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やってきました2012年。
初詣は明治神宮にいってまいりました。
おそろしく寒い中、手袋をはめて、帽子を目深にかぶり、いそいそと一人で
参拝。
いや参拝客の多いこと。多いこと。びっくりです。
しかし、やはり深夜という時間帯ですと、もう世代がひとつ下になっているような
気がします。そろそろこういうことはやめたほうがいい年齢になってきたのかな。
明治神宮に初詣にいったのは、もうかなりかなり前のこと。
たしか、まだ中学生か高校生の時だったのではないかな。
あのときは、日中だったなあ。
そのときと、今で神宮の様子で何が違うかといったら、なぜか広告用の
大きなパネルディスプレーがあることかな。参拝客が長大な列をつくっている。
つまりたくさんの「視聴者」がいるでしょうということで、大きなビルボードというものが
あるわけ。そこで、受験本番を目前に控えている生徒さんを抱えた進学塾や、新年の初売りを
当て込んだ小売店の宣伝などが視聴できるようになっている。
そんな画面をみながら、待つこと1時間半。なんとか本殿にたどり着いて、お参りをしてきました。
家族の健康と、担当する生徒さんの学業成就。合格祈願。お守りを買う。
巫女さんが、神社の恒例のグッズを販売している。心なしか、こういうのはなんの見返りも
考えないで、とにかくお金を使うということに意味があるような気がした。
正月の三が日は典型的な「寝正月」。
大晦日は紅白歌合戦を見て、年明けは、お笑い番組や、ドキュメンタリーを見て、すごす。
おせち料理は、数年前から「注文」になりました。がっしりとしたお重にびっしりと
色とりどりの料理の品々が並んでおりました。もちろん、レギュラーのお雑煮もいただくことに。
お雑煮だけは、しばらくずっと食べていたいような気がします。
1月2日には高校生の時の同級生と、明けましておめでとうございますの食事をする。
こちらは、フリーランス。むこうは理系研究のサラリーマン。お互いの職場の境遇について
切々と語り合う。フリーランスの身からすると、大きな企業で、順風満帆のキャリアなのかなと
思いきや、やはりそうは単純にはならないようで。大きな組織に身を置いて、生きるとなると、
働き方を自分で自由に決めることができないという部分があるなと思った次第。
懸命に努力をして、成果を出そうとしても、それが周囲の理解を得られることなく頓挫したり。
挫折感というものを、フリーランスとは違う形で背負って働くというのが大企業のスタイルなのかなと。
そんなことを思いました。彼は、優秀なエンジニアだから、もちろん自分の「持ち味」をいかすための
次なる活躍のフィールドを探し求める。
大きな組織で働くとなると、一つのことをするのに、たくさんの人の同意を得ないと一歩も
前に進まない。この「同意を得る」というプロセスが、とてつもなく重くなるのが大きな企業の
人の悩みなんだろうなと思う。
そういえば、日本テレビだったかな。自分がいいなと思ったテレビドラマの責任者のような人の
綴ったエッセイで、「400人以上」の人のスケジュールの調整の必要に迫られたという話が
あった。大きな仕事というのは、多かれ少なかれそういう苦労がついてまわるということを
かみしめる。だったら、こちらは、一人で、働き方を決められる「自由」を「謳歌」したいと思う。
もちろん、「目の前の生徒」さんはどういう人か、「環境」などなど、こちらの「自由」を決定的に
制限する要素は山ほどあるわけだから、結局、大企業の人とは性質の違う「とりもちだらけ」の空間を
ずるずると進んでいくしかないわけですが。
明日は、フリーランスとグループワークを足して2で割るような感じの働き方をしている人から話が
聞けるかも。また働き方について違う観点を得られたらなと思います。去年の疲れを軽くするために、
たっぷりと休養もとれました。思い出した。1月30日に、ツタヤの新しいお店にも足を運んだのでした。
場所は代官山。カジュアルな若者がビデオを借りる場所だと思っていた場所が
高級外車がずらりと並ぶ、やたらと上品で、クラシックな感じの場所に化けておりました。
このプロジェクトが果たして、レンタルの業態にインパクを与えることになるのかとどうかという
こともなんとなく関心があります。
そういうわけで、この充電を活用して、次なるステップへのよすがにしたいということで、
また、4000字を目指して、新年の抱負というものを書いてみようと。そんなことを思い立ちました。
そうしたら、自分が購読しているメールマガジンで「新年の抱負の書き方」に着目した文面を
見つけました。こういうところに方法論があるという「ものの見方」ができるということが新鮮だった。
学習にせよ、仕事にせよ、「目標の設定」ということは大事なことだと思います。
「目標の設定」というステップをあやまると、「はじめが肝心」のいわんとするところのまったく逆の
事態がおきる。だとしたら、「新年の抱負の設定の仕方」というものを丁寧に実行するというのは
大事だなと思う。
「今年」ぜひ意識してみてほしいポイントは、
・ひとつに絞る
・自分に期待するということです。
いろいろなことに、足を突っ込むというのはやめたほうがいいことだとは常日頃思います。
去年はそれをいやというほど思い知らされたような気がします。
自分に期待するという考え方も、なんとなく受け入れられるような気がします。
去年は意識的に、自分一人がしっかりしていればできるであろうということにしぼって
時間を過ごしたように思います。例外もありますけど。
「ひとつに絞る」前の段階としては、
「今年達成したいこと(今年の抱負)」
として、いろいろと想像したり、思いついたり、書き出したりすると思います。
この時点では、項目が複数あるわけです。
