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こんどもお母さんから代ゼミ・駿台で得た知識をもとに河合塾との比較のための質問が続くのですが,
ここでお母さんが河合塾の授業で使うテキスト構成をみながら気付かれたことがあったのです.
それは東大コースにしても医学部コースにしても私立大コースにしても,
ほとんど同じ教材をつかっている・・ということです.
実はこれはとても重要な発見で,
河合塾に限らず,駿台も代ゼミもそうなのですが,
コース名が違っていてもメインの使用教材はほとんど一致しています.
例えば英語で言うと,どこの予備校でも,
東大コース・難関国立医学部コース・早慶コースなどは
英語構文・英文法・英作文・英語総合の4つの授業で使われる教材はほとんどが重複します.
志望校が全く違うのにこれでいいのか・・というお母さんは不思議に思ったわけです・・・つづく
続きがとても気になります。
求められている基礎学力は、どこも同じという結論になるのかもわかりません。
過去の入試問題を分析する必要がありますな。
http://d.hatena.ne.jp/lionfan/20070204
1995年にロバート・モリスと最初のASPであるViawebを創立。Common Lispで書かれたViawebソフトウェアでは、ユーザーがインターネットストアを作成することが出来た。1998年、ViawebはYahoo!の45万5000株(4960万ドル相当)と交換でYahoo!に買収され、同製品はYahoo!Storeとなった。
他の先進国と比較すると、アメリカではキャリアを積む方法は一様ではない。たとえばアメリカ人は、大学を卒業したあとで医大に行こうと決心する。ヨーロッパでは普通、高校で決心する。
ヨーロッパのアプローチはすべての人には一つの明確な職業がある、という古い考え方の現れだ。人はそれぞれこの世に自分の「居場所」がある、という考えとたいして変わらない。これが本当だったら最も効果的なプランは、できるだけ早く各人の居場所を見つけることになるから、適切な訓練を受けることが当然となる。
アメリカでは物事はもっとチャランポランだ。だがよくかわっていない問題には静的な型付けより動的な型付けのほうがよいのと同じで、流動的な経済では、それは長所となることがわかる。これは特にベンチャーにあてはまる。「ベンチャー企業家」は高校生が選ぶキャリアではない。その年齢の人に尋ねれば、もっと保守的なキャリアを選ぶだろう。技術者、医者、弁護士といったよく知られている職業を選ぶだろう。
起業家は若い人々がなりたいと思うものではないので、転職がアリの社会なら、起業家はいっそう生まれやすくなる。
たとえば理屈の上では、博士課程の目的は研究者の養成だ。だが幸運にもこの規則は、アメリカではそれほど厳密に守られていない。アメリカではコンピュータ・サイエンスの博士課程にいる人のほとんどは、単もっと勉強したかったからというだけの理由でそこにいる。卒業後に何をするか決めてない。アメリカの大学院にいる学生は、研究職に進まなくても失敗ではないと思っているから、多くのベンチャーが生まれるのだ。
アメリカの「競争力」を心配する人は、もっと公立学校にお金を出せと言う。しかしおそらく、アメリカの公立学校のひどさには隠れた利点がある。あまりにひどいから、子供は大学入学を待ちこがれるんだ。まさに私がそうだった。私はほとんど勉強せず、どんな選択肢があるかさえ教わらず、好きに選ぶよう放っておかれた。これはやる気を失わせるが、少なくとも自由な心を持ち続けることができた。
悪い高校と良い大学というアメリカのシステムと、良い高校と悪い大学というアメリカ以外の多くの先進国のシステムと、どちらかを選べと言われたら、私は断固アメリカのシステムを選ぶ。みんなを失敗した天才児と思わせるより、大器晩成型の人と感じさせたほうがいいだろう。
他の先進国と比較すると、アメリカではキャリアを積む方法は一様ではない。たとえばアメリカ人は、大学を卒業したあとで医大に行こうと決心する。ヨーロッパでは普通、高校で決心する。ヨーロッパのアプローチはすべての人には一つの明確な職業がある、という古い考え方の現れだ。人はそれぞれこの世に自分の「居場所」がある、という考えとたいして変わらない。これが本当だったら最も効果的なプランは、できるだけ早く各人の居場所を見つけることになるから、適切な訓練を受けることが当然となる。
アメリカでは物事はもっとチャランポランだ。だがよくかわっていない問題には静的な型付けより動的な型付けのほうがよいのと同じで、流動的な経済では、それは長所となることがわかる。これは特にベンチャーにあてはまる。「ベンチャー企業家」は高校生が選ぶキャリアではない。その年齢の人に尋ねれば、もっと保守的なキャリアを選ぶだろう。技術者、医者、弁護士といったよく知られている職業を選ぶだろう。
起業家は若い人々がなりたいと思うものではないので、転職がアリの社会なら、起業家はいっそう生まれやすくなる。
たとえば理屈の上では、博士課程の目的は研究者の養成だ。だが幸運にもこの規則は、アメリカではそれほど厳密に守られていない。アメリカではコンピュータ・サイエンスの博士課程にいる人のほとんどは、単もっと勉強したかったからというだけの理由でそこにいる。卒業後に何をするか決めてない。アメリカの大学院にいる学生は、研究職に進まなくても失敗ではないと思っているから、多くのベンチャーが生まれるのだ。
アメリカの「競争力」を心配する人は、もっと公立学校にお金を出せと言う。しかしおそらく、アメリカの公立学校のひどさには隠れた利点がある。あまりにひどいから、子供は大学入学を待ちこがれるんだ。まさに私がそうだった。私はほとんど勉強せず、どんな選択肢があるかさえ教わらず、好きに選ぶよう放っておかれた。これはやる気を失わせるが、少なくとも自由な心を持ち続けることができた。
悪い高校と良い大学というアメリカのシステムと、良い高校と悪い大学というアメリカ以外の多くの先進国のシステムと、どちらかを選べと言われたら、私は断固アメリカのシステムを選ぶ。みんなを失敗した天才児と思わせるより、大器晩成型の人と感じさせたほうがいいだろう。