミズ」 私がニューヨークで唯一みたことのあるミュージカル

1815年10月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、2本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スー[1]を結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。

オリヴァー・ツイスト
主人公。養育院で生まれ、すぐに母親が死亡。純粋な心を持った孤児。常に感謝の心を忘れることなく生きる。9歳のころ移された救貧院を抜け出しロンドンへ逃亡するが、フェイギン率いる窃盗団に捕まる。その後、紆余曲折を経て紳士のブラウンロー氏の元で幸せな生活を送る。その出生には大きな秘密があった。

chapter4
chapter3で行った分析をアメリカとドイツに対して行う。
映画「タイタニック」とか登場させてしまうところが、憎い。

chapter5 chapter6
これまでに行った分析の対象範囲を全世界に広げる。そして、資本を所得で割った値が、今後どのように
推移するかの予測をする。さらに、所得の中で、労働によって得られる所得と、資本からの収益で得られる所得の
割合の変化の推移もみる。

part3 不平等の構造
chapter7
労働からの所得が、どのように分布しているか示す。
資本から得られる所得がどのように分布しているかを示す。

chapter8
労働からの所得と、資本から得られる所得を合算した所得がどのように分布しているかを示す。

バルザックの描く世界と対極にある、資産形成に対する価値判断。
勤勉さ、優秀さに基づいて、経済的な勝者と敗者が決定されるべきという世界観が、放映されているドラマにも反映されているのではないのかということ。

診断医としての評価は高いが一匹狼で捻くれ者のハウスとそのチームが、他の医師が解明出来なかった病の原因をそれぞれ専門分野の能力や個性を生かして突き止めていく姿を描く医療ドラマ。

chapter9 chapter10
筆者がデータベースをもっている範囲で、chapter7 chapter8で行った分析の対象範囲を他の国にも拡大して
分布表を作る。

chapter11
先代から相続する遺産と評価される財産が、歴史的にどのようにその重要性を変化させたのかをみる。
(旧世界のヨーロッパは、開発され尽くしているので、成長がみこめない。すると先代からの蓄積をもっている人が
財産の多寡で優位になる。草創期のアメリカは、そもそもみんな移民なので蓄積された財産をもっていない。というような要素を
勘案する。)
意外(?)にもタランティーノの映画も登場

wikipedia

The story is set in early winter and then spring, during the antebellum era of the Deep South with preliminary scenes taking place in Old West Texas. The film follows an African-American slave, Django (Foxx), and an English-speaking, German bounty hunter posing as a traveling dentist (Waltz), named Dr. Schultz. In exchange for helping Schultz collect a large bounty on three outlaws (hiding-in-plain-sight in the south, working in the slave trade) that he has never seen – but Django has, while being trafficked – Schultz buys and then promises to free Django after they catch the outlaws the following spring. Schultz subsequently promises to teach Django bounty hunting, and split the bounties with him, if Django assists him in hunting down other outlaws throughout the winter. Django agrees – on the condition that they also locate and free his long-lost wife (Washington) from her cruel plantation owner (DiCaprio).

chapter12
21世紀の前半において、全世界的な規模では富がどのように分布することになるのかを予測する。

part4 21世紀の資本を統制する方法

chapter13
社会保障制度を充実させている「社会国家」という国家の運営スタイルを財源の観点から考察する。

chapter14
累進課税としての所得税がどういう成り立ちをもっているかを解説する。過去の歴史から現在の徴税の問題まで概観。
マルサの女

chapter15
資本に対する累進課税を、21世紀にどのように実現するかについての構想。
欧州における資産課税の例。中国において実施されている資本の統制のシステム、アメリカにおける移民法制などに
ついての考察が加わる。

chapter16
国家が債務者になる借金 public debtについての考察。

結論部分 941P以降
1) 18世紀から、(主に欧州を対象として)、財産の分布と、所得の分布がどのように
推移してきたのかを、概観した。その推移の考察の結果、(21世紀の経済政策の構築のために、)どのような教訓が引き出されるのかを、精査した。

2) 本書で網羅したデータは、もちろん完璧ではないので、今後も批判・検討にさらされるべきだ。政治的な対立がありえたり、民主制の根本に関わったり、公に関わる議論をすることの重要性がこれから、すたれることには反対。社会科学の研究は、その研究結果が数学的な合理性に沿っているかどうかに腐心するだけなのにも反対。

3)私有財産制度が保障されているもとで、自由市場のルールで競争する社会には、
その社会の構成員の資産の格差を縮小させる要因(主に教育の普及)と、拡大させる要因の
双方がある。(格差の拡大を長い間放置すると、社会正義とは何かについての合意が、その社会の構成員の間で得ることが出来なくなってきて、その社会の民主制に基づく運営が出来なくなってくる。)

4)(社会構成員同士または、国家と国家の間の)資産の格差がなぜ、長期的には拡大していくのか。その根本的な理由は、資産運用(Capitalによる所得)による収入のほうが、勤労(国民所得)による収入よりも、成長率という点で、歴史的な事実として、常に上だったことによる。
5)とある事業家が成功して財産をつくったとする。その人はその財産を証券会社に任せて、
お金が働くことによる収入だけで生きる人になっていく。そういう人の収入は、自分の労働力しか、収入を手に入れることが出来ない人よりも、多くなっていって、結局、資産格差がどんどん大きくなるということ。
6)資本の成長率(r)と、所得の成長率(g)にギャップがあることによる資産格差拡大の効果は、長期的にみて、大きな影響を及ぼす。
7)資本の成長スピードと、所得の成長スピードに差があることが問題なら、そのギャップがなくなれば問題は解決するが、ことはそう単純ではない。そもそも、所得の成長スピードを、資本の成長スピードにまで引き上げるということは、戦後の復興期にある欧州とか、現代のアジア諸国(中国)の急成長みたいな特殊な期間、地域しか実現されない。
8)資本の成長スピードが、所得の成長スピードを上回るという傾向は、19世紀や、20世紀の初頭のように、我々が生きている21世紀初頭の資産や所得の分布の推移の方向を規定するだろう。資産格差の縮小は、歴史的にみて、第2次大戦のような大きな変動によってのみ実現された特殊なこと。

 32年の東京大学 前期試験 物理

難関の国公立大医学部だが、医師不足解消のために07年の7625人から9061人に定員が増えており、間口は広がっている。

代ゼミの閉校から感じる「ビジネスと自然界の共通点」

予備校ビジネスは、その後環境が大きく変わり、時代の変化に対応できなかったのが、代ゼミの衰退につながったと新聞記事では解説されています。

環境変化とは、大学入試の現役志向、国立理科系志向、そして個別学習志向の3つです。

大学進学を考えるにあたって|大学入試の基礎知識|Kei-Net

 下のグラフは18歳人口とその年の大学志願者数の推移をみたものです。18歳人口は、1990年代の前半には200万人を超えていました。その後、少子化が進み18歳人口は減少を続け、2014年には118万人にまで減少します。ピークであった1992年と比較すると、4割以上の減少となります。
 一方の大学志願者数をみると、1992年には92万人から、2014年には66万人とこちらも減少しています。しかし、減少率は3割未満にとどまっており、「18歳人口の減少ほど大学志願者は減っていない」といえます。これは、かつてと比べると高校卒業後に大学進学を志望する人の割合が高まっているためです。
 「少子化」「大学全入時代」といった言葉をよく耳にすることから、毎年のように受験生が大きく減っているようなイメージがあるかもしれません。しかし、大学志願者数は2006年に70万人を割って以降は60万人台後半で推移しています。先行するイメージほど大学志願者数は大きく変わっていません。

