年の瀬

今年の更新はこれで終わりかな。
今年は、ブログを書くということの意味合いが転機を迎えたように思います。
なにより、まとまった分量の文章をとにもかくにも書き上げるということに
なれました。
何気ないことですが、私にはおおいに意味があります。
とある尊敬する人が
「読書で大事なのは、選ぶ→読む→活かす」
ということをネットで聴きました。
「活かす」ということがどういうことなのかということが曖昧だったのが
ブログという「発表の場」を確保することで、なんとなく見えてきたような。
そんな気がするのです。
最初は、1冊の本を読んで1本のエントリー。
1冊の本を読み終えては1本のエントリ。
そういうことをこつこつと繰り返していたのですが、
回数を重ねるごとに、
「数冊の本を読んで、一本のエントリーにまとめてみたいな。」
という動機が強くなってきました。
自分がブログのエントリーでどんなことを書きたいのだろうということを
日々の生活の中で考えて、
大ざっぱな方向が決まってくると、じゃあ、どんな本を読んでいけばいいのだろうと。
読書を「活かす」という視点から
本を「選び→読む」という段階をどうやって実りの多いものにすればいいのか
ということを、考察するようになったと思います。
ツイッターとブログの違いについて (内田樹の研究室)

ブログは「縦穴を掘る」のに向いている。
「縦穴を掘る」というのは、同じ文章を繰り返し読みながら、同じような文章を繰り返し書きながら「螺旋状」にだんだん深度を稼いでゆく作業である。

例えば、「梅の香が」と書いたあとには、「する」で「匂う」でも「香る」でも「薫ずる」でも「聞える」でも、いろいろな語が可能性としては配列される。
私たちはそのうちの一つを選ぶ。
だが、「梅の香がする」を選んだ場合と、「梅の香が薫ずる」を選んだ場合では、そのあとに続く文章全体の「トーン」が変わる。
「トーン」どころか「コンテンツ」まで変わる。
うっかりすると文章全体の「結論」まで変わる。

ブログをどうやって活用したらいいのかという議論は来年はよりいっそう
盛り上がりをみせるのかもしれません。
端的にいって
「自己表現」の場をどうやって利用していくのかということになろうかと思います。
どういうことを「書きたい」と思うのかということを掘り下げることで
自分のやりたいことがどういうことなのかを具体的にすることができたら
いいなと。
リクルートのコピーだったのかな。
「Follow Your Heart」というのがありました。
Heartの中身というのは、本人だけは知っているものかもしれませんが。これが
なかなかくせ者で。
ひょっとしたら、第三者より自分のほうが、自分のHeartの中身をわかっていない
ことが多いのではないかと。
そんなことを思います。
来年は、こういう観点からもブログというものを眺めてみたいと思います。

もう一つは「洋書」とのつきあいでしょうか。
今年は、ゲームプログラミングのことをかじったということもあり。
かつてなく、「洋書」を読みました。
強者はほかにもたくさんいるでしょうが。
学生時代だって、こんなに読んだことはありません。
そして「洋書元年」になったことを「記念」して
「PowerWord」というiPhoneアプリで12000英単語を電車の中で覚えたという
ことも一つの転機になったように思います。
来年は、果たして、何冊の洋書を読み、自分の糧にすることができるのか。
本屋で加藤周一の「文学史序説」を立ち読みしたところ、
現代日本の文化の発信地の一つに「丸善洋書部」というセクションがあるという
ことが書いてありました。
おこがましいですが、そういう歴史的知見も踏まえて、
海外の学術にもできるだけ眼を向けていきたいと思います。
そう、それに関連して、SteveJobsの本をきっかけにKindleのデビューをしたのも
大きな転機でした。
Kindleで読めない本は、引き続き、アナログで仕入れするしかないですが、
Kindleに載る本については、英米の時間速度と同じ感覚で情報収集ができるという
のもありがたい話です。

翻訳者の仕事部屋 (ちくま文庫)

翻訳者の仕事部屋 (ちくま文庫)

