とうとう、あとちょっとで、第2部Americaがおわるぞ。
M&Dがどうも名残惜しそうに帰国へ向けての準備をしているっぽい。
今生の別れのつもりで、ニューヨークに立ち寄ったりしている。
一方、Dixonは、なんだか知らないがSlaveDriverという人を
ひっぱたいたりしている。
どうも、Liberalistということなのだろうか。
新大陸から旧大陸へ向かう時の、船旅の無事を祈るような詩歌まで
登場している。
M&Dでは、結構詩歌が登場する。
AgainstTheDayでも少しは出てきていたかな。
なんとなく意味がわかる場合もあるけど、かなりの場合は
意味不明の場合が多いかな。
ここから、気を引き締めて、読み進めないと、なかなか始末をつける
ことができなかったりする。
そういえば、数学の研究者が一冊の論文を2年かけて読めみたいなこと
言う場合があったけど。
まあ、それも一つのやり方だわな。
たとえば、M&Dではユークリッドの名前がよく登場する。
だったら、「原論」を翻訳でもいいから、読みましょうということに
なったとたんに、一年くらいは軽く飛ぶでしょう。
シェークスピアが登場しているから、それもいきましょうと。
ブレヒトも出てきたら、彼も。
なんてことやったら、いつまでたってもおわらない。
でも、本当に、M&Dを読もうと思ったら、本当にそれくらいしないと
読んだとはいえないかもしれない。
そんなことを思いながら、関連しそうな書籍を1冊。

今日、仕事に関連して立ち寄ったところで、
「科学」という言葉の意味を丁寧に探求してみましょうという趣旨の
連載記事を見つけた。
「科学」の「科」は、細かく分けていくことだと。
「科学」の創始者にあたるニュートンとかは、「自然哲学者」だった。
自分たちのことをScientistとは言わなかったと。
自然哲学者が創始した学問の方法を、後代の研究者たちが小分けに
していったのだと。
そして、小分けにして、分業して、研究をどんどんすすめることで
膨大な、現代の科学技術の蓄積が気づかれたと。
そして、現代の「科学」という言葉は、主に「自然科学」という意味で
使われると。
果たして、これが、本当にこの言葉の意味・用法として妥当かどうかは
検討に値すると。
人文学といわれている分野でも、小分けにされたある分野について
営々と研究を続けているのなら、その一連の流れ、方法論は
「科学者」のそれではないかと。
そんなことも書いてあった。この連載の筆者は東大の地球物理出身。
さて、ではそんな意味の「科学」なわけですが。
本書の筆者は国土地理院というところで、何十年も地図をつくる
作業に従事した「地図」のプロフェッショナル。
M&Dに登場するDixonの職業は「測量士」
Surveyorsって出てくる。
本書では、実際の地形を、肉眼をはじめとして様々な道具、
そして数学・物理学の計算手法を駆使することで、
いろいろな媒体に「地図」として変換する作業の実際を解説している。
一番、基本的なところでは三角比、三角関数
実際の地形で、求めたい点、距離がわかっている線分を平たい地面に
設定して、辺と辺の角度を測量できれば、三角比の表を使うことで
物差しや巻き尺を、作業としてひろげることができないはずのところの
距離を正確に計算できる。
地図には等高線が引いてあったりする。
これも、地図の商売の人は、基準のポイントをたくさん設定して、
その基準点まで足を運び、目印にしたものが、目線をまっすぐにしたときに
どれくらいの位置に見えてくるかで、土地の段差を測量していたと。
ほんのちょっとの面積のエリアの地形を正確かつ的確に記述しようと
するときにどれくらいの手間暇がかかるのかということが
かなり細かく説明されている。
国土の地形がどのようになっているのかということは、
「戦争」という事態において、とても重要な情報になる。
だから、現在国土地理院という機関が担当している日本の地図を正確に
つくるという作業は、戦前は日本陸軍が担当していたのだそうだ。
これも、実際に本書を読んでいると、納得がいく。
興味深いことに、領有権をめぐって、外交上、軍事上一悶着が
ありそうなところほど、意地になって、測量をしっかりしようという
ことにもなるらしい。
正確に、その土地を理解していることによって、そのことを
「領有権」の根拠の一部にするのだと。
そういうことなのだろうか。こういったところは、学生時代に民法
やった「取得時効」の話なんかを連想させるなと。
本書74ページ 地籍図について

「地籍図」は、土地所有者の協力を得て土地の境界を確認し、市区町村が測量して作る、土地管理のための主題図です。「1筆」(土地の区画)ごとの境界位置と面積を測量した地籍図とともに、土地の所有者、地番、地目、について調査した地籍簿もつくられます。地籍図と地籍簿は、法務局に送られて土地管理に利用されます。