そこから「逃げだす」ことは誰にでもできることさ
あきらめという名の傘じゃ雨はしのげない

何もかもが知らないうちに
形を変えてしまう前に

東大の物理25カ年[第4版] (難関校過去問シリーズ)

東大の物理25カ年[第4版] (難関校過去問シリーズ)

2013年の夏休み期間に相当する時間は、授業の合間、合間にひたすら「難系統の問題とその解き方」という問題集を
ひたすらに解いていたのが、今となっては懐かしい思い出。
118問のうち、まともに太刀打ちできたのがあまりなかったので、打ちのめされました。
それから、「ではセンター試験だったら、どうやねん」と思って、ひたすらにセンター試験の過去入試問題に没頭。
これがまたえらい苦戦をすることになる。
思ったように、高得点がとれない。代ゼミ駿台、河合、,Z会、すべての模擬試験も徹底的にやり込んだけど、
やはり、解答に窮することが多かった。
そして、結局、去年の夏休みから今年の夏休みにかけてまた物理だらけの時間を過ごすことになってしまった。
そして、2014年の夏休みは、「難問題の系統」の代わりに、「東京大学の物理 25年」という赤本のスピンオフを徹底的に
やり込むことにしました。なんだかんだいって、こちらの大学がどういう問題を出してくるのかということが
大学受験物理のある程度の方向を決めてきたんだろうという気がしたものですから。
真摯な予備校の先生ほど、「試験本番では初出」の問題を相手にしないといけないということをよくネットでも公言されています。
だったら、「典型問題の解法暗記」には最初から限界があるのではないかというのが凡人、元文系受験生は思うです。
大学受験というのは、あくまで「受験レベル」にとどまり、「パターンにも限りがあり」、よって生まれ持った頭の善し悪しに関係なく
結果を出すことが出来るということが「物理」という科目でも成り立つのかという、「基本的な問題意識」があります。
この問題への答えを検証するために、ひたすらに、スタンダードや問題を解きまくり、解法を暗記して、演習に備えました。
私なりに、得た、今のところの結論は、
「やはり、生まれもって、物理に向いている人はいるのだろうけど。それでも、受験物理にはある程度のパターンがあるので、努力であがる余地が
ないではない。」
という、白黒があまりはっきりしない、歯切れのわるいものになりました。
東京大学の問題。約95問を1日2問のペースでチェックしていきましたが、やはり「同じような問題が繰り返し出題される」というような
ことはなかったように思われます。それどころが、やはり積極的にオリジナルな問題を作っていこうという意欲があるように思いました。
これだけ事前準備で、あらゆる典型問題をやり込んでも、この夏休みの間、ひたすら「どうやったら方程式がたてるのか?」
で苦悩することになったのですから、やはり東大物理半端ではありません。
すべての設問において、正しい数値を導けたのはたったの1問。調子がよくて、8割くらいのできが2、3問。残りは大体、半分から6割くらいの
できだったように思います。(1160文字)

力学
このブログのエントリーでは力学についての記載が先頭にきているけど、問題の講評を書き上げた順番としては
この「力学」分野が一番最後になります。単なる好みの問題といえばそうなるけど、
「東大前期試験物理」の中でやはり一番得点があげにくいなと思った分野だから、いきなり講評を書くことに
抵抗があったという理由もないではない。
力の書き出し。
ベクトルを使った分解と合成
設定した方向に応じて、釣り合いの式を立てる。運動方程式を立てる。という手順を踏むというただそれだけのことを
するのに、苦戦する。
設定があまりにも特殊であるため、そもそもどこに、どういう種類の力を書いたらいいのかがわかりにくい出題もあった。
やはり、「解法体系」をメカニカルに覚えて、適用するだけでなんとかなってしまうということはほとんどない。
力積保存の法則 エネルギー保存の法則を当てはめるタイプの問題も多いが、そもそも前後のエネルギー状態を
適切に書き出すのに苦労する。力積保存の法則も、「そもそも状態の前後とは、どの場合とどの場合か?」というところで
悪戦苦闘する。
「単振動」の運動を取り扱ったジャンルもやはり、どれだけ典型問題をやり込んでも、本番ではそれだけでは
どうにもならない。
問題の年度をどんどんさかのぼると、旧課程の壁にもぶつかる。
昔は「角運動量保存の法則」というものまで、試験範囲に含まれていた。
ですので、保存則適用タイプの問題に、回転などが加わって、こちらは、現行の学習参考書には対応の方策が書かれていないので
万事休す。解法の暗記からも外すことにしました。
しかしながら、モーメントを計算するタイプの問題はすこしだけありました。
万有引力」を取り扱う問題も、ぱっと思い浮かぶものでは2問ほど。
そんなにエキセントリックな、解法を用いなくても対応できていたように思います。
もう一つ、東大物理力学分野の特徴として、思ったより問題文が長くはないということ。他の大学の物理の問題文は
もっとゴテゴテとして長い。
でも、東大の力学の問題文は、かなりあっさりしているという印象がある。でも、絵柄をみるだけで
計算方針が思い浮かぶのかというとそんなことはない。そこが難しい所でもある。
ロケットや宇宙ステーションなど、「宇宙物理学」っぽい出題が多いのも特徴かも。他の大学の問題ではあまり
こういうすこしSFがかった分野はなかった。たしか、お茶筒の形をした宇宙船が回転して、遠心力が発生して
中にいる宇宙飛行士が船体の床に押し付けられるみたいな。(赤本の解説者が「2001年宇宙の旅」を引き合いに出していた。)
ジェットコースターの問題とかもあったな。これは他の大学でもあったと思う。

