また「ゲゲゲ」にはまる。
主人公の田舎の両親が上京。
父が書いた三文小説を、共同出資で出版しないかという業者と
会うためという話を聞く。
母親は詐欺に違いないという。
父親は、ききれようとしない。
そんなところへ、村井の友人のうらき という男が登場する。
「素人の出す作品の出版を持ちかけて、資金を出させるという商売をしたい」
という提案をしてくる。
別に、その「作家」を売り込むのではなく、そこでお金を出させて、
仲介料かなにかをはねたいという魂胆が明らかになる。

〜〜〜〜
そんな筋書きをみていて、思い出したのがこんな会社。
代表土井英司ご挨拶 | ビジネス書を出版をしたい人の支援サイト エリエス・ブック・コンサルティング
どうやったら、本を出版して売り上げがたてられるのだろうとかそんな
ことを考えているときに、ネットでみつけた会社。
昔からある出版の商法のひとつが、いまも形をかえて、いろいろな
方法で姿をとどめているのを実感する。
そして、そこには、創業当初はいいようのない怪しさとセットなのだという
ことをいやがおうにも思いしらされる。
そういえば、印刷の会社につとめている友達が、
全国販売の雑誌の印刷のほとんどは東京の会社の仕事になっているという
ことを聞いた。
そういえば、このドラマの舞台も東京なんだよな。
そう、メディアの中心なんだよな、やはり。
そして、この素人出版の怪しさをさらに、濃厚に漂わせているのが
WEB2.0 なのかなと思う。

What Is Web 2.0 - O'Reilly Media

oubleClick --> Google AdSense
Ofoto --> Flickr
Akamai --> BitTorrent
mp3.com --> Napster
Britannica Online --> Wikipedia
personal websites --> blogging
evite --> upcoming.org and EVDB
domain name speculation --> search engine optimization
page views --> cost per click
screen scraping --> web services
publishing --> participation
content management systems --> wikis
directories (taxonomy) --> tagging ("folksonomy")
stickiness --> syndication

本であれ、音楽であれ、映像作品であれ、発信者は無数におれど、
さて受信する人の現実はというと、そこには多様性があるのか予想を
こえた単純性があるのか、割り切れない部分がある。
いや、案外、みんな赤信号みんなでわたればではないけど、同じような
行動パターンをとっているのではないかなとか。そんなことを思う。
何がいいたいのかというと、「みんなが振り向くコンテンツ」というのは
ごくわずかにしか存在しないということ。
これはコンテンツに限ったことではなく、売り物になっているものは
一度、ブランドが確定すると、もう2位や3位は冷や飯くらい決定みたいな。
零細な環境で働いていると、そういうことを身にしみて、思う。
となると、「既得権」というものが出てくる。
すでに、評価が確立されていて、ブランド力のあるものを独占しているところが、
あらゆる局面で有利にビジネスを進めることができる。
新興勢力として、これを打破するには、「新しい目玉」というものを
どうやって出すのかというところで、死力をつくして、知恵をしぼる。
僕は、web2.0  というものが、多くの人間を巻き込んでいく過程の中に
この悲しい現実をかいま見る。
きっと、あるがままの情報発信者の実情というものをみると、
ごく一部のコンテンツプロバイダーがほとんどの視聴者をとらえてしまっている
のにも関わらず、ブログのようなビジネスをしている会社は
常に、一方で、玉石混合の中から、なんとか、次のコンテンツを出させようと
している。ここまで書いていて、自分は何を書きたいのか、よくわからなくなってきたことに気がついた。
それがいいのだと思う。自分の思考回路が、迷走しているということを認識するというのは、かなり貴重な体験なのではないかと思う。
迷走していることを自覚するなかで、「趣旨」を明確にするにはどうすればいいのかということを、はじめて切実に考えるようになる。
なにをいいたかったのかというと、
「いわゆる素人に対して、「あなたにもできることがある」というメッセージを発信して、不特定多数の人間を巻き込んでいく」
という運動のスタイルは、政治や、ビジネス、文化の、ありとあらゆるという
ところに存在するということだ。
そして、この運動の背景に、
「あなたにもできることはある」というメッセージをうけとるはずの人たちは
おもったより少ないのかもしれないということ。
いや、ここで、多いと見積もるのか、少ないと見積もるのかで、また
ものの見方というか、世の中に対する見方が出てくるのだ思う。
なにが、いいたかったかというと、
「あなたにもできることがある」というメッセージを発信し続ける
ほうは、このメッセージを信じさせるために、
「できること」が「できるようになるために」
「ハードルを下げ続ける」という努力もまた惜しんではならないみたいな
状況に追い立てられる。
ブログを執筆するということを、多くのネットユーザに巻き込んでいきたい場合などに、典型なのではないかと思う。
サイバーエージェントであれ、はてなであれ、ライブドアであれ、
「あなたにもできることはある」
というメッセージの発信とともに、そのために体制つくりに余念がない。
こういうことを、発信する一方で、
「ユーザにはできないことがたくさんある」
という現実を自覚して、ありとあらゆる手だてをうっていくというのは
どうも、当事者の頭にたいして、やさしくない結果を生んでいるような
そんな気がしてならない。
手を差し伸べているのか、相手を小馬鹿にしているのか、よくわからないみたいな。
そんな状態。
これもまたうまいこと表現できない。
そう、素人出版で、その人にお金を出させる商法が、どうも
昔からあった可能性があるという「都市伝説」から無理矢理話をひろげて
いきたいという思惑から、こんなことになった。
なにがいいたかったのか。
「参加型」
「不特定多数への信頼」というスローガンに対する、なにがさめたような、
そんな気分なのかもしれない。
自分が、読んでいるブログの人の日々の努力というか、
こんな人の力量には、まちがっても及ばないなとか。
そんなことを感じることがおおい今日このごろ。だったら、読まなければいいのではないかと思うのですが、そうもいかず。
そう、何がいいたかったというと、どんな運動にせよ、ビジネスにせよ、
本当に事態を動かしているのは思ったより数の少ない、少数なのではないかなと。
「あなたにもできることはある」というメッセージが、派手に拡散すればするほど、そこになにか陰謀のような、不健康な空気のようなものを感じる。
昔、学生時代に、指導教官の先生とゼミの学生で飲む機会があった。
そのとき、大学の教授は、自分が研究や教育の場としているコミュニティーを
「村」といったのをなぜか覚えている。
この「村」という表現を、つかったのは自分の指導教官だけではなかったかもしれない。おそらく、ほかの教授の人もこの言葉をつかっていたのではないかと
思う。
そう、その場は、「専門家」の場だった。
いろいろな人たちがいるわけではない。
そして、それなりに、いろいろな人の話を聞いているとき、
自分の思いもよらなかった「専門」の領域というものがたくさんあることを
知る。

