京都大学の入試問題
どうやら、京都大学の入学試験の問題が、試験実施中に外部に漏洩したとかしないとか。
http://www.nhk.or.jp/news/html/20110303/t10014430741000.html
別に大学入試に限らず、問題の情報をいち早くキャッチするために
予備校が、学生をアルバイトに使うという手法は以前から聞いていたような気がする。
ことの適否はともかく。
問題が出されて、制限時間があり、自分ひとりでは解かなくてはいけないというシチュエーションは受験独特だと思う。
制限時間というのは、現実の仕事にもよくある。
締め切り、納期という名前になって、いつまでもまとわりつく。
もちろん、それがなんだか曖昧な仕事というのもなかにはあるだろう。
学生時代に、法律学の書籍をよく読んでいたわけだけど、執筆者の
前書きを読んでいると、「ものすごく執筆が進まなくて、編集者の人に
迷惑をかけた」
みたいなことが掲載されていたのを思い出す。
あれは、リップサービスだったのかどうかは本人に聞いてみないとわからない。
この間も、ゲームプログラミング関連の書籍の翻訳にかかわった人の
話を聞いていると、一冊の学術書を和訳するのに、2年半くらいかけたとか本人がいっていた。
これは、「翻訳の仕事があるんだけど、やらない?」
といわれたとき、この翻訳者に締め切りはなかったのではないかという
ことを推測させる。
そう、締め切りや、納期すらはっきりしない仕事というのもあるのだ。
「自分ひとりで解かないといけない」
これはどうか?
仕事でいえば、「自分ひとりで、やらないと
いけない。」
これも色々なケースが考えられるのだと思う。
本当に、自分以外、この仕事を処理することができないというシチュエーション。
仕事を任された人が、ほかの人に協力を要請することができないという
シチュエーション。
ゲームプログラミングの概略を学んでいて思ったのは、
巨大プロジェクトになればなるほど、多くの人の分業が必要に
なってくる。
「現実社会の仕事というのは、カンニングがあり。」
なんとなく、そんなことを思ったりする。
昔、芸能人のお子さんが、「替え玉事件」を起こして話題になったこともあったけど。実社会では、「替え玉」をいかにうまいこと見つけ出してくるのかということもとても重要な評価要素になると思う。
むしろ、本人の能力よりもそっちのほうが大事なのではないかと思う。
大学入試という場合ですら、実は、「替え玉」を動員する能力というのは評価されてもいいのかもしれない。
もちろん、今回の事件は「替え玉」という適否にまでは踏み込まれた
ものではないだろうけど。
しかしながら、騒ぎの発端として、「自分で、1人で解かないといけない問題を、外部の人に協力を要請するのはまずい」
という価値観はある。
もっともそうすると、今度は、「替え玉」を動員できるのかどうかというところで、受験生のリソースの格差が試験に反映されることになる。
だとしたら、その人、その人が生まれついてもっている学力の格差は
どうなるのかということにもなる。
自分ではできないから、ほかの人に頼むというのもそこまで邪道と
いっていいのか、そんなこともふと思う。
替え玉や、掲示板に心優しくアドバイスをくれる人がどれだけいたとしても、試験会場にいる受験生の助けにはならない問題を作ろうと
思ったら、それは可能なんじゃないかと思います。
大学でも「持ち込み可能」という試験ってあったでしょ。