熱学
熱力学のジャンルは、おそらく全分野のなかで、扱う方程式の数が一番多くなる。
二つのピストンを用意するだけで、状態方程式が2つできる。
さらに、ピストンの重さと、ピストン内部の圧力の釣り合いの式が二つ。
さらに、新しい熱を注入させたり、ピストンを動かして、断熱圧縮や断熱膨張の現象を引き起こさせると、それで
ポワソンの式や、変化前に立てた式と同じ数だけの方程式がたってしまう。
そうなると、式と式の間の関連性を考察する必要が出てくる。
ここまでいきながら、問題文にそって縦軸が圧力、横軸が体積のグラフをたてる。
このグラフによって、内外部の熱がした仕事の計算するという設問にも対応する必要がでてくる。
最後に、すべての熱量は、体積の膨張圧縮に要する仕事から、内部エネルギーの変化に使われるという第一法則による
方程式を立てて、欲しい値を計算するというプロセスもとる。
力学で学ぶ単振動、「釣り合いの式」とも相性がいい。電磁気学で出てくる静電気力も重要な役割を
もっている。他分野との融合は、とても激しい。だから、いくら典型問題をやりこんでもやはり、ここでも
本番の戸惑いや焦りを、事前準備によって克服するというのはとてもとても大変なのではないかと思う。
気体の分子運動論も少し出てきました。
設定がややこしいので、ピストンが出てきて、内外部との熱のやり取りがあるので
ピストン内部の体積の膨張や圧縮が結構、おこっていることは、問題文を読んでいても想像がつく。しかし
かなり深い考察力がないと、はたして、PVグラフがどういうものになるのかというところで
戸惑う。
そういえば、「気体の状態方程式」は化学理論のメジャーな出題分野。
密閉した空間の中で、ある一定の温度を境目にして、空間の中に水蒸気が水滴として出てきたり、
再び水蒸気(気体)になって視界から消えるという現象が起きる。そのときの圧力計算は
当然として、これを、物理で学ぶ熱力学の問題として出題させるということもありました。
これは、きつい盲点をついてきたなと思います。
冒頭でも書いたけど、とにかく連立させる式の数がとても多い。だから模範解答を読みこなしていても、
どこの式にどういう変形を加えて、欲しい数値が出てきたのかをたどるのが大変なことがある。
設問に応じて、使っていい文字と、使用してはいけない文字が指定されているので
それを読み込んだ上で、式のリストを眺めて、どの文字を消去するのがいいのかという
「数学的なセンス」が多分に要求されているように感じた。

波動
2014年の波動の問題は、「光の干渉」からの出題。
はじめはスリットの数は二つ。なんとなく、「レンズ」を連想させるような状況。
典型的な「ヤングの干渉実験」の設定を思い出して、光が映し出されるスクリーンにできる線が
明線なのか、暗線なのかを計算させる。見慣れない状況を、長大な問題文で読ませておいて、
実は、典型的な干渉の問題での計算方法を、うまく応用できるかどうかをみるもの。
レンズの問題も出される。「スネルの法則」結局、2本の光線の経路差の問題に帰着されて、
「干渉」の分野と接続される。
以上は、波としての光の現象を扱ったジャンル。
もう一つ、波としての「音」を扱ったジャンル。当然のことながら「ドップラー効果」による
振動数の変化を計算させる問題が多い。こちらは、あまり他分野との融合が意識されている
ことはないと思う。一つだけ、音源を、ブランコに設置させて、「単振動する音源」という
問題が出てきたけど、電磁気学での融合ほど、きつくはなかったように思います。
求められる数学のレベルがすこし高かった。
音源から、観測者のいる地点へ、音が到達するのにかかる時間を計算するということが
あるけど、この音源から観測者の間の距離を計算するのに、「余弦定理」を適用する必要が
あるというジャンルがあった。
東京大学の物理で、どこまで、数学を「物理応用」の準備として、やりこむ必要があるかは
かなり厄介な問題かもしれない。
2014年の力学の問題でも、欲しい関数のなかに、どうしても整理できない二つの変数が
でてきてしまい、最大最小問題を解くのに戸惑う。しかも模範解答でも、関数の変形による
最大最小値の決定という王道が踏まれていなかった。
どこかの年度に「水面波」がもっているエネルギーを計算するというものもありました。
こちらは、計算に必要な「公式」にあたるものは、問題文中に与えられている。
こういうタイプの問題は、典型問題をとことんやりこんで、当日本番で、見知らぬ問題を
みて、ヒックリ返る受験者が出ることを想定していると思われる。逆に、本当の意味での
「柔軟さ」をもっている人は、波動分野の準備がいい加減でも解けてしまうという面が
あるのかも。
「共鳴」の現象を利用した問題も発見。こちらは、音源などから発射される音波と
気柱の端で反射する音波の干渉の現象としてとらえることが重要。
音波の波長を計測するのに、この気柱の共鳴現象が利用できるという問題でした。
温度に応じて音速が変化するという計算式とミックスして、多少、ドップラー効果による
振動数の変化を算出プロセスを変化させている。

電磁気学
電磁気学の分野と評価できる問題は、かなりの割合で力学との融合問題だった。
「漆原物理」で学習する解法のステップも、一つだけでは立ち止まることになる。
入学試験の問題と、問題集に掲載されている典型問題との類似性に着目してかなり
自分なりに、解き方を考える必要がある。
コンデンサが取り付けられた電気回路の計算問題。
そもそも、問題文に書かれている具体的なイラストを、解答者のほうで、抽象化して、
計算に入る為の「回路図」を作成するのがとてもやりづらかった。そこさえクリアできると、
「容量の計算」
「欲しい電圧の未知数設定」
電荷保存の法則」と「キルヒホッフの法則」の適用というステップを踏むことで
おおよその解答手順はたつように思える。しかし、回路図を書くのがシンドイので、このステップを
機械的に適用する前で転ぶ。(適用した後の連立方程式の計算の手間ひまもかなり重い。これで制限時間が設定
されると、かなり悲惨。)
コンデンサに、バネを取り付けたら、バネの弾性力と、コンデンサの間に働く静電気力との釣り合いの
問題になる。バネが装置に登場したら、「単振動」の方程式を取り扱う余地も出てくる。
磁場が発生している空間で、コイルのような導線を落下させると、重力と、ローレンツ力の釣り合いの問題に
なる。等速度運動や、等加速度運動が登場する余地が出てくる。(熱学との重なりでいうと、
気体の状態方程式で計算できる圧力が、コンデンサの極板間で働く静電気力とつり合う問題などもあった。)
代表的な問題の分野に「荷電粒子の運動」というジャンルがあるけれど、東大が昔に出題した問題には
そもそも電場が生じる極板の間のプラスとマイナスを、交流電源と接続して、瞬時に多数回入れ替えが
おこるような設定までしてあった。
かなり直近の問題で、やはり「荷電粒子の運動」のジャンルだったけど、極板を通過する粒子のグループが
極板を出てからある一点にあつまり、電子のビームそのものが、まるでレンズの焦点に集まる光の光線のように
振る舞うという現象を扱うものもあり。
方程式を立てる上でも、「レンズを扱う計算問題に似ている!」という直観がピンと働くことなかったら
かなり苦戦する。
倹薄電器と、コンデンサの組み合わせの問題などもあった。
ローレンツ力が登場するジャンルの問題は、かなりパターンにはまっていたように思う。
磁束密度 動く導線の長さ 導線が磁場を横切る速度などを見つけ出して、起電力の大きさを計算。
そこから、キルヒホッフの法則を適用する。さらに、主に重力をはじめとした力学的な力とローレンツ力との
釣り合いで、運動方程式を取り扱うという流れ。

