ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学

ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学

CHAPTER 3 変換
  3.1 一般の変換
  3.1.1 直交行列
  3.1.2 掌性
  3.2 スケーリング変換
  3.3 回転変換
  3.3.1 任意軸まわりの回転
  3.4 同次座標
  3.4.1 4 次元変換
  3.4.2 点と方向
  3.4.3 w 座標の幾何学的解釈
  3.5 法線ベクトルの変換
  3.6 四元数
  3.6.1 四元数の数学
  3.6.2 四元数による回転
  3.6.3 球面線形補間

http://www.dentsu.ed.jp/subject/ddigital.html

デジタルゲーム制作の現場において、即戦力となるワーカー養成プログラムは、これまでにも専門学校 などで展開されてきました。しかし、デジタルゲームテクノロジーを核として、新たな産業領域を切り開いていく人材を育てるには、幅広い教養と専門領域の深化、さらには創造力や人間性が必要です。
併設の大阪電気通信大学デジタルゲーム学科は、大学として他に先駆けてスタートさせたもので、高等学校の本コースでは強く明確な目的意識を持った人材を育成します。この併設大学デジタルゲーム学科をはじめ、夢を実現できる理工系大学への進学をめざします。

wikipedia:ジュール・ヴェルヌ

wikipedia:ネモ船長

父のピエールは地元の弁護士であり、論理的な人であったという。長男のヴェルヌは父の後を継ぐために法律を勉強した。学校はナントのリセに行った。成績は普通であったが、特にラテン語をよくし、数学好きであった。1848年、ヴェルヌは父の勧めによりパリの法律学校へ進んだ。そこでヴェルヌは多くの芸術家たちと交流した。その一方でヴェルヌは、自然科学の論文も読んでいた。そのような中1840年代に、彼のお気に入りの作家であったエドガー・アラン・ポーが、小説に科学的事実を取り入れることによって、物語に真実味を持たせるという技法を示し、これに興味を持つようになっていった。

ヴェルヌの日本への紹介は、1878年(明治11年)、川島忠之助が『八十日間世界一周』の前編を翻訳刊行したのが最初である(標題は『新説八十日間世界一周』。後編は1880年(明治13年)に刊行)。同書はまた、日本における最初のフランス語原典からの翻訳書であった。さらに1896年(明治29年)、森田思軒が英訳からの重訳であったが『二年間の休暇』を翻訳して「十五少年」という標題で雑誌『少年世界』に連載し、単行書として刊行した。同書は、少年文学の傑作として評価され、多くの読者を獲得した。翻訳されたヴェルヌの作品は、翻訳文学史において大きな位置を占めた。

八十日間世界一周 (岩波文庫)

八十日間世界一周 (岩波文庫)

ヴェルヌの作品の多くは、子供用の物語として書き直されたり、映画やアニメのような映像作品の原作になったりと、広い人気を誇る。これは21世紀にまで続いており、ヴェルヌ作品は一種の共通認識になっていると言っても良い。
そういった人気の一例として東京ディズニーシーのテーマポート「ミステリアスアイランド」がある。これは『海底二万里』に登場するネモ船長が築いた秘密基地という設定である(かつてディズニーは『海底二万里』を映画化している)。
2008年3月に打ち上げられた欧州宇宙機関の欧州補給機の1号機には彼の名を冠している。

ジュール・ヴェルヌの世紀―科学・冒険・“驚異の旅”

ジュール・ヴェルヌの世紀―科学・冒険・“驚異の旅”

コタルディエール,フィリップ・ド・ラ
作家、サイエンスライター、元フランス天文学会会長

ドキス,ジャン=ポール
映像作家、元アミアンジュール・ヴェルヌ国際センター長

私市 保彦
1933年生。東京大学仏文科卒、同大学院比較文学修士課程修了。武蔵大学名誉教授

新島 進
1969年生。慶應義塾大学仏文科卒、同大学院仏文科修士課程修了、レンヌ第2大学で博士号取得。慶應義塾大学准教授

石橋 正孝
1974年生。東京大学教養学科卒、同大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学、パリ第8大学で博士号取得。日本学術振興会特別研究員


追記 記憶について  文芸との関係

河内小阪から梅田を経由して築地へ (内田樹の研究室)

こういう場合はむしろその語の一義的意味について合意されていると信じられているキーワードについて、「その定義でよろしいのか?」と一段手前から話をし始めるのが批評の骨法である。

読書行為に関与するどれかの器官が言語記号の入力に相関して発動するならば、それはすでに「読書」と呼んでよろしいであろう。

それより以前に身に付けていなければならないscanする力の育成の重要性に日本の国語教育者は気づいておられるであろうか。
scanとは、単純に言えば、「ひたすら文字を見つめる」ということである。

素読というのは「ひたすら漢文を音読する」だけである。
意味なんかどうだっていいのである。

大瀧さんはまさしくscan する人なのである。
音楽は浴びるように聴き、映画は包み込まれるように観る。
その全体をその中に入り込んで経験する。

それはかつて築地で育ち、そのあとそこを離れて50年ほど経ってから戻ってきた人が、すっかり変わり果てた景色を見ているうちに、「ああ、ここは川があったところだ」ということを「思い出す」のと同じような「記憶の再生」を大瀧さん自身が自分の身体を通じて現に経験しているということである。
大瀧さんは「観察している」のではなく、「思い出している」のである。

大瀧さんはそのときおそらく高速度で映像をscanしていたのである。
映画は「観る」ものではなくて、その中を「生きる」ものだ。