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「失敗の本質」とかいう本があったなあ。そういえば。
こういう話も、企業であれ、学校であれ、色々な能力のある人が
いるのにも関わらず、何かをやろうとしても、うまくいかないことが
たくさんある。これからも失敗に終わったり、立ち消えに終わったりするプロジェクト
のほうが、多いのが現実だと思う。
だからこそ、こういう話は、面白い。
「失敗の教訓の反面教師として」

 オープンソース世界では、他者に何かを強制する道具立てがまったく存在しない。「お前、これをやれ」と人に強いるための裏づけがない。経済的な取引という概念も存在しなければ、雇用関係を基盤とする組織的指示命令系統も存在しない。すべては参加者の自発性だけに委ねられて、プロジェクトが進行する。プロジェクトが成功するも失敗するも、すべて参加者の自発性次第なのだ。ならばその自発性はどこから生まれるのだろうか。そこにオープンソースを考える本質がある。

これはたしかに、面白い視点なり。
受験指導関係者の理想とするところは、子供の自学自習による
偏差値アップです。教室に通っていても、あえなくこぼれていく子供が
圧倒的に多い。家庭教師がついても、その時間しか勉強はしない。
ほうっておいても、かってに何かをやる集団がいつだって最強です。
じゃあ。どうやってそこまでもっていくのかということになる。
教材のウェブによる共有。
学習実施スケジュールのオンライン管理。
達成の満足を、家族の間で共有していく。
受験指導者は、よりよい解答・解説を目指していく。

「私の動機は利己的なものです」
 まつもとはきっぱりとそう言った。自分が欲しいものを作っているだけであると。
 そして、利他的な気質とか奉仕の精神がオープンソースの本質なのではないと彼は断じた。本質は、あくまでも利己的な理由に基づく自発性なのだと。
 なるほどリーダーはそうなのかもしれない。リーダーは達成目標を持ち、その実現に向けての強い意志を有するからだ。
「でもその周囲に集まってきて、プロジェクトに貢献する人々の動機はいったい何か」
 私はまつもとに問うた。まつもとからは、私が一度も考えたことのない答えが返ってきた。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」 

たくさんの人間を、プロジェクトに巻き込んでいくための大事な要素が
ここには、ある。
天才的な少数が、どんどん進んでいくのではなく、
「問題を投げる」ことだけする。

世界中に知的レベルの高い人々は本当にたくさんいるが、その大半は自分で問題設定することができない。プログラマーの世界で言えば、プログラミングは好きだが何のプログラムを書けばいいかわからないという人が世界中に溢れている。成功しているオープンソース・プロジェクトは、そういう人々に対して、次から次へと「適切なサイズの問題」を供給するのだ。たとえばリーダーが大きな構想を打ち出していればいるほど、また新規機能の開発が進めば進むほど、ちょっとした不具合や、構想こそあるけれど開発が遅れている項目などが、「適切なサイズの問題」として不特定多数に提示され続ける。

Vision だけを提示する。

受験指導研究会のVision

徹底的な自学自習
復習重視
和田式「暗記数学」の算数学習への応用を徹底する。
「暗記算数」の学習を継続性をどうやって担保するのか?
復習の方式、小学生が、「暗記プリント」「暗記問題」を作成する
ために、どういう工夫がいるのか?
学習スケジュールはどうやって設計するのか?
「教師」という限られたリソースをどうやって適正配分するのか?

時間重視(ストップ・ウォッチの感覚で、問題を解く)
教養重視(本はどんどん読んでもらう。)
どんな本を読めばいいのか?
どうやって、少しずつ読ませていけばいいのか?

継続的に「いい問題」が供給されるなら、プロジェクトは成功する確率が高い。まつもとの見解はこういうことであった。私の目から、うろこが何枚も落ちた。
「新聞にクロスワードパズルが載っているでしょう。あれですよ。見つけると解きたくなる人がいる」

クロスワードのギャラリーを作ってしまえば、あとは、かってに
事態は進行すると。
初期条件を設定すれば、自動的に「シム」が集まって町をつくる
という発想にちかい。
そういうふうに、ミセカケをどうやってつくるのかということが問題。
実質的には、少数の技術者の産物であっても、
多人数参加型のパターンをどうやって演出するのか?

クリスチャン・まつもとは、徹底したリアリストであった。そしてだからこそ、彼の語る成功のカギは、オープンソース世界のリーダーシップの在りようを超え、人を率いて何かを成し遂げようとする私たちのすべての行為に通用する普遍性を帯びているのだった。

たしかに。
カール・シュミット「独裁」と正反対の発想なような・・・。

一人の強烈な「個」が何かを引っ張るというのではない・・・。
リーダーシップのあり方を「超えて」しまうと、そこには、
「システム」だけあれば、とにかくまわるはずだという落とし穴にはまる。

存在しないようにみえるリーダーシップをどうやって構築するのか?