日本の近代 9 逆説の軍隊

日本の近代 9 逆説の軍隊

筆者プロフィール

1948年 宮城県生まれ 京都大学大学院法学研究科博士課程修了
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目次

プロローグ
8月15日
視点

1章 誕生
国軍の創設
封建制の克服
軍紀の確立

2章 成長
専門職への道
国土防衛
対外戦争

3章 爛熟
政党の挑戦
社会の挑戦
総力戦の挑戦

4章 変容
国家改造
幕僚政治
対ソ戦備

5章 エピローグ 自壊
戦いの破綻
軍紀崩壊

本書13ページ

8月15日以後の軍の解体の過程にも、こうした組織の論理が貫徹されている。あれほど頑強に、ときにはくるわんばかりに戦った軍は、意外なほど抵抗せずに降伏し、武装解除され、解体された。敗戦時、日本には陸軍547万人、海軍242万人の兵力があった。内地には436万人、外地には353万人である。当時の人口を約7200万人とすると、その11パーセントが動員されていたことになる。まことに膨大な動員数であった。この膨大な軍隊の大半が承紹必謹のもと、ごく短期間に、ほぼ生前と解体されたのである。

間隔をおいて、すこしずつ読んでいってようやく終わったという感じです。
この本にどうやってアプローチしたらいいのかというのも、かなり頭を
悩ませます。
二つの方法で、迷います。
まず、この本の内容がもっている、よいところ。つまり、わたしが読んでいて、
勉強になったなと思うところは何かということ。
こういうところを中心に書いていく。
もう1つの方法は、この本に書かれていないことで不満が残るところ。
この本のタイトルは、「日本の近代 逆説の軍隊」ということになっている。
「軍隊」という用語を使っている。「軍隊」は戦前、もっぱら「陸軍」と「海軍」で
構成されていた。ところが、本書で、海軍というのはほとんど登場していない。
実は、この点については、この本の筆者自らが、はっきりと書いている。日本陸軍と日本海軍のうち、日本海軍のついての記述を一切カットしていること。*1
日本政府が、軍事予算として使ったお金の分配という点でも、海軍のほうが割り振られた金額が
大きかったとも、はっきり書いている。しかしながら、筆者の問題意識に引っ張られる形で、
この本は思いっきり戦前の陸軍の歴史にスポットライトが集中してあたることになってしまった。
今、はやりの「坂の上の雲」の英雄がもっぱら日本海軍の話になっていることを考えると、
かなりのアンバランスだけれども、大学の研究者がここまで真正面から本書のようなトピックを
扱うことはあまりないのかもしれない。あまりないだろうし、これからもないだろうから、
これを機会にバランスいい本を残しておいてほしかったなとも思う。
だから、不満は残るけど、この本は貴重かなとも思う。
書かれていないことで、あれこれと不満をいってもしようがないので、書かれたことで何か書いてみようと
思う。
軍隊というのは、戦って戦争に勝つことを目的に設立された組織だと、考えられる。
ということは、戦争で兵隊が列島の中や、海外で戦闘を繰り広げる時以外は、(現在の自衛隊はそうだと
思うけど。海外派兵をのぞいて。)基本、待ちの姿勢になる。
そこには、「戦闘」というものからは、一歩はなれた生活というものがあっただろうし、
その時の「秩序」「感覚」というものがあったのだと思う。
こういったものは、多分に感覚的なものであるので、それを、テキストをベースにして文章に
仕立て上げるというのはなかなか至難の技となる。
わたしにとっての軍隊というものの印象論は、2、3のエピソードで構成されている。
大学を卒業するまでばりばりの体育会系だった親戚が、航空会社に就職したとき、新入社員の研修で
派遣されたところが、陸上自衛隊の訓練所だったということ。
体育会系だったので、親戚の自衛隊での評判はとてもよかったらしく、スカウトまでされたのだそうだ。
これは、おそらく本当だったのだろうと思う。当時、この航空会社に入社できる人は「エリート」
と目されていたそうで、なかには、ひ弱な人もいたとか。
そういう人は、重い荷物を背負って、ジャングルみたいな森林地帯を、全力でどこまでも駆け抜けるなどという
訓練メニューを言い渡されると、泣きべそをかいて、余力のあるほかの新入社員に助けを求めたという