第四間氷期 (新潮文庫)

第四間氷期 (新潮文庫)

筆者本人の「あとがき」

はたして現在に、未来の価値を判断する資格があるかどうか、すこぶる疑問だったからである。なんらかの未来を、否定する資格がないばかりか、肯定する資格もないと思ったからである。

読者に未来の残酷さとの対決をせまり、苦悩と緊張をよびさまし、内部の対話を誘発することが出来れば、それでこの小説の目的は一応、はたされたのだ。

この小説の大雑把なあらすじは以下のブログで読める。
第四間氷期・あらすじ: 零画報

たまたま、YouTubeの動画を暇つぶしに視聴しているとき、大学のゼミの教官だった人が出演する動画をみた。
専攻が日本政治思想史という研究者なので、そうそうめったにメディアに出るような人ではないはずですが、
そこはYouTubeということで。
たしか、本屋のチャンネルだったと思います。

安部公房の都市

安部公房の都市

先生がこの本を出版されるということで、その宣伝をかねてのものだった。
懐かしいなという思いもあり、さっそくKindleで購入。
安部公房の作品を丁寧に読み、「榎本武揚」「第四間氷期」「燃え尽きた地図」「砂の女」などの
代表作を、「政治思想」という観点から読み解くというもの。
私のなかで一番、印象に残っていたのはこの「第四間氷期」だった。
理由はいろいろある。ストーリーもそう。
なにより、先生の本のなかでの安部公房の写真が気になった。
たしか、安部公房が、いまのNTT(昔は電電公社)にまで出向いていって、その当時の最新のコンピュータについての
説明を受けていた写真。
自分の作品を完成させるために、こういうエネルギーの使い方をするのが安部公房なんだと、
理系かぶれをしていた私には、鮮烈だった。

アベノミクスに代表されるように、現在は資本市場をめぐる話題が沸騰中。
投資の世界の成否はつまるところ、何が値下がりして、何が値上がりするのかの未来予測を成功させることが
できるかどうかにかかっている。
そういえば、Back to the Futureという映画もありました。
現在から過去に移動したキャラクターが、自分が知っている競馬のレースの結果をもとに
大金を稼ぐというもの。
国語の公開学力テストでもタイム・マシンを取り扱った作品があった。
タイムマシンそのものではなくて、それを発明する本を読んだといわれている少年と、「実際に」病に苦しんでいる少年の
やりとりの場面。
ということは、「データを入力することで、かなり正確に未来を可視化することができる機械」を登場させるという
ことは、あまたあるストーリーのなかで、さほど独創性があるというわけではないということ。

この小説に出てくる主人公はおそらく「勝見博士」という科学者。
そして、彼はこの空想的機械を実際に発明してしまったために、事件に巻き込まれていく。
細かい詳細までは覚えていないけど。
要するに、二人の人間が非業の死を遂げたと。
いろいろな諸事情から、日本社会全体の未来のような、結果によっては、その情報そのものが現在に大きな
影響を及ぼしそうな未来予測は差し障りがあることになった。
よって、あまり深刻な影響がないように、普通の一般人の人生の未来予測が可能かどうかを試そうということになる。
そして、そのサンプルに選んだ人がまず死亡。
そして、その死亡した人物の愛人と目された女性も毒殺に近い形で死亡。
こういう展開になって、SFチックな雰囲気だったところに今度は「探偵もの」「刑事物」の要素を差し挟んでいく。
というより、まさに現在大ヒット中の「ガリレオ」の雰囲気で、最後まで突っ走る。

私がこのブログで長く扱ったトマスピンチョンの作品でも同様な手法が多い。
Inherent Viceという作品でも、かなり冒頭で、殺人事件がおこって、主人公は被疑者にされて
逃亡を余儀なくされる。そうすることで、作品全体に緊張感が生まれていく。
BleedingEdgeという作品でも同様の雰囲気を醸し出す。
だから、引用作品を追いかけていると、米国や英国でヒットした警察ものの連続ドラマのパロディや、刑事物、
探偵ものシリーズのパロディが出てくる。
こういったシリーズの調査のなかで、アルカポネだったり、エリオットネスなどの歴史上のヒーローが出てくる。

人間をはじめとするいろいろな動物が、生命科学の力によって、水のなかで生存可能な生物に改造されるという
話はどうか。これはちょっと珍しかったのかな。
SFでバイオテクノロジーを主題にした作品を教えてください。 で… - 人力検索はてな
このページに飛ぶと遺伝子の組み替えなどの技術で、人間が改変されるというアイディアで構成される
小説のリストがわかる。
ざっと読んでみて、まずこの作品の紹介はなかったようです。
それだけマイナーということなのか。
メジャーなものとして取り上げられているのはジュラシックパーク。これは映画で鑑賞したことある。
クライトンもたしか医師資格をもっている人。

安部公房の都市」でこの作品が採用された経緯はよく知りませんが。おそらくこんなところだったのかな。
26ページ

しかし、やればやるほど、政治と無関係のものなど、そうざらにないことを思い知らされるばかりだった。
たとえば、耕地面積の予想をしようとすれば、農村の階層分化という問題がからんでくる。何年後かの完全舗装道路の分布を調べようとすれば、国家予算にひっかかってしまう。(中略)
政治というやつは逃げようとすればするほどからみついていく。

この作品のあとがきには「1959年」と書かれておりました。
まだ冷戦というものがリアルにあったとき。
ひょっとしたら、いま現在の社会秩序が、何らかのきっかけによってころりとかわることだったあり得るみたいな。
そういう雰囲気がこの頃にはあったようです。
そういう空気を実感として知っているかどうかでもこの作品の読み方はかわってくるのかもしれません。(2500文字)

ビジネススクールの講演会に物理学研究あがりの脳科学研究者が登壇したもの。
講演の全体の趣旨として
「大学入試選抜に面接を入れること。」(ペーパーテストでさっぱりだけど、話して面白い人を入学させろ!)
「企業は新卒一括採用という枠とは別の採用枠をつくれ」(大学を卒業して数年放浪したら企業に入れないのはおかしい!)
というもの。
そして、この二つの提案の根本的な理由として、試験の成績をみるだけでは計測できない
「非典型的」な知性をもつものに「チャンス」を与えるべきなのだということがあるらしい。

講演なので、聞いている人がいる。そのなかからいろいろな質問が飛ぶ。
どれも建設的なものだったと思う。
概して、ちょっとアウトローな感じの人を、組織に入れるというのは、少なくとも日本の社会では
とても大変なことだという、「実務的」感覚が多数だったと思う。
He is differentは英米エリアでは褒め言葉になり得る。
だけど、「あの人かわっているよね。」と日本の会社でいわれてしまったら、それは最悪の評価だと。
そんなコメントもあった。

私はこの講演会を、視聴しているとき、いや視聴を終えた後かもしれないけど、
「非典型的な知性をもつ者をもっと尊重すべきだ!」というテーマを折り込んだ小説を書くことは可能だろうかという
ことをすこし考えた。

