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書き物の目指すところ

内田樹の研究室より。

「身体化した美の規矩」と「現実を圧倒しようとする虚構のリアリティ」がはげしく葛藤するときに、文学はそのパフォーマンスを最大化する。

ということでふたたび幸田文の『父』の一部を朗読する。
『父』はただの看病日誌である。
終戦直後の市川の夏の、やけるような暑さと、病人を介護することの心身の苦労と、物資の不足と、さまざまな生活上の不如意が書いてあるだけである。
それなのに、読んでいると胸がどきどきしてくる。
愉悦を感じる。
美しいからである。
美しく書こうというようなさかしらは書き手のうちに少しもないのに、美しい。
それは「美しい」ということの規矩が身体化しているからである。
みごとな身体所作をする人は、ただ立ちあがって、襖を開けて、するりと出てゆくだけで、吐息が出るほど美しい。
サラ・ベルナールはレストランのメニューを読み上げただけで、同席していた客たちは感動の涙を流したという逸話がある。