話を聞いた。
この話を聞いたのは、もうずいぶんと昔の話だ。ところが、つい先日、面白いエピソードというか
ニュースを耳にした。
大阪府の府知事をしている人が、府の職員として働くことが内定している人たちを、自衛隊の訓練所に
送り込んだらどうだと提案して、それが話題になっているというニュースだった。わたしはそれを
聞いて、真っ先にこのエピソードを思い出した。
そして、この府知事はさらに面白いニュースを提供していた。
義務教育の通常年限数より短い時間で、必要な勉学を終わらせてしまい、さっさと大学教育を
受けさせて、国の経済発展に役に立つような人材を早期教育によって、どんどん育成しようという
試みをやっている韓国に視察にいくというニュースだった。はたして、府知事はいったのだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101105-00000021-yonh-kr
わたしには、縁遠い世界ではあるけれど、世の中には、戦争に反対するかどうかは別として、
「軍隊」「武器」そのものに対して愛着をもっている人というのもいるようだ。
そういう人は、自衛隊が定期的に行う「パレード」「公開訓練」のようなものを見学することが
楽しみなのだろうで。
そういう人と、それ系の話をしていたとき、「PMC」というものがあることを、数年遅れで知る。
国の軍隊を顧客にして、「戦える兵隊」を提供する、人材派遣会社のような組織。
「戦う組織」に役に立つ人材ならどんなスキルでも提供するということで、かなりの何でも屋的な
業態になっているということを、すこし調査してわかった。
わたしは、民間が、国に張り付いて、ビジネスができることで何かが、ないかと考えている1人であるので、
こういう話には、興味があった。
軍隊というのは、なにかこう、「聖域」というか、「誰にもとがめられないで、巨大な金額を動かせる組織」
というイメージがある。
ここ最近、わたしはフィットネスセンターでトレーニングをするということに夢中だったけど、
そういえば、「ビリーズ・ブート・キャンプ」だって、もとは、米軍で兵隊をしていた人の
アイディアで生まれたとか聞いたなそういえば。
そういえば、最近、軍隊にまつわるトピックをほかにも聞いていたことを思い出した。
スリランカ:米国政府の戦争犯罪報告書が広範な人権侵害を明らかに | Human Rights Watch
小さな子供が、まだ学業を終えていない段階で兵隊として動員されるという側面。
インプットをしたらもっと可能性のある人を、無慈悲に「消耗」させてしまう組織という側面。
そういう側面があるのも間違いないのだけど、わたしは、職業がら、軍隊が果たしてきた
「教育機関」としての顔にどうしても注目がいく。
わたしの父は、アメリカの大学に留学していたことがある。そのとき、米軍の徴兵にのったおかげで、
今は、米軍から出してもらえる学費で、スキルになることを大学で勉強できるという学生にも
たくさんあったとのこと。これはもうかなり昔のことになるけれど。
自衛隊関連で、ニュースに登場した府知事も、学力テスト関連の話題でもよく登場する人だ。
そんなことを書いているうちに、もう1人、受験や教育のことで、定期的にフォローしている
人の話を思い出した。
どう日本の子供を鍛えなおすか?|和田秀樹オフィシャルブログ「テレビで言えないホントの話」

もう一つ、さらに印象深かったのは、番匠氏によると、日本の軍隊は、まじめさや隊の規律、あるいは戦車の列などでもほとんどくるわずに停車させて、整列できるという。
これについて、徴兵でなく、志願のシステムだから、まじめな人間が集まってくるのかと番匠氏に聞いてみたが、そうでもないということだ。
さらに、では、今のふつうの若者でもトレーニングでそうできると思うかというと、可能性を否定しなかった。
徴兵制が、戦争にいかないにしても、日本のゆるみ教育、ゆとり教育を受けた若者の再教育にいいという主張をする人は少なくない。
でも、実際にそんなものかもしれないような気もしてしまう。
少なくとも、全寮制で規律正しく教育をするシステムを、元不良少年やさまざまな形で脱落した子供たちの再教育のために作ることは、徴兵が無理な日本では、重要な可能性のように思えてならない。

