難系 問題の着想 半導体関連

ホール効果という現象の理解を試される問題。

こういう現象がおきる説明をわりかし、丁寧にやっているように
思います。

難系の例題で出題されている状況を、アニメーションで感覚的に
つかむのに、多少の助けになるかもしれません。
この動画で、準備をしてから、以下の例題でホール効果の
現象を段階を追って、計算を交えて理解していきましょう。

Z軸方向に磁場が働いている。
X軸方向には、電流が流れている。
お約束のローレンツ力が働く状況です。

フレミングの法則を、具体的な問題設定で当てはめできますか?
みたいな問題です。
座標の表現で聞いてきていますが、特に何か、ひねっているという
こともない。

電子という粒が、集団になって運動している模様を
考察できるかどうかということ。
流れの強さというものを数値的に表現する方法を思案する。
一定の半径のリングを考える。
このリングを、一定の時間に、どれくらいの数の(電荷)(電子)が
通過するかどうかで、「流れの強さ」を表現できるでしょうと。
「力の釣り合い」の理解も問われています。
電界がなす力と、ローレンツ力が釣り合っていますよと。

続いて、ダイオードという部品の性質の理解が試される問題。


計算ができなくても、正答が得られるという、この科目では珍しい出題。
ただ、この問題集の解説だと、どうしてこういう作りにすると、
1方向の電流の場合にだけ、電子や正孔が動くのかということが
いまひとつ、ピンとこなかった。

回路につなげる部品によっては、測定する電圧と電流をプロットしたときに、
オームの法則に従って、直線にならないグラフが出来上がるという
ことは、ほかの例題で学習済み。そういうときは、キルヒホッフの法則
適用して求められる直線の式を、与えられた曲線に書き加えるのでした。
ダイオードが設置されている部分の電圧と、電流は、問題で与えられた
グラフに従っているのと同時に、回路上の点である以上、キルヒホッフの法則にも
従うということを利用した解法を、ここで応用できるかどうかが試されます。

小問(3)は、2次関数の初歩的な問題。
問題文に与えられた2次関数の曲線の1点をとってあげて、都合のいい係数Kを
求めてやればよい。
小問(4)は、連立方程式をたてるのもしんどい。そして、その連立方程式を解くのもしんどい。
小問(3)で実行した計算結果を利用する。ここで、ダイオード上の電流と電圧の関係式が一つ
明らかになる。
さらに、本問題を、並列回路の問題としてみる。
すると、電源をまじえたサイクルで、キルヒホッフの法則が適用可能になる。
さらに、並列に並んでいるサイクルの部分で、再びキルヒホッフの法則が適用可能。
最終的に、解かないといけない方程式は2次方程式になります。
おそらく、この2次方程式を出すのが一番大変。

半導体3部作のフィナーレを飾るのは「トランジスタ」というテーマの例題でした。

まず、思いっきり短い動画。イメージ直観重視。
もうちょっと理屈っぽくなると、下記の動画。


段々、納得がいかないことも増えてくる解説なのですが。
まず、手始めに、オームの法則で学習した内容をグラフにして書いてみましょうと。次に、そこから外れていく
現象がおきる部品を組み込んだ回路の問題を解かせる。
とにかく、電源の電圧を一定の値より強くしないと、回路に電流が流れないようにすることができるのだと。

問題文に与えられた、本例題の回路における電流の値を求める式と、回路をみたら「立てることができるはず」のキルヒホッフの式を
組み合わせてくださいと。
問題の回路には、電圧の測定ができる箇所が2カ所ある。
一定の抵抗をもつ部分と、右側の電圧。
電源の電圧が交流電圧になっているので、その大きさを表す三角関数から、未知の部分の電圧も計算していく。

さらに、「部品」らしくなってくる。
よって、その用途もどんどんわかりにくい。
なんでこんな組み方するのよと。
難系の問題文の中でも、とっても丁寧な書き方だなと思うけど。
大変な計算だったけど、使っているのはオームの法則メインだったりする。
見た目の「ゴツい」感じに惑わされたらいけませんよという問題だったのかな。
wikipedia:トランジスタ

