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ものすごいものが、公開されました。
よう作ったな。作者に脱帽します。

日本の学歴社会は、受験で、いい点をとれるかどうかが、やはり大事。
そこで、受験の成否を決めるのが数学と物理。

やはり、この2科目で、ばっちり高得点をとることができるかどうかが、大事です。
たぶん、大手の学習塾の大半は、算数、数学、物理で、高得点をとることができる生徒さんに
関しては、授業料をとっていないのではないかと思う。

すくなくとも、大学に入学するという段階までは、数学と物理は、子供の学科教育という
領域においては、圧倒的に重要な重みをもっていると、少なくとも私は、思う。
ということは、受験業界に体をおいて、稼ぐということが、仕事の私にとって、
文系出身というのは、とても痛い。
高等数学を駆使した、学問のトレーニングを受けていない。
だったら、自学自習するしかないということで、
「評価が確立された数学の書物」を、丁寧に読んでいこうということにした。
少しでも、数式によって、知識内容が記述される学問に対するアレルギーを減らしたかった。

少しでも、まともな数学や物理の書物を探していると。
どうも、東京大学の理学系研究者が、推薦する書物には、ロシア人によるものが多い。
なぜか、東ヨーロッパ系の研究者がよく出てくる。
しかも、政治体制を構築する際の価値観の根源に社会主義を置く国が多い。
そういうわけで、数学と物理のまともな知見を得ないと、家庭教師としてのサバイバルが危ういという
意識の中で、ソビエトや、東ヨーロッパの動向というか、歴史というものが、
気になるものになっていった。

よい算数・数学・物理教育を施すことができないと、家庭教師として、いきていくことは難しい。

そのためには、自分が数学・算数・物理に習熟していないと、教職の立場を全うできない。

そのためには、日本や世界で、数学が出来る人間を先生にする必要がある。

結果的に、世の中で、数学や物理がとてもよく出来る人間は何者だという問題意識が浮上する。

よい教育を受けたいとおもったら、よい教師を探す必要があるという古典的な問題意識がここにはある。

東京大学や、京都大学で、数学や物理の研究をしている人間だったら、きっと数学ができるのではないだろうか。もしくは、
大学入試をうけた時点で、数学の成績がよかったはずの医者のなかにも数学が強烈にできる人間がいるのではないだろうかと思った。

じゃあ、彼らはどうやって、物理と数学の勉強をしたのかと思った。
彼らと同じ書物を読んでいったら、ある程度、数学と物理の何たるかをつかめるのではないかと思った。
別に、数学と物理の新発見は、どうでもいい。でも高等数学を駆使する学問の動向をキャッチすることは出来ないだろうかと思った。
それが、自分の家庭教師としての研修になるのではないかと思った。
ファインマンとの出会いも、そういう過程の中でのものだった。別に本人に会ったわけではないけど。
梅田氏の「Web進化論」も、数学と物理の才能があり、かつビジネスの才能にも恵まれた人間が、何を成し遂げたのかという問題意識から、
私の中で、大きなものを占めるようになった。
コンピューター・ゲームを開発するということも、その一環のなかで、興味を持った。

日本人研究者、実務家も含めて、数学のセンスのありそうな人間が、推薦するテキストが、誰によってかかれたものなのかについて
注意するという習慣がつくようになった。

その結果、たどり着いたのが、ソビエト連邦や、東ヨーロッパだった。

算数や、数学、物理が強烈に出来るという才能は、やはりどこの国でも貴重だったんだろうという結論になった。
そうすると、この才能をもっている人間と、もっていない人間の間には、どんな関係が成立したのかという意識が次に浮上する。
さまざまな国家の歴史において、
政策の選択に迫られたとき、この人間関係がどんなインパクトを与えたのかに興味がある。

選択肢A アメリカと戦争をする。

選択肢B アメリカと和睦をする。

数学的な合理性を勘案したとき、選択肢Bをとるべきだったとしても、
数学と物理の才能が、均一に分散していない社会で、政策決定を行ったら、果たして、その国の政策の選択は、どういう結論になるのかという
意識が浮上した。

