ルポ 電子書籍大国アメリカ (アスキー新書)

ルポ 電子書籍大国アメリカ (アスキー新書)

アメリカにおける電子書籍市場の現状はどのようになっているのか?
アメリカの出版業界というのはどういうものなのか?
アメリカ人はどうやって書籍とつきあってきたのか?
今の電子書籍のブームというのは、一過性のものなのか?それとも
永続性があるのか?
こういった問題意識に一石を投じているのはないかな。
うむ。こうやって「問題の設定」を後出しジャンケンのように書いてみると、
なんとなく、字数を稼ぐための背骨ががっちり固まったような気がします。
電子書籍に関する本のエントリーはすでに何本か書いたなと。
いつ、どの本で書いたっけということを検索してもいいけど。
ひとまずは、郵便ポストに届いていた本を、そのままざっと流し読みした状態の
まま、原稿を埋めましょうと。
本のタイトルだけを読んでいると、てっきりアメリカ人は、すでに日本人の想像を
はるかに超えるペースで、Kindleみたいな機械をつかった読書スタイルをとっている
みたいな内容なのかなと思いきや、そういうふうにはなっていない。
むしろ、もっと読んでいて興味深い内容が多かったというのが読み終わったあとの感想です。
すでに、日本の出版社から出ている「電子書籍本」も読んできているので、そういう
ほかの読書とのつながりも含めて、さあ何を書きましょうかねと。
仕事がら、趣味の時間もとにかく本屋にいく回数というのは本当に多い。
仕事でも学習参考書を買うというプロセスは不可欠ですし。
それだけ、なじみがあるのですが、さて、この「本」を巡る業界がどういうカラクリで
まわっているのかが、実はヘビーユーザのわりにはあまりわかっていないなと思います。
大原さんのこの新書を読んでいても思ったけど。
なんで、本を巡る業界にややこしさを感じるのか。
まあ、ほかの業界を眺めても、同じような感慨をもつかのかもしれないけど。
まず、登場人物がとても多いように思える。
まずは、
本を書く筆者。
筆者の代理人(筆者のマネージャーみたいな人)
出版社(本の編集・印刷・企画)
取り次ぎ(本の卸問屋。出版社と書店を結ぶ。)
書店
売れ筋になった本で映画やテレビ番組をつくって放映する会社
コンテンツを制作する会社(電子書籍つくる会社なんてのも登場している。)
読者(本を買って読む人)
いや、リストアップしてみるとそうでもないのかな。
でもこころなしか、この新書を読んでいて、頭の中がごちゃごちゃになったような
気がします。
この新書の筆者は、ランダムハウスというアメリカの大手出版会社でも勤務経験があり、
アメリカの大学もご卒業ということで、ほかの類書に比べて、アメリカの出版業界に
関連するInsiderっぽい情報がかなり豊富に入っています。
そして、読んでいて、
電子書籍という形態が読者グループに普及するかしないかということが
筆者 出版社 書店の間での、読者が本に支払う「本代」をどうやって分け合うのか
というバランスの「変更」にどうつながってくるのかというところに帰結するという
ことがわかる。
これは、類書でも書いてあるけど。
出版社の役割と、書店の役割が減るわけでしょと。
読者に本の「内容」が届くのに、出版社の仕事と書店の仕事が減るのではないのかいと。
ただ、このものの見方がちょっと皮相すぎるのではないのかなということも
くわしく書いてあります。
それと、700万円あれば、PDFのデータがあれば、数分で本ができる機械という
ものがあるというのも驚き。
これは便利だな。欲しい。あったら商売ができそうだなと思ったり。
それと、アメリカの出版社で働いている有名人とか。売れ筋の本を書いている筆者とか。
これも、日本列島にいると、知らない内容ばかり。
日本でいうところの「アイドル」や「有名人」に、ゴーストライターをつけて、
「本」を書かせて売るという手法で、大金を手にした人とか。
そんな人もいるのだなと思いました。
筆者の「米国生活経験」からいうと、電子書籍を支えるヘビーユーザが
SFと、ロマンスなのではないかというのは傑作。
SFはこれから色々と読んでみようかなと思っているけど。まあ、ロマンスを読みたいと
思うことはないだろうと。えっと、ロマンスというのは、「恋愛、色気もの」の分野で。
主に、「兼業主婦」の人たちによって愛されていると。
結婚しているのに、Kindleでロマンスをじっと読んで、家にいる女性を想像すると
かなり、笑えてくるような気がします。
いや、でもそれってとても現実を反映しているような。
そんな気がしないでもないです。
ここのところはAmazonのKindleFireのプレゼンテーションを見ていても、感じたところ。
なんといいますか。
私からみると、あまりKindleで読みたいと思うものがないような気がしたのですけど。
というふうに、Kindleのプロモーションをみていて、しらけたというか。
最近、実家に帰って、どうしても処分しなければいけない本を決めないといけなかったけど。
やはりどこかで心が痛みました。
とはいえ、いますんでいるこ住まいでもやはり本が占めるスペースが無視できないものに
なっているので、さあどうしたものでしょうと。
「自炊」の問題をさあどうするか。
そんなことを思ったり。
で、おそらく、この本を読んでいて、一番、つまったのは
「ホールセールモデル」
出版社から、書店への「売り切り」ということかな。ある会社が、アマゾンに京極夏彦
小説を1冊500円で販売すると。
アマゾンは500円で仕入れした本を、いくらで、お客に販売してもかまわないと。
アマゾンは、どうも500円を切る価格で本を販売して、出血が伴う集客をしたのだと。
「エージェンシー・モデル」
アップルみたいな会社が、出版社に提示したモデル。
ある出版社が「もしドラ」を1冊1000円で販売したいと。
iPhoneでも読めるように電子書籍化もできていると。
ラのべが好きな読者がiPhoneを使ってAppStore経由で、もしドラを1000円でダウンロード
するのだと。そのとき、アップルには300円、出版社には700円がはいると。
このように、
出版社から「読者」に本が届く際の、「やり方」に流儀があると。
そして、本の伝統的な流儀は「ホールセールモデル」だったのだと。
ところが、電子書籍を、「読者」に届けるチャンネルはアマゾンやGoogleやアップルみたいな