ペーパーテストはさっぱりだけど、なんらかの特殊能力をもっている人間を主人公にする。
または、そういう「変な人」をよくしっている人を主人公にする。
それが、世界をひっかきまわす。
終わらせ方は二通りありえるだろう。
その主人公は偉業を成し遂げて、HappyEndを迎える。
その主人公が、周囲の無理解によって、非業の最後を遂げる。
どちらが、テーマを際立たせることになるのかは、状況による。

ということで、それでは、すでに「特殊な才能の持ち主」「非典型的な知性の持ち主」を取り扱った
小説があるかどうかに思いを巡らせる。
そうすると、私のアンテナの範囲でも見つかってしまう。「幸福の遺伝子」読んでいませんが。
ポストゲノムに対するパワーズからの応答――『幸福の遺伝子』(執筆者・内田桃人) - 翻訳ミステリー大賞シンジケート

作家を志しながら挫折し、いまは小さな雑誌の仕事のかたわら大学で創作クラスを担当する主人公。彼のクラスにアルジェリア人の学生が参加してくるところから物語は幕を開けます。すぐにクラスの全員が彼女の特殊な能力に気が付きます。即興でついたニックネームは「ミス・包容力(ジェネロシティ)」。彼女の包容力は、主人公やクラスメートに感染するように徐々にその影響力を強めていきます。そして、ある事件をきっかけに彼女の能力はマスコミや遺伝子研究者の知るところとなり、事態は全国的な騒動へと発展していきます。果たして彼女の「包容力」は幸福の遺伝子によるものなのでしょうか……。
 
 わたしはマックス・バリーの『機械男』を読んだ直後に本書を手にしましたが、語り口こそ正反対といっていい両作品ながら、そこに通底するものを強く感じました。それは、科学(とくに工学)が人間像をラディカルに書き換えていく時代における、文学からの応答というテーマです。

講演の主は「非典型の知性」の具体例としてiphoneで当てたジョブズをもってくる。
そう、ジョブズも日本では漫画になっています。
ことほど、かようにオリジナルを作り出すというのは本当に難しいのだと。
つくづく思う。

プロフェインが刑務所に入っている。
Stencil 100ドルを失う。
Robin

フェニキア・ホテルにステンシルとプロフェインが滞在。

ステンシル Vの歴史を描く。

Cassar Maijistral

Gothic
Church
Valleta Knight
ステンシル 書き物をする

プロフェイン 風邪をひく 身支度をして、求職活動。

brenda 詩歌を書く。
すべての光が消えたValleta
プロフェインとPaolaが駆け抜ける。
 Epilogue
1919 V
メフメット
雨が降る。
ステンシル傘を開く。
Armistice 休戦。
第一次大戦か?

船 Peri
lantern
ステンシル 年齢60
Mara 女魔法使い(魔女)
Pupil of love need be beautiful
She pleased Sultan
Turk おそらくオスマントルコ帝国。

オスマン帝国が拡大する過程で、従来の騎射を主戦術とするトルコ系軽騎兵の軍事力に頼らない君主の直属兵力として創設された。創設時期については諸説あるが、14世紀後半のムラト1世の治世とするのがもっとも知られる説である。
当初はキリスト教徒の戦争捕虜からなる奴隷軍であったが、15世紀にキリスト教徒の子弟から優秀な青少年を徴集し、イスラーム教に改宗させてイェニチェリなどに採用するデヴシルメ制度が考案され、定期的な人材供給が行われるようになる。
イェニチェリは長官であるイェニチェリ・アアス(Yeniçeri Ağası)以下部隊ごとに分かれて強い規律を持ち、16世紀までのオスマン帝国の軍事的拡大に大いに貢献した。同じ頃にヨーロッパで銃が普及し始めるといち早くこれを取り入れ、組織的に運用したことも大きい。

たしか、Against the dayで登場した。

Poem
ステンシル
英国人と現地の囚人に不平等がある様子。
ステンシル 地図をみて、Maltaをうろうろする。
ステンシルとPapaの問答。
Demivolt
Cafe フェニキア
雑誌 Punch

特筆すべき寄稿者として、ジョン・ベチェマン、A・P・ハーバート、A・A・ミルン、アンソニー・パウエル、ウィラード・R・エスピー、W・C・セラーとR・J・イェートマン、サッカレー、アルテムス・ウォード、P・Gウッドハウスがいる。ジョン・テニエルは19世紀後半の常連寄稿者で、健康上の理由による数回の休載を除いては、50年間にわたり毎週1ページ全体を使った政治漫画を連載していた。『パンチ』は玉石混淆ながら、英語に幾つかの新たな語彙を付け加えた。 “the Diary of a Nobody'”や“1066 and All That”のような幾つかのイギリスユーモア小説の古典は、最初に『パンチ』で連載された。
雑誌『パンチ』は創刊から150年後の1992年、発行部数の減少により廃刊を余儀なくされた。1996年前半に、実業家モハメド・アル=ファイドが『パンチ』の誌名を買収し、同年の終わりに出版を再開した。この新雑誌は利益を生み出せず、2002年5月刊行停止が発表された。その時の報道記録によれば、6年間の出版による損失は約1600万ポンドにのぼり、最終的な定期購読者は6000名のみであった。
第一次世界大戦の期間を含む1923年以前の『パンチ』のバックナンバーは、プロジェクト・グーテンベルクで閲覧可能である。

ステンシル 夢をみる
自分が小さくなって、自分の脳の中を動き回る。 最後に自分の魂に出会うみたいな。

ボリシェヴィキ(большевики: bol'sheviki、「多数派」の意)は、ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、ウラジーミル・レーニンが率いた左派の一派。ボルシェヴィキボルシェビキとも呼称される。1917年の十月革命以前から活動していた者は特にオールド・ボリシェヴィキと呼ばれる。 ボリシェヴィキメンシェヴィキや社会革命党に比べ少数派であったが、人事と要職を握ったので「多数派」を名乗った。暴力革命を主張し、徹底した中央集権による組織統制が特徴である。その特徴は、そのまま後身であるソビエト連邦共産党へと引き継がれた。
なおドイツではボルシェヴィズムス(Bolschewismus)は第一義的にロシアの共産主義者を指し、帝政プロシアから第三帝国時代には、ドイツの社会民主主義よりさらに急進的な過激派という意味でも用いられた[1]。

Dr Enrico Mizzi
Pentecoste
ステンシル Veronica Manganeseをみつける。
Gustavs V

ステンシルにVeronicaの身上調書を渡す。
ステンシル の回想
Lanternに戸惑う。(自分の姿?)
マルタ イギリスからの独立運動で沸き立つ。
党派対立の激化
マキャベリ
ジェズイット
ステンシル ベロニカを再びみつける。
教会のPriestアメリカ合衆国へ転勤になる。

