http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51002827.html:はてなの社長より

アメリカに来た際、少なくとも3年くらいはここに居て、地元の人も雇って開発を行っていきたいと考えていた。だから、こちらでやりたかった事でまだ達成できていない事はたくさんある。実際にアメリカに来てみて、新しい国での事業と、日本の事業を同時に執り行うことの難しさを実感する中で、今後の方針について随分考えた。自分の事だけではなく、社員の生活や、実現可能性などいろいろな問題について考えたが、最終的には日本に戻り、京都へ行くという判断をした。

この会社の取締役として、入っていたはずの梅田氏が、丸善
しかけた講演で、
「自分は、シリコン・バレーで、インサイダーになれなかった」
みたいなことを、おっしゃっていた。
本当にそうなのかどうかは、客観的な検証がいるような気がするが、
本人がそう思うなら、そうなのだろう。
それは、つまるところ、
「シリコン・バレーで、時代を引っ張っている人たちと、水がいらない付き合いが
できたのかどうか?」
ということになると思っている。

はてなの社長さんはどうだったのだろう。
やはり、向こうのプログラマーや、キャピタリスト、弁護士などと、
深い付き合いをするということに、限界を感じたのだろうか。

Googleが、まだ、3Dアバター事業に完全には参入していないときに、
Google MAP APIをつかって、「はてなワールド」をリリースしたり、
Twitterに対して、「はてなハイク」をリリースしたり。
日米のブログサービスに先駆けて、2Dや、3Dのイラストを、ダイアリーに
絡めることができるようにしたり。

会社の総司令官が、カリフォルニアにいることで、
はてなが、得たものは、確実にあったと思う。

この会社が、精神的にも、物理的にも、「鎖国」をしていないベンチャー
なってほしかった。

でも、その総司令官が、京都に帰ってくる。

関西に住んでいる人間としては、うれしいことだけど。
複雑な心境だ。

日本のブログ・スフィアで、活躍していらっしゃる「アメリカ系」の人たちの
動向を含めて、とても象徴的な事件になるかもしれない。

個人的には、東京証券取引所や、大阪証券取引所でのIPOのまえに、
NASDAQでまず、IPOをやるような、国際色豊かな会社になってほしかった。