IT系企業。そして、この新興勢力の企業は、「エージェンシーモデル」を志向する。
だから、モデルからモデルへの変更に伴う「事務的な混乱」があると。
まあ、所詮こんなものは、短期的なもので、いずれは、解決するのではないかなと
思いますけど。
本書は、本による売り上げで生活をしてきた人だから、やはり「売れ筋」に
本の話がいく。
よく売れる本をフロントリスト。売れないで「積まれている本」をバックリスト。
私は、こころなしか、バックリストの本に興味がいくことが多いように思う。
バックリストどころか、絶版になってしまった本を探していることが多いようにも思う。
復刊COMとか好きです。 
電子書籍がいいところって、出しても、間違いなく採算があわないような本なのでは
ないかなと思ったりもします。
ブルバキの数学書とか。
ランダウという物理学者が書いた教科書とか。
絶版になってしまった駿台文庫の参考書とか。
絶版になってしまった英語の参考書とか。
とにかく、日の目をみなくなったけど、できればいつでもあってほしいと思う。
欲しいという人が出てきたときに、アクセスが制限されないで欲しいと思う。
そんな本。ついこの間もストロースという人が書いた「親族の基本構造」という本が
なんと1万円以上の定価で販売されていた。びっくり。
まずおもったのが、この本の寿命が果たしてどれだけもつのかということ。
この価格で命脈を保つことができるのかということ。
そういう本から電子化してほしいものだと、ふと思ったのであります。
あ、そうそう、書いていて、思い出した。ブッククラブというものがどうやらあるらしいと。
ある本を読んで、感想を話し合ったりするような集まりだと。
これはなんかいいなと思った。自分と同じ趣味を持っている人と
コミュニケーションがとれるっていいじゃないですか。
本というのはある特定のトピックについて、かなり突っ込んだことが書かれたものです。
コンピュータの技術書なんかもそう。
だから、ある本を読んだという「共通した経験」というものがあると、それは
コミュニケーションの促進を思いっきり進めているのではないかと思う。
そういえば、GreeとかMixiとかでも、書評というか。出たばかりのビデオの感想とか。
メジャーどころの作品ではとても盛り上がっていた。
いや、そういう商売に絡むかどうかを置いていても、書籍を軸にしたコミュニケーションの場
というのは、どんどん作っていったらいいと思う。
学生時代「思想史」などというものをかじってしまった者からすると、
何かの「動き」とか「きっかけ」って、「ある本の読書体験」の共有に基づく
人の集合から始まるってことがないかなと。
人文学系の研究室なんて、突き詰めたら、「本読み好きの同好会」でしょと。
そして、このつながり方を、どうやって、一般的なものに仕立て上げていくのかというのは、
ひとつの興味深い領域になるのではないかと思った。
よし、あと230文字。もう一息だなと。さて、どんなことを書きましょうかと。
それと、駒場キャンパスというところにいたときは、「資本論」というテキストを
読んでいましたけど。
あれが、日本列島に上陸してきたときなんかも。ようするに、このドイツ語で書かれている
テキストを「読む人」が集まったということが、そのまま政治史のきな臭い舞台裏を
作ったのではないかと。
これは、別に資本論に始まったことではなく。
そういえば、杉田玄白の「解体新書」だっけ。あれも翻訳でしょ。
洋書を一緒に読む仲間のつながりというものがあることが、ある文化事業
完遂の前提にあったでしょうと。
こうなってくると、本を巡る「組織」の問題にもなりますが。
これは、この先、自分が本とつきあっていく上で、深めたいテーマなのではないかと
思いました。おやすみなさい。

追記
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011100690112723.html
あやや。なんということ。
巨星落ちる

Too Soon : On a New Road

His pursuit of excellence will no longer be imposed - it now has to come from the hearts of everyone.

As our special report in this week’s issue (printed before Mr Jobs’s death) explains, innovation used to spill over from military and corporate laboratories to the consumer market, but lately this process has gone into reverse. Many people’s homes now have more powerful, and more flexible, devices than their offices do; consumer gizmos and online services are smarter and easier to use than most companies’ systems. Familiar consumer products are being adopted by businesses, government and the armed forces. Companies are employing in-house versions of Facebook and creating their own “app stores” to deliver software to smartphone-toting employees. Doctors use tablet computers for their work in hospitals. Meanwhile, the number of consumers hungry for such gadgets continues to swell. Apple’s products are now being snapped up in Delhi and Dalian just as in Dublin and Dallas.