いよいよ、「原子物理」の章立てに入りました。
長かった「難系の旅」も終焉を迎えようとしています。

例題108 大阪大学からの出題みたいだけど、
この問題作った人は相当SFが好きな人だったのかな。
私も、Google検索してびっくりです。
光が粒子であるならば、宇宙にうかべたヨットの帆に
粒子をぶつけて、その反作用で、ヨットを加速させろという原理について
計算させる問題。


力積の計算を、「期待値計算」と絡めて、求めさせる。
力と時間を掛け合わせたものが、運動量の変化量と同じに
なりますねということを使います。
力学の応用問題チックに作られている。


帆船と太陽の間で、万有引力が作用していますねと。
この力と、光の粒子が、ソーラーセイルを推進させる力が
つり合うときの、太陽と、帆船の距離を計算しなさいと。

続いて、物質波の問題。
とある一人の理論物理学者が、仮説を思いつく。
その仮説が、正しいかどうかは、実験によるしかないと。

ルイ・ド・ブロイはルイ14世によって授爵された貴族ブロイ家の一族として、1892年にフランスのディエップに生まれた。はじめはソルボンヌ大学で歴史学を専攻したが、第一次世界大戦時、通信員としてエッフェル塔に配属されていた際に物理学に興味を持った。戦後、ソルボンヌ大学で物理学を修め、1924年に物理学の博士号を得た。1926年からはソルボンヌ大学で教え、1928年にはアンリ・ポアンカレ研究所の理論物理学教授となった。そして1929年に「電子の波動性の発見」によってノーベル物理学賞を受賞した。
1962年にアンリ・ポアンカレ研究所を退官し、1987年にパリで死去した。
アインシュタインは1905年に自らの論文において、光電効果を電磁波を粒子として解釈することで説明した。1923年にコンプトンが電子によるX線の散乱においてコンプトン効果を発見し、この光量子説は有力な証拠を得た。これらに影響を受け、ド・ブロイは逆に粒子もまた波動のように振舞えるのではないかということを1924年に自身の博士論文で提案した(ド・ブロイ波)。この理論は1927年にトムソンやデイヴィソンによる実験によって支持され、シュレーディンガー波動力学を定式化するのにも使われた。また1928年には日本の菊池正士 も雲母の薄膜による電子線の干渉現象を観察している。

「粒子」だと、思われていたものが、実は「波動」なのではないかという仮説。
だったら、「波動」の項目で勉強した「干渉」という現象の観察が
「できない」と思われそうなところで、可能かどうか確認しましょうという問題。

電位差がもっているエネルギーの計算出来ます?
運動エネルギーの公式は出てきますか?
波長と、プランク定数、運動量の3つの関係式は?
薄膜干渉の学習覚えていますか?
2本の入射光の経路差の計算を、ミクロな電子がピュンピュン動く世界でも
やっていきましょう。
二つの波が、強め合う条件の計算も「波動」の演習でさんざんやりました。
経路差に割り込む波長を目一杯長くとるという考え方にも慣れましょう。

電子が、結晶格子に入射する直前は、もっているエネルギーが全部運動エネルギーに
なっていると。
入射すると、電子のもつ運動エネルギーと、電位差がもっているエネルギーという
二つの形でエネルギーを保存します。
入射の前と、入射の後の、縦軸、横軸における運動量の変化にも注目。
横軸において、運動量の変化がないということ。
それと、屈折の法則もきちんと使えるようになる必要あり。