Carla Maijstral
スパイ?
Mutilation
学生がストライキを起こす。
町の緊張高まる。

今まで、読んできたピンチョンの作品の中で
おそらく、もっともキリスト教に関連した寓話がたくさん出てくる。
寓話というか、信仰を暗示するような情景が多い。

それと、欧州大陸や、アメリカにいる登場人物がマルタ島のいくというような
ところから、船にのる場面も多い。
これは、冒頭が海軍の軍人がオフになっている時にあつまるBarが登場する
ことでもわかる。

これが出世作というだけあって、
やはり、このあとの
Gravity Rainbow (マルタ島での爆撃)
Mason & Dixon (航海)
Against the day (イタリアや、サラエボ

などの大長編にそのままつながっていくような部分がある。
筆者は、かなり大きな構想をもって、作品を発表しているとも思われます。

シュールリアリズムの存在について知ったのも大きい発見だったかな。
ピンチョンの作品に出てくる、一見、突拍子もないエピソードや、
フロイドやラカンを暗示する場面などなど。
ピンチョンを、ピンチョンにしている個性だと思っていたものが、
実は、ダリをはじめとする、20世紀の前衛芸術家のグループ シュールリアリスト集団の
作品を見ていると、さほど、オリジナリティがあるようなものでもないのかもしれないという
ことがわかったこと。
YouTubeのおかげで、ダリの作品にくわしい、学芸員の講義などが聞けたのも大きい。
トマス・ピンチョン 小山太一 佐藤良明『V.(上)』|書評/対談|新潮社

 ピンチョンの『V.』を初めて読んだときのことはよく憶えている。わたしは二十五歳だった。買った本屋もよく憶えている。京都の河原町通りに善書堂という小さな書店があって、その店の奥にペーパーバックを並べている棚があった。そこでいつもミステリやらSFやら現代小説を漁っていたわたしは、あるとき偶然に、バンタム版の『V.』を手にとったのである。このバンタム版は、読んでいるうちに表紙が取れてしまい、後にピカドール版が出たときに買いなおしたため、いま手元にないのだが、そのおそらく裏表紙に、「このトマス・ピンチョンの小説がどんな作品か記述するよりも、水銀の粒に釘を打ち込む方が簡単だ」という惹句が付いていたと記憶する。この惹句、歴史に残る名コピーではないかと思う。なにしろ、その文句につられて、わたしは『V.』を読んでみる気になったのだから。読むことにしたもう一つの理由は、ピンチョンが『V.』を書いたのはその当時のわたしの年齢とほぼ同じくらいだったこと。その頃わたしは、数学者になるという当初の夢がどこかに消えてしまい、この先どこへ向かったらいいのか皆目わからなかった。そこで、この年齢の時期に人は何を考えているものか知りたくて、たとえばトルーマン・カポーティの『遠い声 遠い部屋』のような、二十代前半の作者が書いたものを読んでみようという気持ちが無意識的に働いていたようだ。
 ……そして『V.』を読んでみて、どう表現していいのかわからない妙なショックを受けた。当時のわたしの英語力では、はたしてまともに読めたのかどうかも怪しい。それでも、『V.』はわたしがそれまでに読んだどんな小説にも似ていない、ということだけはわかったのだ。

V.

V.

V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

ダリ

ダリは自分の制作方法を「偏執狂的批判的方法(Paranoiac Critic)」と称し、写実的描法を用いながら、多重イメージなどを駆使して夢のような風景画を描いた。またヨハネス・フェルメールを高く評価しており、著書の中で、ほかの画家を採点したとき、フェルメールに最高点をつけている。「アトリエで仕事をするフェルメールを10分でも観察できるならこの右腕を切り落としてもいい」と述べたこともあった。第二次世界大戦後はカトリックに帰依し、ガラを聖母に見立てた宗教画を連作した。ガラはダリのミューズであり、支配者であり、またマネージャーであった。


シュルレアリスムの傑作と評される、実験的ショート・フィルム。アナキズムに心酔していたブニュエルによる、「映画の機能を否定した映画」。大筋で男性と女性の情のもつれを描くものの明快なストーリーはなく、冒頭の女性が剃刀で眼球を真二つにされるシーンに始まり、切断され路上に転がった右腕を杖でつつく青年、手のひらに群がる蟻など、脈略のない、だが衝撃的な謎めいたイメージ映像が断片的に描かれる。それらはブニュエルとダリが互いに出し合ったイメージ群であり、観客はそれらのイメージから、何かしらを感じ取る事を要求される。

Scaffoldという名前の船が再び登場。
single up all lineというピンチョン作品おなじみの表現。
これが、実際どういう模様なのか知りたいなと。
youtubeでもみつからない。

ルイス・ブニュエル(スペイン語: Luis Buñuel, 1900年2月22日 - 1983年7月29日)は、スペイン出身、のちにメキシコに帰化した映画監督、脚本家、俳優である。フランス、スペイン、アメリカ合衆国、メキシコ、国境を越えて多種多様な映画を撮った。特にシュールリアリズム作品とエロティシズムを描いた耽美的作品で有名である。キリスト教に関する作品もあり、物議を醸した。

もっとも、『昼顔』のラストシーンのように、リアリズムでは説明のつかない不思議なシーンがブニュエル映画には顔を出し、それが「シュールリアリズム的」と評される元ともなっている。『忘れられた人々』では「ビルの工事現場で演奏するオーケストラ」がちらりと見えるシーンを撮影しようとしたり(実際にはプロデューサーが止めさせたが[11])、『欲望のあいまいな対象』ではスーツを着た主人公に意味もなくズタ袋を担がせたシーンを挿入するなど、合理的な意味解釈を拒否したり、混乱させることをブニュエルは好んでいる。

1913
Neil
14 V in love

おそらく舞台はパリだ。
Against the day
でも最後のほうでパリが出てきた。

Melanieという舞台女優が出てくる。
オーストリア・ハンガリー帝国の関係者が
父親? 財産の接収をうける?

オーストリア側は、7月24日期限付きの最後通牒セルビア政府に突きつけた。セルビア側は一部保留の回答をし、オーストリア側はこれを不服としてセルビアと開戦した。ドイツがロシアに圧力をかけ、動きを封じるはずだったが、ロシアはセルビア側につきオーストリアと開戦した。続いてドイツもロシアと戦争状態に入り、ドイツと三国同盟関係にあるオーストリアも遅れてロシアに宣戦。ロシアと三国協商関係にあったイギリス・フランスも相次いで同盟側に宣戦し、ヨーロッパ全土を巻き込んだ第一次世界大戦が勃発した。
開戦当初、どこの国も3ヶ月以内で終了すると予想していた。当初はオーストリア=ハンガリー帝国内の諸民族も政府を支持して戦った。しかし、予想に反し戦争は長期に及んだ。緒戦で小国セルビアに敗北したオーストリア軍は、軍事力の無さを露呈した。多民族国家故に軍の近代化に遅れを取っており、軍内部で使用される言語さえも統一されていなかった。そのため、翌年からは同盟国のドイツ帝国の支援無しには戦えない状況に陥った。
1916年には、68年間帝国に君臨してきた皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が死去し、国内に動揺が走った。さらに1917年にはアメリカが協商側で参戦し、連合国(協商のアメリカ参戦後の名称)は高らかに「民主主義と封建主義の戦い」を戦争目的として宣伝した。同年11月には、ロシアでボリシェビキ革命が起き、「パンと平和」を掲げた。その影響で、帝国内では長い戦争の疲れもあいまって厭戦ムードが高まった。帝国は「民主的連邦制」へ向けた国内改革を迫られた。しかし、皇帝カール1世は理解を示したが、ドイツ人保守派の反抗と諸民族の歩調のずれで、改革は進まなかった。