日本でも、官民で研究や試作が行われた。最初の量産は、1954年頃に東京通信工業(現ソニー)が開始し、翌1955年に同社から日本初のトランジスタラジオ「TR-55」が商品化された。その後相次いで大手電機メーカも量産を開始し、1958年あたりには主要な電機メーカーからトランジスタラジオが商品化される。このとき東京通信工業の主任研究員であった江崎玲於奈トランジスタの不良品解析の過程で、固体におけるトンネル効果を実証する現象を発見・それを応用したエサキダイオードを発明し、1973年にノーベル物理学賞を受賞している。

wikipedia:トランジスタラジオ
世の中にヒット商品が生まれる時、いくつかの共通の現象があるような気がする記事でした。
アップルコンピュータが、家庭用電化製品として一世を風靡するのと、似ている。技術力を中核にして、いままで敷居が高かったものを、一気に
広げる。

真空管を増幅回路として使用するラジオは電源電圧が比較的高く(45-90V)消費電力も大きく、また真空管自体の外形の大きさから筐体が大ぶりで、卓上などに設置して使用するのが普通であった。小型化されたトランジスタラジオは電源電圧が低く(9V)消費電力も小さいため電池で動作して片手で持ち運べる機器となり、野外でラジオを手軽に聞くことができるようになった。
車載用ラジオでは、米国で1927年頃から真空管式のものが発売されていたが、省部品・省電力の観点からトランジスタ化が進んだ。1950年代後半の真空管からトランジスタへの移行期にかけて、日本ではカーラジオ(オートラジオ)市場に参入する企業が相次いだ(東芝、TEN(神戸工業、現:富士通テン)、クラリオン三菱電機松下電器産業(現:パナソニック)など)。
ビーチやキャンプ場でラジオが聞けるようになることでラジオ放送自体にも野外聴取を前提とする番組構成が取られるようになった。またラジオ自体の小型化・省電力化が進んだ結果、それまで「一家に一台」だったラジオ受信機の所有形態が「一人一台」に急速に変化した。これに対応し、日本ではニッポン放送が先鞭をつけた「オーディエンス・セグメンテーション」編成が1960年代後半以降広く民放ラジオ局に普及するようになった。

下記の開発過程は、アップルが、iPodを開発販売した経緯とそっくり。あれはたしか、東芝の研究所の技術を使って、「1000曲をポケットに!」という
ことになったような。

トランジスタラジオのプロトタイプは、テキサス・インスツルメンツトランジスタのデモ用として作成した。東京通信工業(東通工、現:ソニー)の井深大は、1952年アメリカ合衆国での技術研修に出かけた際、ベル研究所の3人のスタッフがトランジスタを開発・特許をとっており、親会社のウエスタン・エレクトリック社(WE社)が2万5000ドル(約900万円)で公開していることを知る。日本の通産省は「ちょっとやそっとのことで、トランジスタなんかできないよ」と否定的で、当初は東通工への外貨割り当てを拒否するほどだったが、1953年盛田昭夫がアメリカに渡りWE社を訪問すると、東通工の技術力が高く評価され「ライセンス料の支払いは後でもいい」ということになったため、同社とライセンス契約を結んだ。その際、WE社は盛田に対して何に使うのかを問うと「ラジオに使いたい」と応じたが、この時WE社はやめるようにと勧告を行った。


ポケットに入っているトランジスタ・ラジオから流れる曲を聞いている青年の
心情が歌われているようです。
あるビジネスマンの業績が有意義であったかどうかを検討するとき、
「生活を変えたかどうか?」ということが一つの判断基準になると。
どこかで読んだ記憶がある。
芝生で寝転んでいても、ラジオから流れる音楽が、簡単に楽しめるように
なるというようなことが、「生活を変える」ということなんだと。
ものすごく、こまいことだと思うのだけど。
その「こまい一発」を繰り出すだけでも、めっちゃ大変なんだというのが、
事業の厳しさ。競争の厳しさなんだよなと。
だから、まず「生活のどこを変えたいのか?」
これを、決めてから、的をしぼって、限られた資源を有効に使って、
目標達成に向けて、努力しないと、なにも変えることができないで、
「試合終了」になるのだと。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130810/fnc13081011130004-n1.htm

トランジスタラジオは、多くの理工系学生を魅了した。日立製作所半導体事業を育て、後にソニー専務を務める牧本次生(76)もその一人だ。「真空管からトランジスタに切り替えるところに発見があり、米国に先駆けて専用半導体を開発した。新しい『メード・イン・ジャパン』の誕生だ」。“ミスター半導体”ともいわれた牧本は当時の震えるばかりの興奮を今でも忘れない。