家庭教師として、子供の教育に関わるという中から、自分はひとつの人間関係に着目する。
数学と物理の才能がある人間とない人間の人間関係。

そして、もうひとつの、人間関係。
お金をもっている人間と、お金をもっていない人間の人間関係。

財産を所有している人間と、財産を所有していない人間の間の人間関係。

この両者は、仲良く、世の中で、共存していけるのだろうかという意識も持つようになった。
そして、

財産を所有している人間=物理と数学の才能をお金で買うことが出来る
財産を所有していない人間=物理と数学の教育を十分に受けることが出来ない。

という図式が成立するのかどうかということが、問題意識として、浮上するようになった。

どうやら、いろいろなデータや、経験を総合すると、そこまで単純ではなかったらしいという
ことがいまのところの結論。

物理と数学の才能がある人間と物理と数学の才能がない人間の間の人間関係→関係Aとする。

財産を所有している人間と、財産を所有していない人間の間の人間関係→関係Bとする。

それでは、この関係Aが、関係Bに影響を与えることがあるかどうか?
逆に、関係Bが、関係Aに影響を与えることがあるかどうか?

私の、問題意識は、そこに収斂しているように思える。

そして、関係Aと関係Bにおいて、平和をもたらすことが出来るのかどうか?
そこで、自分ができることは、あるのかどうか?
あるとしたら、それは何か?

科学的教育グループSEG

アレクサンドル2世の自由主義的改革の目玉が、1861年の農奴解放令。当時ロシアには2000万の農奴がいた。かれらが自由な市民となり、ロシア国民としての自覚をもつことでロシアは生まれ変わることができると皇帝は考えた。ところが、実際に農奴を支配している貴族たちは、本気で農奴を解放する気はありません。形だけの解放になる。身分は自由になっても、土地は貴族のものですから、結局変化はない。農奴時代の年貢よりも高い小作料を払わされて、かえって生活が苦しくなったりするのです。農奴解放といわれて期待していただけ、農民の失望と怒りは大きくて、農民一揆が続発します。1862年に884件、1863年には509件の農民蜂起が起きている。皇帝としては、せっかく自由を与えてやったのに農民どもは何をやっているのだ、と逆に農民に対する不信感が増す。
 さらに、1863年には、アレクサンドル2世の自由主義的政策に刺激されてポーランドで独立反乱が起きます。これは、またもやロシア軍に鎮圧されて失敗するのですが、皇帝はこれらの経験を通じて、自由をあたえれば臣民たちは増長し、勝手な振る舞いをして、国を乱すだけである。こんな連中は、やはり上から押さえつけるしかない、と考えるようになってしまった。

皇帝は、ロシアという国の政治体制を変革することで、富国強兵を実現したかった。
それは、農奴に対して、「あなた方は自由だ」
というメッセージを送ることで、実行された。

では、農奴のほうで、このメッセージを、皇帝が、理想とする方向で受信したのかといったら、そうではなかったらしい。
というより、農奴の身分から解放されて、さあ、自由に経済活動をしようという方向にいこうとしても、その経済的な基盤がなかった。
皇帝のメッセージを受信して、彼ら自身いい方向に変身することが出来なかった。

皇帝が、最高権力をもって、発信したメッセージは、受信してほしい相手に、理想的に受信されはしなかった。

皇帝と農奴のコミュニケーションは、成立することがなかった。

間にたっていた貴族が邪魔をしたということか。
そして、僕は、ここに、関係Bにおける軋轢を見る。
関係Aは、ここにおいては、メリットよりは、明らかにデメリットを生んだ。
土地にタネを植えて、収穫したものを売るという、ローテクで素朴なビジネスモデルは、収益を生まないし。
イノベーションだって、おきない。
人民の圧倒的多数が、土地に縛りつけられることなく、工業で、生活していく社会のほうが、高付加価値を生み出し続ける。
それは、結果的に、軍事力のレベルに直結する。


キュリー夫人として知られているノーベル賞を取った女性科学者マリー=キュリーは、この独立運動鎮圧後のポーランドで少女時代をおくっていて、伝記をみるとロシアの支配のようすがわかって面白いです。ポーランドの学校では、ロシア語で授業をさせられ、ポーランドの歴史など民族主義的な授業は禁止されていた。ところが、生徒も先生もポーランド人なので、ロシア人の監督官の目を盗んで、先生はポーランド語でポーランドの歴史を教える。監督官が学校にやってくるのが窓から見えると、先生はサッと黒板を消して、生徒は机の中からロシア語の教科書を出して、さも今までロシア語の勉強をしていましたという振りをするんです。監督官が教室に入ってくると、先生はマリーをあてる。小さい頃から賢かったから、あてられたマリーはロシア語でスラスラと答える。それを見て、監督官は満足そうにうなづいて、教室から出ていく。そんなことをやっていたそうです。そういう中で、ロシアへの反感と、独立への想いがいっそう強くなっていくのです。人の心は強制できない見本のような話です。