M&Dが、わざわざイギリスから海を越えて、どうしてアメリカ大陸に
線を引きに来たのかということについては、以前のエントリーで
紹介したとおり。
「地形の情報」は、先述したように、「戦争」という事態において
大事。だから「軍事技術」と直結している。
本書でも、後半部分は、飛行機に写真機を搭載させて、パシャパシャと
撮影した写真をつなぎ合わせることでどうやって地図を作成していくのか
ということの具体的な手順が書かれている。
つまり、GoogeMapみたいなものが、どうやって作られるのかという
ことが書かれている。
結構、読んでいて、フラフラする部分です。
わかりやすく、ブレークダウンしているつもりかもしれませんが、
どうも、つかみにくい。
感覚だけ。
3次元の地形の情報を、どうやって2次元に落とし込むのかというところで
「地理」でやったメルカトル図法とか。モルワイデとか。懐かしい名前が
色々登場します。
この分野を丁寧に知ろうとするだけで、結構、大変かもしれません。
本書の巻末には参考文献ものっています。
そこまで掘るのかと。
まあM&Dを読み進めるのにここまでいく必要もないかな。
測量を職業とする人がやっている作業を、なるべく具体的なイメージを
もてるようにしようという趣旨でこんな本も読んでみました。
たしかに、時代は違うけど、この「地図の科学」を読んでいると、
「そういえば、M&Dでもそれっぽい場面があったような気がする」
というところがありました。
測量ポイントを設置して、そこで、いろいろなデータを取るなんていうのも
そうかな。
経度と緯度を正確に計るということが、死活的な重要問題だった時代の
こと。思いっきりM&Dの時代なのですが、そこで出てくるハリソンも
登場します。(2700文字)
もう一つ、本書を読んでいて、興味深かったところ。
それは、地図を作るという、複雑で、膨大な手間暇のかかる作業を
誰が負担してきたのかということ。
各国によって事情は違うだろうけど、日本ではまず軍。そして現在は
国土地理院
つまり、「政府」がやってきたのだと。
そして、筆者の説明を読む限り、外国と比較しても、かなりレベルの高い
地図が、インターネットで公開されていると。
本書を読んでいて、はじめて知ったけど、地図が持ち出し禁止に
なっている国は、今でもあるそうな。
これはすごい。びっくり。
まあ、Google I/OMapみたいなものが、世に出て、
よくよくみると、上空からやばいものまで見えているということも
話題になっていたから。
わからないでもない。
どこかの記事で、世界中で、携帯電話の端末を所持する人が増えて、
彼らが、地図に関連する情報について需要をもっているという
話題を取り上げていた。
携帯電話の端末がネットワークにつながっている。
その端末を所持している人が、現在どこにいるのかということがリアルタイムで
わかると。
いま、○○さんは、大阪のどこそこにいると。
しかもその時刻はいつなのかとかも、おそらくアプリ開発者は、
ネットワークプログラミングの知識を使えば、把握できる。
有る時刻に、どんな場所に所持者がいるのかということがわかるだけでも、
その人がどういう情報をほしがっているかは、色々と推測が
できるはずだと。
だとしたら、ネットワークにつながった端末をもっている人が集合的に
提供する、位置と時間の情報から判断して、効率的に、端末の所持者に
的確な情報を伝えることだって、地図アプリを通して可能でしょうと。
わかりやすいところでは、飲食店の情報か。
金曜日の夜の時間帯に梅田だったら、ほぼかなりの高確率で飲みに
行くわけでしょみたいな。
たしかに、ネットワークにつながった動く端末の持ち主が
これだけ、たくさん、大都市のエリアでいるようになるというのは
ここ数年の動きなのかもしれない。
そういう動きに対して、アプリの開発、携帯電話の端末向けサービスを提供する
側として、何か手を打てないのかなと。
そんなことも、M&Dとは関係ないけど、なんとなく気になったので、
書いてみたりする。(3700文字)
元を取った本の話
「地図の科学」とはあまり関連がないので、本来
別の「まなざし」連載に加えることかもしれないけど。
M&Dは、地図をつくる上で重要になる業務をする人たちのお話。
ピンチョンは、「地図」をテキストにして、「文学」を作ってしまった。
「地図」を読むということは、その道のプロはやっていることだけど、
文学にすることは、あまりなかったのかもしれない。本当に寡聞なので
違うかもしれない。
でも、創作のスタイルとして、そのように分析するのはそんなに
めちゃめちゃなことではないかなと。
僕が興味があるのは、「何を基本テキストにして、新しいものを作っていくのか?」
という方法そのもの。
直感的には、古典的なテキストに準拠するのが筋がいいのかなと。
そして、その古典的なテキストは、はたして、メジャーであったほうが
いいのかどうかというのも興味のあるところ。
M&DではJournalだったけど。はたして、このテキストはピンチョンの
作品の前は、メジャーな文献だったのだろうか。
そんなこともきにかかる。
PDFで流し読みしただけど、本当に、無機的に数字と、地形の概略が
書いてあるだけ。これが、ピンチョンの前に人気のあるテキストだったのだろうか。
面白いことが一杯書いてあったのだろうけど。
Journalは一種の「文献的なお宝」だったのだと。
それでは、このような「文献」のお宝。つきつめると、「古書」を
探求する道はというと。
これが、ちゃんとプロがいるわけというのが、リンクをはったところから
納得できる。(4300文字)

私の研究テーマは、十四世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集[けいらんしゅうようしゅう]』という書物だった。この本は当時(今でもそうだが)ほとんど文学研究者に知られていない資料で、仏教学や歴史学の方からは「あんな荒唐無稽なもの」といった、いささか冷たい視線で見られていたのである。余裕がないので本の内容には触れないが、この本にはいつくかの伝本が知られており、その基礎的研究を行うためには、まず諸伝本を博捜し、本文校訂をする必要があった。そこで、マスター一年生の私は、「よその本を見せていただく作法」なるものを先輩から伝授してもらい、『渓嵐拾葉集』のまとまった伝本を蔵する、滋賀県は坂本の叡山文庫へ向かったのである。

 こういうところに赴くのは初めてだということで、大学時代の恩師で文庫に顔が通じているA先生が来てくださることになった。いつもより化粧を薄くしてきた私の前で、先生はおもむろに大きな三冊の本をよっこらしょと机に乗せた。背表紙をのぞき込んで「てんだいしょせき・・・」と言いかけた私を制して、先生は「これはてんだいしょじゃくそうごうもくろく、と読む」と静かにのたもうた。この本は渋谷亮泰師が天台宗の寺院や個人のお宅に蔵されている仏書の書誌と奥書を網羅したもので、天台関係の資料を扱う上では欠かせないというのである。