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数学史上最難関の難問と恐れられ、今年問題発表からちょうど150年を迎えたのが「リーマン予想」である。数学の世界の最も基本的な数「素数」。数学界最大の謎となっているのが、2,3,5,7,11,13,17,19,23・・・と「一見無秩序でバラバラな数列にしか見えない素数が、どのような規則で現れるか」だ。数学者たちは、素数の並びの背後に「何か特別な意味や調和が有るはずだ」と考えて来た。「リーマン予想」は、素数の規則の解明のための最大の鍵である。最近の研究では、素数の規則が明らかにされれば、宇宙を司る全ての物理法則が自ずと明らかになるかもしれないという。一方、この「リーマン予想」が解かれれば私たちの社会がとんでもない影響を受ける危険があることはあまり知られていない。クレジットカード番号や口座番号を暗号化する通信の安全性は、「素数の規則が明らかにならない事」を前提に構築されてきたからだ。
番組では、「創造主の暗号」と言われる素数の謎をCGや合成映像を駆使して分かりやすく紹介し、素数の謎に挑んでは敗れてきた天才たちの奇想天外なドラマをたどる。
数学の世界の最も基本的な数「素数」
およそ、受験算数・受験数学に手を染めた人間で、こやつにお世話にならなかった人はいないでしょう。おそらく。
この手の番組を、ある特定の業界への通信なのかなって、思います。
「一見無秩序でバラバラな数列にしか見えない素数」
古典的なテーマなんだよね。今にして思うと、おいらが高校生をやっていたときも、京都大学で数学をやっていたという若手の先生が、そんな話をしていた。
でも、そういう話を、授業でされても、「仕事」で数学を大学でやっている人間のライフスタイルと、受験のために、数学の勉強をする学生のギャップは
そんなに簡単にうまるものではない。
「受験数学」や「受験算数」の世界では、問題を設定することがまずないしね。
「受験」の世界では、タイムリミットがあります。
大学で数学の問題を解いている人間には、タイムリミットもないし、模範解答がついている問題を解くことはないでしょう。
そういえば、大学にいたころ、大学で数学を教える先生になろうとして、修行している先輩に二人、お会いしたことがあったな。
一緒にご飯も食べた。ご馳走してもらったかどうかは、残念ながら、はっきり覚えていない。
しかし、あのころは、ビジネスとして数学者を見るという発想はゼロだった。
今にして思うと、浅はかだった。受験で一番苦しめられるのが、数学ということは、「数学」を教えるスキルというのが、
少なくとも、教育の世界では、巨大なプレゼンスを持っているというところまで、想像することは、不可能ではなかったはずなのだが。
「法学部」に進んだら、「数学」をやらなくてすむのがうれしいと、思ってしまったとき、間違いが起きたような気がする。
数学者が数学を「語る」ことの良さ - hiroyukikojimaの日記
その棋士が、羽生や郷田の将棋をどのように感じ、どのように尊敬し、どのように愛しているかがわかる。それがわかるだけでぼくは、将棋が好きでいられる。ぼくは、「自分にわからないから好きじゃない」という人には、何かの傲慢さを感じる。世の中、わからないことだらけだ。でも、わからないことには二種類あると思う。「自分の人生とは関係のないわからないこと」と「わからなくても、自分の人生を豊かにしてくれるから、触れていたいこと」の二種類だ。
こういうメンタリティも、「学校の成績」というもので、数学の勉強へのプレッシャーを駆り立てられる状況から解放されてしまうと、わかるような気がする。
なんというか、わからないことだらけの中にいるほうが、頭にとっては、快適というような心境になることがある。
ただ、こういうスタンスで「数学」の教育の立場にいる人間が多数を占めるということが、「ビジネス」として、「数学」を学ぶという環境に、よいかどうかは、議論の余地があるかもしれない。
高校のときの数学の先生は、鬼だった。
でも、それにも、理の必然というか、合理性があったんだ。
その鬼の先生も、保護者の信頼は、あつかったのです。高校生のときは、それがどうしてなんだろうと思いました。
そして、時は流れて。色々ないきさつがあって、学生が、数学や算数と格闘する姿のそばにいることになり。
進学塾の算数の先生も、トップレベルの受験生に教える先生ほど、「鬼」が多いということになり。
それが、当然なんだよね。
この間も、数学や算数が、合格へのネックになっている受験生に、数学の先生からご指名が入って、「サシ」の指導が入るというエピソードを聞いた。
これに耐えた受験生は、見事合格。
でも、「さし」で算数の先生に向かい合う恐ろしさに耐えられなくて、個別指導から脱落した受験生は、涙を飲むという、笑えない話を聞いた。
受験の世界で、数学を眺めている人間にとって、「数学がわからないことへの恐怖」のほうが、存在感が大きいように感じる。
大学の研究の世界で、数学を眺めている人間にとって、「数学がわかることへの楽しさ」のほうが、存在感が大きいのだろう。
クレジットカード番号や口座番号を暗号化する通信の安全性
Official Google Blog: We've officially acquired Postini
クレジットカードの番号を安全に伝達できたり、口座番号を安全に伝達できたら、どんな「顧客」が喜ぶのか。
取引社会の中で、どんな地位なのか。
金融機関なわけだけど。うなるほど、お金もっている取引先。やまほど、個人情報テンコモリでもっている「政府」しかり。
仕事のレベルって、得がたい「顧客」を振り向かせるということだと思います。
そう、数学を理解するスキルは、得がたい「顧客」に振り向いてもらうために、必須のスキルだった。
本当のトップのトップだけど。
しかし、この構造は、よく考えてみたら、「数学」の先生と、受験の世界の関係にも当てはまっているように思う。
おそらく、このドキュメンタリーをみたほとんど人は、「素数の分布」の話と、「通信の暗号」の関係をロジカルに理解するなんて、
芸当は、できないわな。というか、私だってそうです。だから、「理解」したいのです。これ、「学問的な憧れ」とは、違います。
「スキル」として、ほしいです。
素数の謎に挑んでは敗れてきた天才たちの奇想天外なドラマ
ドキュメンタリーには、こういう脚色がいつだって、必要ですわね。そりゃしょうがないわね。
番組の最期に、フランス人の数学者が、「リーマン予想」の証明についての自分の「答案」を、封筒にいれて、閉じるというシーンが
あったけど。
どうなんでしょ。あの時に、NHKのスタッフが、「もしよかったら、その「答案」コピーさせてもらっていいですか?」
とか、聞いたら、あの数学者は、「いいよ」と応えてくれたのかな。
いや、よその数学者に、自分の「答案」を「盗作」される危険性があるからといって、ことわってきたのだろうか。
日本の数学者が、数人よってたかったら、彼の「答案」を「和訳」することはできるのだろうか。
ワイルズという人の「フェルマー予想」の「証明」の「答案」はネットにアップされていたな。
こういう「答案」を読んで、「理解」するスキルって、「売り物」にならないのかな。