きらめく知性に落とす影について

wikipedia:レフ・ポントリャーギン

数学と算数にまつわる武勇伝には、何かこう、悲しさを
感じることが多い。
数理の能力が、トレーニングだけではなくある程度、
「生まれによる才能」というものに、左右されているということなのだろうか。
つまり、「どの社会階層の出身なのか?」
こういうことと、無関係に、
「才能」というものが、出現しているのかもしれない。

最近、この人が書いた微分積分の初等レベルの本が出版された。
生まれを知って、この人は、本気で教育に挑んだ人だったんじゃないかと
思う。
この人の本で、微積分を勉強したいな。

レフ・ポントリャーギン
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レフ・セミョーノヴィッチ・ポントリャーギン(Лев Семёнович Понтрягин、1908年9月3日 - 1988年5月3日)は、ロシアの数学者。

ロシア革命前に生まれ、ソビエト連邦崩壊直前にこの世を去った。彼の家庭はとても貧しく月謝の安い実験学校さえ行けず、4年制の小学校で最初の教育を受けた。14歳の時に爆発事故により失明した。そんな彼が数学者となれたのは母親の献身的な努力があったからだと言われている。農家の主婦だった彼の母親タチヤーナ・アンドリェーエヴナ・ポントリャーギンは、彼が身を立てるための一切の世話を引き受けた。文献を読んで聞かせたり、論文に式を書き込んだり、さらに彼女自身外国語を習得して彼の完全な「秘書」を勤めた。数学者となった彼の専門分野は、幾何学微分幾何学)だった。

1929年にモスクワ大学卒、1935年には物理・数学博士、教授、1938年には位相群論、連続群論を発表、数々の数学的業績に対してレーニン賞、スターリン賞、ロバチェフスキー賞、ソビエト連邦国家賞、社会主義労働の英雄という称号などを授かった。