ヘンリ4世にさかのぼる古い家が出てくる。
ミュージカルに曲をつけるのがVladimir Porcepic
Melanie はSu Feng役。
Rape of China Virgin

Magic lantern Show
Melanieが着衣をかえるところがある。
Satin drink wine
ロシア人登場。

タンゴを踊るシーンもある。
オートマータ
Melanie dream
父の夢をみる。
lay figure人体模型も出てくる。
Isadora Duncan

外は雷
バクーニン

反独裁派はサンティミエ大会を開催して独自のインター組織を創設し、革命主義的アナキストを標榜した。バクーニンは、マルクスの階級分析や資本主義に関する経済理論を認め、彼を「天才」と認識していた。しかしマルクスの性格を傲慢であると感じており、また議会進出も厭わない彼の手法によって社会革命が妥協の産物に終わってしまうとも考えていた。なによりバクーニンは「専制的社会主義」を批判しており、マルクスに従う一派を「権威主義派」と批判していた。プロレタリア独裁についても同様で、この思想に対してバクーニンは一貫して拒絶を表明しつづけ、「最も熱心な革命家に全権力を与えたならば、一年もしないうちに彼はツァーリより酷い君主となっているだろう」という言葉を残している。
1873年、バクーニンは引退してルガーノに住み、1876年7月1日、ベルンで死去した。
政治的信念
バクーニンはその政治的信念においていかなる名称であれ形式であれ、政治機構というものを認めなかった。支配者の意志であろうと全員一致の望みであろうと、外部の権力機関をことごとく否定した。この信念はバクーニンの死後、1882年に出版された『神と国家』にも貫かれている。
バクーニンはまたあらゆる特権的地位や階級という概念を拒絶した。それらが人の知性や精神を腐敗させると考えていたのである。
バクーニンの政治的信念はいくつかの相関する概念に基づいていた。自由、社会主義、連邦主義、反神論、そして唯物論である。またマルクス主義への批判も行ったが、これが未来を予見していたという指摘もある。バクーニンは、マルクス主義者が権力を得た場合に彼らが「人民の意志であると見せかけている分、さらに危険な」一党独裁体制を敷くであろう、と予言したのである[23]。

マルクス
ウリヤーノフ
Ulyanov
Kholsky

列車にのる
エッフェルタワーに

「われわれ作家、画家、彫刻家、建築家ならびに、これまで無傷に保持されてきたパリの美を熱愛する愛好家たちは、わが首都の真ただ中に、無用にして醜悪なるエッフェル塔、良識と正しい理性を持つ辛酸なる大衆の多くがすでに「バベルの塔」と名指したエッフェル塔の建築に対し、無視されたフランスの趣味の名において、また危機に瀕したフランスの芸術と歴史の名において、あらん限りの力と憤りを込め、ここに抗議するものである。
われわれはいたずらな愛国主義に陥る事なく、パリは世界に並ぶ物のない街である事を高らかに宣言する権利を有する。(中略)
エッフェル塔が、黒く巨大な工場の煙突のごとく、目が眩むような馬鹿げた塔がパリを見下ろし、野蛮な塊でノートルダムやサント・シャペルやサン・ジャックの塔やルーヴル宮や廃兵院のドームや凱旋門といった建築を圧倒し、われらがすべての記念建造物を辱め、すべての建築を矮小化して、唖然とさせるような夢幻の中に消滅せしめることを想像すれば、われわれの主張を納得するに十分である。これから20年間ものあいだ、幾世紀も前からその精気を沸き立たせてきたパリ市全域に、ボルト締めされた鉄製の醜悪な円柱の影が、まるでインクのシミのように長々と横たわるのを見る事になるだろう。パリを愛しその美化に努め、行政の手になる破壊や産業界の蛮行から幾度もこれを守ってきた皆さん、皆さんこそは今一度、このパリを守る栄誉の担い手なのです。」


工場団地も出てくる。
その中の住居で女性がでてくる。

異性のみなりをする。

Karl Baedeker

Tourist 世界共通

トリスタンとイゾルテ

トリスタンとイゾルデは、アイルランドからコーンウォールに向かう船の中、「初夜にマルク王とともに飲むように」と王妃から託された媚薬を誤って飲んでしまい、激しい情愛に囚われることになってしまう。
典型的なアーサー王物語の人物はこのようなことを恥じるにもかかわらず、 媚薬はトリスタンとイゾルデを道から外れさせた。王の相談役は何度も二人が姦通しているのではないかと疑ったが、トリスタンとイゾルデは無実であるように見せかけ続けた。ベルールによる作品では媚薬の効果が切れ、二人には不貞をやめるか続けるかの選択肢が与えられたという。


Theater Vincent Castor
上演開始。
聴衆の態度はわかれる。

第2幕
メラニー は演技中に死亡してしまう。

Irredentist

15章。

Eigenvalueが、強盗にあう。
警察がくる。
プロファンやステンシルもそこにいる。

Roony Winsome
paolaもいる。
Roonyをレイチェルの家に連れて行く。

プロファン マルタの島にいくと、宣言する。

Elena 爆撃を受け、負傷。
救急車で搬送されているときに、直で爆撃で死亡。

Priestの正体が明らかになる。(機械仕掛けの人形?)