そう、およそ教育関係に何らかの関わりのある人は、少なくとも、わたしのしっている限りで単なる
印象論になってしまうけど、「軍隊」の「教育機関」としての役割に、すこしさわっている。
わたし個人としては、自分の仕事も受験関連ということもあり、戦前の日本軍の「教育機能」に
興味があった。
ただ、「軍隊と教育」などというお題になると、どうしても話がきなくさくなる。
本書でも出てきたけど、軍隊が、新しく入隊していく兵隊に対して、「天皇」というものをどうやって
説明していたのかなどというトピックになってしまうと、あまり冷静な話にはならないだろうと
思う。
そうではなく、わたしが興味あるのは(和田先生もそういった方面に関心があるのだろうけど。)
「基礎教育」のほう。
軍隊での教育内容の「カリキュラム的分析」の側面。
本書 85ページ

統一兵制としてフランス式が採用されたことについては、さまざまな理由が指摘されているが、おそらく決定的であったのは、幕末以来の蓄積と語学の問題だろう。つまり、幕末に幕府がフランスから招聘した軍事顧問団の教育と横浜のフランス語学所の遺産があったからである。端的に言えば当時の日本にはフランス語のできるものが少数ながら存在し、彼らを通してフランスの兵制を学ぶことができた。これに反して、たとえば、ドイツ兵制を導入しようとしても当時の日本にドイツ語のできるものはほとんどいなかったのである。

軍隊でエリートになるための学校の入学試験の世の中でのポジション。(陸士、市ヶ谷? 江田島?)
学校での成績が、軍隊に入隊してからのキャリアにどういう形で影響を及ぼしたのかという側面。
本書 93ページ

前述したように、宇垣一成はその陸士1期である。宇垣は岡山の農民の子で、小学校を卒業して代用教員となり、正教員の検定試験に合格して村の小学校の校長となった。その間、軍隊の演習をみて、軍人にあこがれ、教員生活でためた資金をもとに、上京して士官学校の予備校である成城学校に1年間通い、1887年、士官学校の入学試験に合格する。20歳であった。宇垣のような地方の有為の少年にとって、軍人エリートの道はみりょくてきだったのだろう。

わたしの日常は、試験の点数で一喜一憂する子供と保護者の中にある。
その日常の風景をタイムマシンにのせて、いまはなくなってしまった組織のお膝元に飛ばしてみると、
どんなことがわかるのか。そんなことに興味があった。
本書 95ページ

だが、中学校から高校、大学へとすすむことに比べれば、軍学校への進学は経済的負担が少なくて済んだ。軍学校に進み将校となることは、比較的安価なエリートへの道だったのである。

軍人は、永続的で、強い軍隊をつくるために、どんな人材教育が必要だと考えたのかとか。
本書 101ページ

軍人の専門的識能向上に対する関心は、単に官製のものだけではなかった。彼らの間では自主的に兵学研究団体が組織され、軍事に関する新知識を学ぼうとの機運が広がっていた。たとえば、月曜会、砲工共同会、経理学会、騎兵学会、獣医学会などがそうである。こうした研究団体の主力は、士官学校を卒業した若手の将校であった。維新の内乱以来の実戦を経験した古参の将校にたいして、若手の将校が新知識で対抗しようとしたものだとも言われる。 メッケルの来日がそれに拍車をかけた。

以前のブログのエントリーでもすこしふれたが、過去からの遺産の中でほこりをかぶっているものを
探し出すというのは、自分の中のライフワークにしたいと思っている。
かつて、日本有数、世界有数に巨大化した組織が教育活動をどうやって執り行っていたのかという
ことに注目することは、その方法論の1つなのではないかと思っている。

*1:戸部 「わたしは今回、海軍のことについては全然ふれておりません。戦後いっとき海軍は非常に分が良かったといいますか、陸軍が悪役なら海軍はその反対。でも、わたしは陸軍が非常に政治的で、海軍が非政治的であったとは思っていません。」