講義ノート・ビジネス

2008-07-23 - Cheshire Life

なんだか、懐かしい話です。

僕の通う大学は世間の大学の多分に漏れずに授業を聴いている生徒が3割と居ないという感じの大学で、昨日に行われたテストで授業を聴いていなかった生徒が「授業を聴いていなかったのですが、この問題は授業を聴いていないと解けない問題なのでせめて問題の意味だけでも教えてください」と先生に抗議している感じのなかなかおもしろい学校だ。

どこにいっても変わらない教室の風景ですね。出席率もそんなもんか。
僕のいっていた大学はそもそも出席率をとるということそれ自体をしていなかった。
出席率を測定するというのは、大学の義務なのかな?
学生へのサービスになっているのかな?よく考えると不思議。
講義に出ないで、学生が、試験の成績などで不利益になってもそれは学生の
自業自得なのだから、大学はわざわざそんなことしなくてもいいともいえなくは
ない。
あ、そうか、出席しているかどうかを、成績の評価ポイントに入れるメリットが
あるわけだね。
でも、出席率も成績の評価に入れるとなると、たしかに、講義ノートだけで
勉強する学生を採点するというのは、大学の教官にとって、困るということになる。
出席率を成績の目安のひとつにするかどうかと、講義ノート・ビジネスの関係が
面白い。
過程を評価するのか、結果だけ見るのかということになる。

そんな僕の大学ではテスト前になると講義ノートが非公式に販売される。事前に、ノートをコピーさせてくれる人には2万円あげるから綺麗にうつしておいてね、みたいな感じのバイトの広告が生徒に配られていて、それを販売しているようだ。これは他の大学でもあるのかはわからないけど、うちの大学では結構あたりまえのことらしく、ほぼ全ての生徒がその事実を認識している。

某T大学の場合 (10年前)

大学に入学した学生は、「科類」でクラス編成が行われる。
文科 ?類?類(法学・経済学部)
文科 ?類
理科 ?類
理科 ?・?類

この分類で、クラスわけ。
クラスわけしたばかりの時は、お互い顔見知りになろうとして、いろいろな機会を
利用して、あつまります。
そんな機会に、
「試験プリント(略してシケプリ)長」
が任命されます。
彼の仕事は、
法学?→○○さん
総合文化→○○さん
政治過程論→○○さん
ドイツ語→○○さん

というように、大学の選択科目・必修科目を、クラスの人に割り振っていくことです。
割り振られた人は、その講義にすべて出席する。
そして、とにかく詳細なノートをとるわけです。
いま思うと、テープまで使って、講義の最初から最後まで手に取るように再現されている
傑作の講義ノートもあれば、
なにが、なんだかさっぱりわからない駄作の講義ノートもありました。

そう、試験が近づいてくると、
また、クラスの人で集まるのです。
そして、それぞれが、担当した科目の試験プリントをコピーして持ち寄ります。
みんな、自分が受験して、単位を取得する予定の試験プリントを持ち帰ること
になります。

私もこれで、かなり救済されました。

ということで、以上のような試験プリント対策は、
伝統に基づいた「相互扶助」の一環として、行われていました。
だから、コストもかからなかったのです。

ところが、このブログをみると、この相互扶助のもとで行われていた
ことが、ビジネスになっているのですね。


ところが本日その講義ノート販売に大学が注意を促してきた。内容は、講義ノートのみをたよりに試験を乗り切ろうとする風潮は大学としては好ましくなく、試験は大学での授業への出席を前提とした理解度を総合的にはかるものということと、大学での授業の意味を理解して欲しい、というものだった。

試験プリントというソリューション。講義ノートというソリューションを突き詰めたとき、
カリフォルニアバークレーのように、教養課程にあたるような、講義をみんな
YouTubeで聴講できるようになっているものが、考えられる。
ノートどころが、講義そのものも、自宅でお手軽に聞ければいいでしょというもの。
ノートで勉強するのと、講義をYouTUbeで聴くのとどっちがいいのか
微妙ですが。
大学の教官は、講義をしている人と、講義を聴いている人の間でのコミュニケーションに
期待しているのかもしれませんが、多い学生の前での講義なのですかか、そういうのは
ありませんわね。

そのノートを見るだけで試験を乗り越えられるくらいの学力がつくのならそれは歓迎すべきことだし、もしノートを見ただけで試験を乗り越えられるようなら、授業がその十数枚の紙程度の内容しかなかったということになるか

講義に直接出席しないと、得られないものは何か?
とてつもなく曖昧な、問題意識です。私は、
「そんなものはない」と思います。

講義ノートの販売自体は知識のシェアと学問の補助という点で歓迎すべきことだと思う。ノートや授業で得た知識はシェアするべきだと思っている僕はこのブログに授業内容を書いたりしていた。ノートをネットで公開してシェアしている先輩も居る。

そうそう、その調子でどんどん公開してください。
大学で勉強する内容の本当の重さを知っているのは、大学の外の人間だって、
私は思うのです。

コンテンツ・プロバイダーとしての大学の可能性は、これからもっと
クローズ・アップされるはずだ。