第3部 標準ライブラリ

このパートでは、C++標準ライブラリを説明する。標準ライブラリがどのように設計されているか、標準ライブラリの実装で使われている主要なテクニックがどのようなものかを示す。
このパートは、標準ライブラリの使い方についての理解を深め、一般的に役に立つ設計、プログラミングテクニックの具体例を示し、標準ライブラリの設計意図に沿って、標準ライブラリを
拡張するための方法を説明することを目的としている。

第16章 ライブラリの構成とコンテナ

それは新しく、唯一無二で単純だった。成功は間違いない! H.Nelson

この人が何者なのかは、Google検索をしても、わからなかった。

16−1 ライブラリの設計
 16−1−1 標準ライブラリの設計
 16−1−2 標準ライブラリの構成
 16−1−3 言語サポート

16−2 コンテナの設計
 16−2−1 専用コンテナ と反復子
 16−2−2 基底クラスを使ったコンテナ
 16−2−3 STLコンテナ

16−3 vector
 16−3−1 メンバの型
 16−3−2 反復子
 16−3−3 要素へのアクセス
 16−3−4 コンストラクタ
 16−3−5 スタック演算
 16−3−6 リスト演算
 16−3−7 要素のアドレッシング
 16−3−8 サイズと容量
 16−3−9 その他のメンバ関数
 16−3−10 ヘルパ関数
 16−3−11 vector<boot>

16−4 アドバイス

16−5 練習問題

追記

藪の中 (講談社文庫)

藪の中 (講談社文庫)

映画「TAJOMARU」オフィシャルサイト

登場する中で、よく日本史の教科書にお目見えするのは、足利 義政
「御所様」と呼ばれて登場する。
モデルになっている人物のプロフィールが暗いので、なんとなくショーケンの役どころも
暗いです。
映画の登場人物 直光・信綱は、「畠山」の人ということになっています。
管領というポストを、代々受け継いでいたのも史実にあっているようです。
そして、この一族は、「御所様」が将軍になるのに、一役かっていたのですね。

室町時代というと、どういうイメージがあるでしょうか。
「日本史の授業が一番つまらなかったところ」
私は、これなんですが。
日本列島で、主導権をもっているのが、誰かよくわからない部分があるので
退屈だったような気がします。
時系列にそって、何かを覚えるというのも、とてもやりにくかったように思います。

将軍職就任 [編集]
永享8年(1436年)1月2日、第6代将軍・足利義教の三男として生まれる。嘉吉元年(1441年)、父の義教が嘉吉の乱で赤松満祐に殺された後、将軍職は同母兄の足利義勝が継いだが、嘉吉3年(1443年)に第7代将軍の足利義勝も早世したため、義政は管領の畠山持国などの後見を得て、8歳で将軍職に選出され、元服を迎えた宝徳元年(1449年)に正式に第8代将軍として就任した。
側近政治への移行 [編集]
当初の義政は祖父・義満や父・義教の政策を復活させようと試み、また鎌倉公方(後に古河公方)足利成氏関東管領上杉氏との大規模な内紛(享徳の乱)に対しては成氏追討令を発して異母弟の堀越公方足利政知を派遣するなどして積極的な介入を行った。更に政所執事伊勢貞親を筆頭とする政所・奉行衆・番衆を中心とする将軍側近集団を基盤として守護大名の勢力に対抗して将軍の親裁権強化を図ろうとした。この時期の室町幕府を「義政専制」体制にあったとする説も存在している[1]。
だが、三魔と呼ばれる乳母の今参局(御今)・烏丸資任・有馬持家(おいま、からすま、ありまと、「ま」がつく3人を三魔と称した)や正室・日野富子の実家の日野家、有力な守護大名等が政治に介入していき、将軍としての政治の主導権を握ることは困難を極めた。それを思い知らせる事件が何度か起きている。当時の守護大名では家督相続に関する内紛が多く、義政ははじめこれらの相続争いに積極的に介入したが、加賀守護であった富樫氏の内紛では管領細川勝元の反対を受けて義政の意のままに相続権を動かすことができなかった。宝徳3年(1451年)にも尾張守護代であった織田氏の内紛に介入したが、尾張守護である斯波氏の反対を受けて義政の意のままに動かすことはできなかった。やがて、義政と守護大名達の対立の中で、次第に義政は政治への関心を失っていった。