Extreme unction

Definition: Extreme Unction is another term, very common in past centuries but rarely used today, for one of the seven sacraments, the Sacrament of the Anointing of the Sick, which is administered both to the dying and to those who are gravely ill or are about to undergo a serious operation, for the recovery of their health and for spiritual strength.

navel as chalice

正教会の聖体礼儀において用いられる金属製の杯。イイスス・ハリストス(イエス・キリストの現代ギリシャ語・スラヴ語読み)の聖体・尊血となるパンと葡萄酒がここに入れられる。西方教会の聖杯(カリス、チャリスとも)に相当する。

partyの場面
V-noteの中
liguorium
David Riesman

比較文化論、精神分析学、歴史学研究法、社会調査などを駆使し社会学の観点から「豊かな社会」とそこに生きる人間像を写し出した社会学者。
代表的な著作『孤独な群衆』(1950年)において、現代社会に支配的な社会的性格を「他人指向型」と規定し、“工業化に成功し、豊かさと利便さに浸った都市生活を享受するアメリカ人の想像力の枯渇と砂をかむようなむなしさ、そして資源と時間の浪費、偽りの人格化、欲求不満と阻害といった特徴を持つ”と表現した。また、「他者指向型」と「伝統指向型」「内部指向型」との社会的性格の対比も論じた。また、政治では権力が政治・軍事・財界のトップに集中するということを論じた。

Ezra Weston Loomis Pound

戦争終結間近、パウンドはパリ郊外のアメリカ合衆国陸軍拘留キャンプに投獄され、25日間にわたり開放獄舎に留置された後、テントを与えられた。ここで彼は精神衰弱であったと看做された。このキャンプで彼は、『ピザン・キャントウズ』(Pisan Cantos)の草稿を書いた。進行中の作品『キャントウズ』のこの部分はパウンドの業績における転換点になっており、彼自身及びヨーロッパの崩壊と、自然界における彼の居場所とについての省察を加えていて、英語で書かれた最初の生態学的詩作品に属すると考えられている。『ピザン・キャントウズ』は、1948年に、アメリカ議会図書館から第一回ボーリンゲン賞 (Bollingen Prize) を受賞した

荒地[編集]
1921年に初稿を執筆。エズラ・パウンドの助言により、エピグラフコンラッド『闇の奥』の引用)の変更や、エピソードの削除等を行った。
フレイザー金枝篇』の聖杯伝説を骨格として、聖書、ダンテ、シェイクスピアなどの引用を散りばめ、意識の流れの手法も用いて、第一次世界大戦後の荒廃した世界と救済への予兆を描きだした。末尾にはサンスクリット語も使用され、インド思想の影響も指摘されている。
1922年に文芸誌に発表。433行の難解な詩であり、中々理解されなかったが、1930年代になってF・R・リーヴィスらに評価されるようになった。


エステルが妊娠する。

Francis James Westbrook Pegler (August 2, 1894 – June 24, 1969) was an American journalist and writer. He was a popular columnist in the 1930s and 1940s famed for his opposition to the New Deal and labor unions. Pegler criticized every president from Herbert Hoover to FDR ("moosejaw") to Harry Truman ("a thin-lipped hater") to John F. Kennedy. He also criticized the Supreme Court, the tax system, and labor unions. In 1962, he lost his contract with King Features Syndicate, owned by the Hearst Corporation, after he started criticizing Hearst executives. His late writing appeared sporadically in publications that included the John Birch Society's American Opinion.[1]

Roul 放送作家
Slab 画家
Melvin 売れない歌手
Winsome 飛び降り自殺を試すが失敗。
警察に隔離される。
飛行場の場面。

カメラが入る。
Mafia Fu 逮捕  disturbing the peace

マレンコフは、ロシアのオレンブルク州でマケドニア人移民のもとに生まれた。国立モスクワ高等工業学校出身。1919年には、赤軍の政治将校になっている。その1年後には、共産党に正式に加入し、スターリンの腹心の一人となった。
1930年代後半には、ラヴレンチー・ベリヤとともにスターリンの大粛清に加担し、その功で1939年3月に党中央委員会書記となり、1941年には政治局員候補となった。たが、その後ベリヤとは政敵になった。
1941年6月、独ソ戦が開始されると国家防衛委員会の委員となり、各戦線の戦力の組織化に尽力した。
第二次世界大戦後の1946年、党中央委員会政治局の正局員に昇進し、また1947年に閣僚会議副議長(副首相)となった。その後政敵であったアンドレイ・ジダーノフやベリヤによって追い落とされたが、ジダーノフの失脚によりすぐにスターリンの腹心に戻った。ベリヤはマレンコフの傘下に入り、彼らは「レニングラード事件」なるものを捏造し、ジダーノフの同調者をすべて強制労働収容所に追放した。

フルシチョフ

ソビエト連邦の政治家、同国の第4代最高指導者。ソビエト連邦共産党中央委員会第一書記と閣僚会議議長(首相)を兼務した。民族的にはウクライナ人[1]。
ヨシフ・スターリンの死後、スターリン批判によってその独裁と恐怖政治を世界に暴露し、非スターリン化に基づく、自由化の諸潮流をもたらした。対外的には、アメリカ合衆国を中心とする西側陣営と平和共存を図り、核実験を抑制しようとした。一方で中華人民共和国およびアルバニアと激しく対立し、またハンガリー動乱に際し軍事介入を行うなど社会主義国同士の紛争が目立った。

レイチェルの目覚まし時計が夜中になって、プロファンがおこる。
Soap Opera
Hiroshimaという電気工学技術者が登場する。

初期はクロード・ドビュッシーらと親交を持ち、後期ロマン派や印象主義の影響を受けた作品を書いていた。しかし、その後初期作品の全てを廃棄し、残っていた草稿も後に火災により焼失したが、1908年に作曲した交響詩『ブルゴーニュ』は1962年に破棄するまで手元に残していた。その後イタリア未来派、フェルッチョ・ブゾーニイーゴリ・ストラヴィンスキーの影響を受け、『アメリカ』(1920年)以降、打楽器を多用した作品を多数発表。第二次世界大戦以降は電子音楽も取り入れた。

イヨネスコは平凡な日常を滑稽に描きつつ、人間の孤独性や存在の無意味さを鮮やかに描き出した。こうした(しばしば「不条理」と呼ばれる)世界観はイヨネスコのみならず、二度の世界大戦を経験した同世代のサルトルカミュなどの作品にも見いだされる。しかし、彼らがこうした世界観を論じる文学的言説が、あくまで明晰さや論理性を重視したのに対し、イヨネスコやベケットにおいてはその言語自体が問い直されることとなった。

『渇きと飢え』からはじまる後期の作品において、イヨネスコは自らの過去と夢に多くの題材をもとめた。ユング心理学に傾倒していたイヨネスコは、精神分析医の勧めによって夢の記述を始め、1960年代後半から発表された日記風エッセーに自分の見た夢を数多く記している。『スーツケースを持つ男』や『死者のもとへの旅』には、これら過去の日記や夢から転載された場面[10]も多く見られる。そこには、父親との葛藤、母親への思慕と罪悪感、友人アダモフとの喧嘩別れなどが、次々と描き出される。こうして晩年の演劇作品からは、初期の喜劇性がすっかり姿を消し、自伝的要素が演劇世界を満たすこととなった。イヨネスコはアイデンティティーを求めて彷徨い続ける自分自身の姿を、現実と創作、夢と幻想、現在と過去の間に明確な線引きをすることなく、舞台上に投影したのである。
このように、イヨネスコは既存の演劇を成立させるのに不可欠とされていた諸概念を突き崩したといえる。明確な筋書きの欠如、視覚的要素の重視、レアリスムの拒否、理論的言語の否定といった特徴を持つ彼の演劇作品は、戦後の舞台に新しい息吹を与えたのである。

all electric woman登場

マタ ハリも出てくる。
ショパンの義手
マルタ島

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