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車輪の再発明

私の知名度|和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」

地方に行くとそれはよけいに痛感する

これを言うと学歴至上主義のように思われるが、せめてもの救いは、東大生なら私の名前は7割くらいの人は知っているだろう、早慶なら4割くらいだろうか、それが日東駒専なら1割くらいか、高卒なら1%くらいだという気がする

和田秀樹を知っているかである程度学歴がわかるというのが、私の知名度の不思議なところだ

つまり、かなり濃密なコミュニティの中でしか認知されていないと。
思うのですが。
和田先生が、長年の労苦のプロセスを経由して開発した一連の受験勉強のノウハウは
まさに、和田先生を知らない人たちのためにあるといってもいいのではないだろうかと。
そもそもこの人の受験技術というのは、低コストで、高い教育が受けられるようにする
道筋をどうやってつけるのかということだったから。
私はこのBlogでそれなりに問題意識のようなものを設定している。
アジテーションをするかどうかとか。そういう問題ではなくて。
Blogにエントリーを投稿するときに、なんらかの方向性というものを持ちたいというか。
そんな感じ。
その大まかなテーマの設定のようなものの中に、「知識・教育の格差」という
ものがある。
煎じ詰めると、大企業と零細中小企業の中にある格差。
一寸法師のように。
吹けば飛ぶような小さな企業が、きちんとした存立基盤、技術的基盤をもって
伝統格式のある大企業相手に互角に渡り合える世の中。
どんな場所で職業生活を送ることになっても、
ある種の「一発逆転」「AmericanDream」を信じることができる社会。
そういうものを、どこかで、想像している。
そのためには、小さく、弱い企業で働いている人が、「一騎当千」の力を持つ必要が
ある。
学歴は、これからも高学歴な人材は、安定した大企業へ。
それにあてはまらない人は、待遇面で多少貧相な中小企業へ。
こういった色分けというか、「スクリーニング」のような機能をこれからも
果たし続けるだろう。
そこで、出来てしまう、人材の層の厚さの優劣が、そのままずっと固定化するのかどうかが
問題なのだと思う。
Motorolaという老舗の落日企業がGoogleという新興企業に買収されるような
流れが、日本の企業社会でも起きるのだろうかと。
「理想」という言葉をいうと。
「起きて欲しいと。」
そういうことが実現するかどうかは、おそらく一重に。
本当の意味で生産性のある人材が、新しい会社を設立して、Motorolaを買う
Googleを作ることになるのだろうと。
最初から、待遇のいい恵まれた企業にいく切符をもっている人はそれでいい。
問題は、そういう切符をもっていなかった人が、切符をもっている人と同じくらい優秀になるには、どういうステップを踏んだらいいのかということではないかと。
和田先生の受験技法には、そういう可能性がすこしちらついているような気がする。
学歴をつけさせるための、手段が。
学歴の実質的内容を、先取りしているといっていいのか。
現在の企業の採用担当者が、学生のどこをみているのかということを考えるとき。
大学のカリキュラムで身につける知識と、
学名のどちらを重く見ているのかといったら。
いまでも大学名なのではないだろうか。
とすると、「大学受験の学力」というものが、その人の「スペック」というものを
規定しているのではないか。昔から。そしていまでもずっと。
だとしたら、「東大受験技法」に忠実に学習したら、世間の目はとにかく、
「実質的」には、東大生とおなじ学力をもっている状態になることができる。
そういう方法が、「標準化」「誰にでも開かれているかどうか」というのは
とても大事なことではないかと思う。