キュリー夫人のような人は、物理学の人。
関係Aが、問題になってくる人。

それはともかく、結局アレクサンドル2世は、自由主義的政策をやめて、180度方向転換。ツァーリズムとよばれる皇帝による専制政治を一層強化していきました。

 しかし、西ヨーロッパの自由主義的政治体制を理想と考え、ツァーリズムに反対する知識人や学生が、当時のロシアにはある程度生まれていました。イギリスやフランスに留学して、ロシアの後進性を肌で感じている人が結構いるのです。こういう知識人のことをロシアではインテリゲンツィアという。略してインテリ。日本語になっていますね。
 こういう反体制派のインテリたちが、政治改革をめざして1870年代から80年代にかけておこなったのがナロードニキ運動です。「ヴ=ナロード(人民の中へ)」というスローガンをかかげたのでナロードニキ運動という。
 これは、学生たちが農村へどんどん入っていって、政治意識の遅れた農民たちに啓蒙運動をしようという運動です。貧困で苦しむ農民の意識を変えなければ、ロシアは変わらないと考えたのですが、彼らの行動や考えは農民にはなかなか理解されなかった。
 農民からすれば、いきなり都会の若者が村にやってきて政治宣伝を始める。「自分で働きもしない貴族か金持ちの坊ちゃんが何を言うとる」、という目でインテリたちを見るのは当然です。活動家たちは、「農民よ、めざめよ、立ち上がれ、皇帝政治に反対せよ、革命だ!」と説いてまわる。普通の意識の農民たちからすると、ビックリするような危険なことを言っている。多くの農民たちは、皇帝に対しては素朴な敬愛の感情を持っていたそうですから、とんでもないことを言う怪しい連中だと思ったようです。
 レーピンというロシアの画家に「ナロードニキの逮捕」という絵がある。これはナロードニキ運動の活動家が逮捕された瞬間を描いている。場所は農民の家の中。若い学生が、農民の家を訪問して、皇帝の専制政治を批判したのでしょう。驚いた家の者が一人こっそり役所に知らせにいった。知らせを聞いて駆けつけた警察官に逮捕された所です。若者は拘束され、鞄の中の書類を調べられています。部屋の奥の暗いところにいるのが、この家の農民たち。暗くて表情はわかりませんが、若者に対して何の共感も抱いていないようですね。
 政府によるナロードニキ運動に対する弾圧は激しく、逮捕された若者の多くがシベリアに流刑になった。農民の支持を得られなかったナロードニキ運動は、80年代を過ぎると衰えていきます。そのなかで、一部の活動家は、テロリズムに走りました。まどろっこしい啓蒙活動よりも、直接的暴力でツェーリズムを倒そうと考えたわけだ。何度か、皇帝の暗殺未遂事件が企てられ、ついに1881年、アレクサンドル2世は、乗っていた馬車に爆弾を投げつけられて命を落としました。しかし、皇帝を暗殺しても、次の皇帝によって専制政治は引き継がれ、何の解決にもなりませんでした。

ここに、関係Aと、関係Bが、悲劇的な結末を迎えたひとつのモデルケースを見る。

インテリゲンティアのメッセージは、農民に届くことはなかった。

メッセージが届くことがなかったということは、

農民は、そのメッセージを理解することがなかったということであるといえる。

メッセージを理解するということの定義が、

メッセージの言葉の内容を辞書的に理解する。

メッセージの内容にそって、意識や行動を変化する。

という広い、深い意味内容を含むのであれば、

インテリは、農民に、どうやって、メッセージを発信したらよかったのかという意識が、後付で問題になるように思う。

人間と人間の関係において。
誰かが、誰かに何かを伝えたい。わかってほしいという意識を持つとき。

おそらく、人間Aは、人間Bに対して、なんらかのことを、言うだろう。

それでは、発信するメッセージは、いかにすれば、明晰なものになり、誤解のないものになるのか。

そのとき、確実に人間Aから、人間Bに伝達されるメッセージは、数式によって、成立するのか。
それとも、言葉によって成立するのか。

数式によるコミュニケーションのメリットとデメリットは何か?

言葉によるコミュニケーションのメリットとデメリットは何か?