1冊だけご紹介。
主にスティーブン・キングの作品の邦訳作業などを担当されていた人の
本。あ、それと、「アンネフランクの日記」。
英米のSF小説小説や探偵小説(代表的なのが「シャーロックホームズ」)
などで、多くの仕事をされたとのこと。
東京大学で英語(英文学)を教えている先生が、「日本の学問は
多かれ少なかれ、文書の翻訳で成立している」
みたいなことを書いていたのが、思い出されます。(「知の技法」)
「大学の先生」とか「研究所の研究員」とかそういう肩書きを取っ払って、
とにもかくにも、英米のコンテンツを輸入することに特化した仕事といって
いいのでしょうか。
シャーロックホームズの小説に登場する食事のシーンで、出てくる献立の
作り方を丁寧に書いた本なども紹介されていて、海外ミステリーが好きな人には
いい本なのではないでしょうか。
シドニーシェルダンの翻訳が日本で爆発的に売れた時のいきさつなども
興味深かったです。
なんでも、オリジナルの英文と、「超訳」といわれた日本語の訳の中身に
かなりの違いがあるとのこと。
そして、そういう「違い」がちゃんとあったから、「売れた」のではないかとか。
そうでないとか。
Kindleで読めるJobsの本の価格と、紀伊国屋書店のKinoppyで読めるJobsの電子書籍
価格の落差にも興味が引かれました。
この価格差は、電子書籍の普及が進んでも、変わらないのか。それとも、
小さくなっていくのか。こういうことも興味あります。
足を運んでいく、本屋に「実物」を置くことなく、「電子書籍」だけで
流通させる「本」「デジタルコンテンツ」というものが、売り物になっていくのか
どうかということにも興味があります。
だとすると、印刷工場などを動かす、広告宣伝の費用がかかるとか。
大手にしか出来ないことで阻まれて、海外コンテンツで売り上げをたてるということが
あるいは、中小零細企業にも可能になる「かも」しれません。
今度の電子書籍市場の動向にも注意を払いたいと思います。
電子機器を持って、読書にいそしむ「読者」に、「はやく、やすく、うまく」
コンテンツを届ける「技術」についての研究と、
「読者」を引きつける「コンテンツの内容」それ自身の究明。
どちらも、大きなテーマになると思います。
そのためには、現時点における出版社がどういう仕事・事業をして、
読者にコンテンツを提供してきたのかということの考察が大事になってきます。
気がついてみたら。
携帯電話でゲームをするのも、iPadで本を読むのも、
「コンテンツのダウンロード」という同じ行為に統合されてしまっているのです。
ゲームアプリの作り方と、電子書籍アプリの作り方には、プログラミングの上では
微妙な違いがあるものの、
大ざっぱには、生産行為としては、かなり「同じ」ものになってしまったのです。
しかも。現在、AndroidMarketで流通しているアプリや、AppStoreで流通している
アプリの価格と、電子書籍の価格を比べると、明らかに、アマゾンのKindle
読むコンテンツの内容のほうが、単価は高いはずです。
読者や、ゲームのユーザに届けるまでの手間暇の内容は、どんどん同じものに
なってきているはずなのに。
いや、電子書籍のほうが、おそらくコストはかかっていないと思います。
ファイナルファンタジーを開発するのに動員されているコストと、一人の作家が
ワープロソフトに向き合って、原稿を書く作業では、人件費という観点からも
桁違いの違いになります。
でもファイナルファンタジーをAppStoreでアマゾンの電子書籍の価格で
販売することができるのかということが問題になります。
どうも、それは無理そうです。
では、Kindleなどで売られている電子書籍の価格は、AppStoreのアプリの単価のように
どんどん落ちていくのかということも興味があります。
そして、この価格の動向が、アプリの開発事業で利益を出そうとする場合の
経営資源の使い方を決定するのではないでしょうか。
そして、持ち運び可能な電子機器向けのアプリケーションを開発している企業が
この垣根が取り払われて誕生しているデジタルコンテンツの市場において
どういう動きをとるのかも注目に値すると思います。
平凡社という出版社と電通が提携して「くらしの暦」というアプリを
販売しておりました。
1年を春夏秋冬の4つに分ける。
そしてそれぞれの季節をさらに6つの区間にわける。
合計24の区間にわかれた1年の区切りを「さらに」三つずつ区切っていく。
これがどうやら昔ながらの日本の暦だったらしく。
その暦の時期にあった、野菜や魚の紹介。料理の紹介。その時期に撮影した
あつらえ向きの写真などが、アプリのコンテンツになると。
そして、合計72種類になる暦の「コンテンツ」が、「アプリ内課金」で
個別に販売されると。
ここまでくると、では、その巻物アプリで紹介されている野菜や魚をネット通販で
買えるようにするにはどうすればいいのかというところまであと一歩のところまで
きています。
出版社のノウハウと、アプリ開発業者のノウハウが融合した見事な事例だと
思いました。
業界の垣根が取り払われることによる、新しいコンテンツの提供を
どの企業が主役になって実行するのか。見守りたいと思います。



専門的な本になるほど、残念ながら「自炊」が必要みたいですが。
そういった状況も、時間が解決してくれるのだろうと思います。
来年は、「自炊」が安定的にできる状況をつくりたいな。
そして、狭い我が家ながらも、「理想の書斎」が作りたいな。
そうなってくると、「知的生活の技法」ということになってくるわけで。
あまり、意識的に整理して書き上げるということをしないで、このエントリーが
出来てしまいました。
時間がないもので。そろそろ夜行バスにのって、実家に帰る準備をしないといけないので。
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