「春の雪」によせて

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瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ(崇徳院

滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐにまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人たちも、来世では結ばれましょう。

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桜を見ながら、こんな「文化的」な時間を過ごすのもいいですわ。

ひさしぶりに、映画を見ていて、いい時間だったと思った。
そういう映画ほど、感想を書くのがいやになることがある。

主人公と、ヒロインは、この当時の「タブー」を踏み破っている
という強烈な意識の中で、結ばれます。

タブーを意識する場合と、意識をしない場合では、
意識をしないほうが、間違いなく「自由」だと思うのだが。
「自由」であることと、恋愛映画を、際立たせるかどうかは、
違う問題ということが、わかる。

この映画の監督は、この映画はフィクションだと思って、
メガホンをとったのだろうか。
一人一人の「恋物語」の記憶というのは、
ミクロに、拾ってみたら、
そこには、「清様」と「聡子」が必ずいると思いながら、
映像を作り上げたのだろうか?

この映画の監督は、「世界の中心で愛を叫ぶ」という作品の
指揮もとったそうな。
あの映画では、主人公とヒロインは、「学校の記憶」を舞台に
恋模様を繰り広げる。

そうそう。
クリエイターの「生まれ」ってのも、考えましたよ。

大正自体の士族・華族の絢爛豪華な世界にいる王子様とお姫様。
地方の田舎町の若い男女。
アリストと庶民派は、どちらが、見ていて共感を呼ぶのか。

「春の雪」はそういう意味で、共感をするのが難しい要素が
コレでもかコレでもかと、てんこ盛りになっている。
ある映画作品が、「面白い」「気に入った」といってもらえる
ためには、
きっと、その作中人物の中に、見ている人間が
「同じだ」
と思える何かが、きっと必要だと思う。

大正時代だし。
お金持ちだし。
高学歴だし。
外国語ペラペラだし。
伝統的な洋装と和服だし。

こういった「春の雪」の小道具は、「共感」を呼び起こすための
仕掛けを、とても機能しにくいものにする。

そうであるなら。
この「春の雪」にあるのは、「あこがれ」なのか?
見ている人間が、持ちたくても、持つことができない、
体験したくても、体験することができないものへの、
「幻想」を見せることが強みなのか?

そうかもしれないと思ったりもする。
そんなことは、見る人によって、感じ方は違う。

僕は、この作品に関しては、三島由紀夫の原作を
すべて、読んでいた。
そう、学生時代にまとまった時間をもって、読んだ最後の
小説だったように思う。
そうそう、たしか、聡子は、出家した尼さんになるんだよなあと
思っていながらも、
やっぱり、ヒロインが、はさみで髪をそぎ落としていくのを
みるのは、強烈でした。

現世で、思いっきり好きになった人間への未練を断ち切るために、
仏様に恋する生き方を選択する。

これも、トラディショナルの中のトラディショナルな話。
でも、そんなトラディショナルなものが、とてつもなく新鮮に
映りました。平安王朝文学の王道なのにね。
いまさらって、感じで伝家の宝刀を抜かれて、ばっさり
切り捨てられました。

下世話な話になりますけど。
さる大企業の人事部の人が、社内で結婚した人たちの
福利厚生の支給のことで事務をしていたそうな。
まだ、結婚して、数ヶ月しか経っていないカップルだったけど、
すぐにでも、子供が出来たときの、特別手当が欲しいという申請
を受理したそうな。
まあ、つまりは、「出来ちゃった婚」だったのね。
リアルな話だったな。

これが、男女模様の「現実」なのでしょう。
なんだか、そういう「現実」が、とても悲しくて、色あせた
ものに、思えてくる。

日本式の庭園。
鎌倉の風景。
外国の皇族の登場。
ファウスト
奈良の寺院。
剣道の道場
舞踏会。
野外の映画鑑賞。
日本式伝統旅館。

これでもかこれでもかと、伝統日本BEAUTYてんこ盛りに
なっているのも、三島ワールド全開です。

とまあ、
いかに「春の雪」がぶっ飛んでいたのかという話を
したわけです。
そんな「春の雪」がどうやって、共感を呼び起こすのか。
あらあら、話が振り出しのほうに戻ったかな。

三島ワールドが、この「春の雪」で仕掛けた小道具もう一つ。
「仏教」
「転生輪廻」
小倉百人一首
これがまた強烈なのですな。
これも、平安王朝文学様。
つまり、高校生が、眠い目をこすりながら、「古文」の授業で
勉強している内容のベースになるような話ですわ。
思いっきり、トラディショナルしてるよ。
PoP Cultureは、永遠に正統派を超えることは出来ないのかな。


現実の小道具でも、目がくらむような映像世界を作っている。
でも、三島ワールドは、それだけでは満足しないんだな。

「いつか、また会える」

目に見えない、小道具を、最後にもってくるように見せかけて、
じつは、映画の最初から最後までに、
ずっと、見えない調味料として、仕掛けていたんだね。

しかも、「いつか、また会える」といった相手が、
「男の友達」という変化球までつけた・・・。