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法学部出身の先輩が、文系はくたばれに近いことを言っているのに対して、
この人はマ反対な感じがしておもろいかも。
逆にいうと、文科系の勉強は授業なんか出なくても、本と論文を読んでいればできるのです。私は本郷で、ゼミ以外の授業は4回半しか出なかった。半分は途中で麻雀の面子ができた。
「先生」という単語は、「先に生きる」という意味からきているのだろうか。
「先に生きる」ということを、通過した人間が、後に続く人間に、一番まともに提供できるTIPSといったら、
「こうしておけばよかった」
という転ばない先の杖を提供することだろう。
今の日本の教育システムで文系選択をするというのは、事実上、学歴の形成を
高校でストップすることと等しい。
別に、大学のキャンパスという施設を利用するという対価を払わなくても、
本を読んでおしまいになることに、ばかばかしく授業料を、使ってしまうことになるだけ。
しかも、文系の学部で、「教員」を勤める研究者もまた、己の研究者としてのキャリアを
スタートさせる前の学歴編纂の過程で、「理系」の学習をストップしている蓋然性が
高い。
そこで、ストップした人間の思考のパラダイムは、そこでとまる。
自分が消化できる範囲の書籍を、うろうろして、Publishするだけとなる。
そんな人間の学習指導をうけた学生の進化も「止まってしまう」
文系の研究者というのは、一歩、大学の外を出たら、
「本屋の店員」と同じスペックしかもてない。
アルバイトとして募集されている書店で、本棚をつめているだけのジョブになる。
文系は、大学の外では通用しない職能になる。
圧倒的多数の学生にとって、大学は、職場の選択にはならない。
だったら、大学もそれにあわせたカリキュラムを編成したらいいのだが、そうはなっていない。
文系の選択をするということは、
「自分のパラダイムの中で、解析できない領域を放置しておく」
ということになる。
私が、理解する限り、
医者は、弁護士のやる内容を100%理解できる。
しかし、弁護士は、医者のやっている業務内容を結局は、理解できないのではないかと思う。
そんな二人が、共同作業をしたら、どちらが、イニシアティブをとるかは、火を見るよりも
明らかだ。
トヨタで、エンジンを作っている人間が、知的財産権が得意な弁護士と弁理士を理解するのは、
可能だと思う。
しかし、その逆は、ほぼ絶望的だろう。
なぜなら、多くの文系選択職業人には、高等数学をトレーニングした期間が、抜けているからだ。
おそらく今、就学中の生徒の多くも、数学と物理が、なぜ、学科として指定されているかの
意味をわかっていないだろう。
親が、メーカの技術者だったり、お医者さんだったりしなければ、おそらくわからないだろう。