それを絞り込む際に行ってほしいのが、「主従分析」です。
「これが叶うなら、こっちは叶わなくてもいいな」
「こっちが叶えば、こちらは、ほぼ自動的に叶うな」
のような分析を行い、「要は、何を達成すれば良いのか」を見てゆきます。
「主」を残して、「従」をカットします。
「主」になるのは、大学受験のための「理系数学」「物理」「化学」の学習なのかな。
その中でも、「主」になるものは、
「受験数学の理論」問題集を、未刊行のもの(数学?微積分 初頭関数)をのぞいたすべての問題を
「暗記数学」するというもの。基本的な「解き方」を徹底的に記憶して、少しでも、数学の弱さを
克服していきたい。
「従」にあたるのは、物理と化学になるのかな。北大医学部に合格した人の合格体験記を読んでいたら、
4年間かかった受験準備のうちの大半は、数学で消えたというから。
「受験数学の理論」で「足りない」部分は別の問題集で補うことにする。
そして、問題演習の「解法暗記」が終了したところで「東京大学理系数学」の過去の入試問題の
研究をしたい。
1月と2月を使って 数と式
3月 数列 漸化式
4月 確率
5月 図形と式
6月 残りの分野を違う問題集で演習する。
7月 8月 9月で東京大学理系数学の過去の入試問題を徹底的に分析する。
これだけやりこんだら、大学受験数学が果たして、記憶だけでなんとかなる代物なのか検証できるかな。
この年齢になって、何をしているのだろうと思うけど。ずっとのどにひっかかっていたとげのような
ものだから。どうにかして、2012年は数学と和解できる年になりたい。
ひとまず、学習した内容の完璧な定着というものができなかったとしても、
問題集を一通りやり終えるということをしたら、ひとまず、お祝いをしたいと思う。
自分一人、自分のことをほめよう。それでもいいことだって世の中にはある。
ここから先は「従」になります。
電車の空き時間で何をしたいのかということ。
「英単語をどんどん覚える」
「英語でどんどん本を読めるようにする。Kindleを使いこなす。」
2012年でまず1ヶ月に1冊は読めるようにしたいな。
こうやって、項目を絞り込んだり、その表現を工夫したり、
解釈を明確にしていってほしいのですが、
さらにもうひとつ、確認してみてほしいこと。
それは、
「勝敗がある」
というようにしてほしいということです。
勝ち負けが、明確である。
達成非達成が、明確である。
そうなるように、「達成条件」を考えてみてください。
12月のどこかで、センター試験の過去の入試問題を受けてみる。
9割を目指す。
11月の東京大学の入学試験の模擬試験を受けたい。
「数学」と「英語」で65点と英語では90点以上をとりたい。
この二つの目標を達成できたら2013年に向けて、なんとか頑張れるような気がする。
あとは、この期日がやってくるまで、学習を気長に続けることができるかどうかだと思う。
正直、数学3Cを終わらせて、12月の半ばから1月の正月休みまで脱力してみたけど、
かなり疲弊していたのではないかと思った。
働きながら、勉強を積み重ねるというのは甘い話なのではないのだなと思った。
だからこそ、テキストに向き合い、ノートに書き込むことができるということは素晴らしいことなのだと
心の底から納得できる。
それがわかっただけでもいいのではないかと思った。
明治神宮にいったときも、2012年にむけて、「誰か」に「お願い」するのではなくて、
「2011年に自分が達成することができたことを明確にして、達成できたことを「感謝したい」。」
という思考方法になっていたように思います。
その「ひとつ」の項目は、自身の努力で、何とかなることなのか。
もちろん、他人や社会の状況もからんでくるとは思いますし、
そこに「運」もからんでくるとは思いますが、
それでも、基本的には、自身の努力で何とかなることなのか。そこを検討してみてください。
ここまで、はっきりと「自分の領域」に限定することを念を押されますと、本当に
これでいいのかなと思うこともないわけではないです。
違うスキルや技能をもった人同士が「協力」しなければできないことも世の中にはあるからです。
「分業」に基づいて、人と人が動けるようになるとき、本当に「大きなこと」ができるような
気もするのですが。じゃあ、どうやってそのネットワークを形成するのかということが
深刻な問題になっているような気がします。
コミュニケーションの問題なのでしょうが。
この「抱負の書き方」を書いた人が、想定している読者は
「試験を受ける人」です。
「試験を受ける」という行為は、基本的に「孤独な行為」です。
人は「孤独」にそんなに強くはできていないように思います。
だから、「試験勉強」には色々な困難が待ち受ける。
その困難に打ち勝つためにはどういうノウハウを駆使したらいいのかということにかけて、
きわめて、有益な示唆が得られるのは確かです。
でも、試験勉強というのは、人生のハードルの中の一歩でしかない。
本当のハードルというのは、その先にあります。
はたして、その「本当のハードル」というものを超えていくために、どれくらい有効なアドバイスに
なっているのかということに関しては、若干の留保が必要なのかなとふと思うときもあります。
(4422文字)
なんとか目標字数も達成しましたので、妙な形ではありますが、「抱負」を終えたいと思います。
誰に読んでほしいのだろうと思うこともありますが。
まあ、いまはそういうことは目をつぶって。
とにもかくにも、言いたいこと、コンパクトに書きたいことを、まとめる力を身につけましょうよという
ことで。
「一つのことにしぼる」ということが大事ということですが。
たしかに。
今回、このブログのエントリーで書いた「達成したいことリスト」以外は手を出さないようにする
ということが逆に大変なのだろうなと。
そんなことを思います。