  • そして、そこには、そこでしか、通用しないようなルールや、倫理があるのでありそれに適応できないと、その「村」で生きていくことはできない。
  • 流れというか、自然に任せていたら、そういうふうになるのが、
  • 「社会」なのだとしたら、
  • 不特定多数の人間が発信する情報が、いろいろな方面に行き交うことで
  • 生まれる付加価値というものに、いったいなにほどの価値があるのかと
  • そんなことも考える。
  • しかし、そういう「自然」に身を任せると、新しいことはなにも生まれなくなる。
  • 僕はどうしてこんなものを書いているのだろう。
  • そう、素人出版だ。
  • 発表の場を持たない人たちがいる。なにかいいたいことがあっても、
  • それをいうことができない。
  • そこに、「あなたも発信することができる」ということをいう主体の
  • なかに、昔から詐欺もまじっていたのかもしれない。
  • 問題は、この詐欺、つまり素人を巻き込んで、お金を集めたいというもくろみ。
  • 別に発表の場を現実のものにすることができるわけではないのに、
  • 場があるかのようにいって、お金を集めるといったたぐい。
  • IT のビジネスには、どうも、こういう怪しさのようなものがつきまとう。
  • IT の世界では、ブログのようなものが無料で提供されているから、
  • なんとなく、この怪しさがおおい隠されているようなそんな気分にも
  • なるけど、実際には、この素人出版の世界が背景にあるのだということを
  • 肝に銘じておきたい。そんなことをいったら、なんで僕はブログを
  • 書いているのだということになるわけだが。
  • まあ、自分は、自分なりに、こういうものを、コツコツと書き続けることにそれなりのメリットを感じている。
  • なにより、ちょっと時間をあけて、自分が書いたものを読んでいる時、
  • 「ああ、あのときの自分はこんなことを書いていたんだな」とか、
  • そういう発見があるときにうれしい。
  • だれかに当てて書くのではなく、自分のために書くみたいな。
  • はたして、それでいいのだろうと、思いながら、このダイアリーも長く
  • 一般公開。
  • やっぱり、どこかで、自分の書いたものを、読んでほしいなとか、
  • そういう気持ちもあるよなとか。そんなことを考えた。
  • 読者っていうのがいらっしゃるのさ。
  • さあ、どんなコンテンツをお望みなのかしら。
  • 証券会社の新入社員の最初の関門は「営業」というのを聞いたことがある。
  • いまでもそのようです。
  • 「読者」というものを、理解するのに必要な体験と、
  • 「営業」の洗礼というのはきっと共通するものがあるのだろうなとか。
  • そんなことも考えた。
  • ううむ。
  • やはりとりとめのない内容になった。でも、こういった内容でも、
  • やはり自分のなかで、

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  • 「どんなことをいいたかったのだっけ」

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  • ということを、思考整理するのに、とても役に立ったような気がする。
  • どうにか、原稿用紙10枚をうめることができてよかった。
  • こういったことを続けることで、どうか「書く技術」が身に付きますように。

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