フランス語の構文練習

フランス語の構文練習

「読了」というか、「解き終わった。」
昔取った杵柄といいますか。
まだ学生だった時に、別に第2外国語でもなんでもなかったのに、フランス語にかぶれていたことがありました。
単語練習の本とか、買い込んで、なぜか電車の中で
ぶつぶつ覚えて、ルーズリーフの切れ端にスペルを
書いていました。
10年ぶり以上で、単語帳をひもといてみたら、
スペルを綴った切れ端がそのまま出てきたのです。
なんといいますか。
いまでも、学校を卒業していく学生さんは
「タイムカプセル」なんかを土の下に仕込んだりするのでしょうか。
私は別にそういう経験はしませんでしたけど、
どうやら、学生時代に使っていた教科書なんかは
ちょっとした「タイムカプセル」のようです。
たしか、埼京線にのって、渋谷までいって、そして
井の頭線で乗り換える。
この単調な通学の行き帰りの最中、電車の風景を
みるでもなく、なぜか、スペルを書いていた記憶だけは
しっかりとあります。
ルーズリーフの切れ端だけではなくて、単語帳の
単語リストへの、書き込みも残っていました。
別に、こんなことを自慢してもしょうがないですが、
なんと、単語帳の最後まで、中身をチェックした痕跡が
あるではないですか。
フランス語の単語は、ある程度、英単語と類似性が
あります。
だから、フランス語の単語帳に記載されている単語の
何割かは、スペルを見ただけで、意味がわかるという
場合がある。
paint peindre
serious serieux
とか。
もちろん、英語のスペルからの類推だけでなんでも
やってしまうと失敗するわけですけど。
そうなると、英語とはまた違ったスペルの場合は
そのスペルをみても、意味が出てこない。
それは新たに記憶する必要がある。
大学生だった頃の私は、大学受験のために記憶した
英単語の記憶だけでは間に合っていないところに
チェックの印をつけていたのです。
おそらくシャープペンだったのでしょう。
途中で投げ出していたら、単語帳は、前半だけが
すこし書き込みがあって、後半は真っ新ということに
なるわけですが、幸い(?)なことにそうはなって
いなかった。
私がたった90日間で外国語を身につけてバイリンガルとなった方法 | ライフハッカー[日本版]

別に、大学の単位取得に必要だったわけでもないのに。
それはドイツ語の単語で必要だったわけですが、そちらのほうはそちらのほうで、それなりにやりました。
たしか、駒場を出るかでないかのころには、
形だけで、ぼろぼろですが、フランス語で書かれている
小説なんかも読んでいたと思います。
記憶に残っているのは。

女の一生 (新潮文庫)

女の一生 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

ペスト (新潮文庫)

なんとなく、スペルが英語に似ているから、どうにかなるだろうと思っていたらしく。
上記の本はたしかに最後まで読んでいたなと思います。
ひょっとしたら、読んだ本の数だけでいったら、フランス語で「読破」した
もののほうが多かったかもしれない。
実は内容のほうをそんなに覚えていない。
たしか、「星の王子様」なんかも読んでいたような気がする。
「人はすべて〜」はたしか、不老不死になってしまった主人公の話。
自分はいつまでも若いのに、周りは老衰で死んでいく。
だから、奥さんも何度もいれかわるとか。
それで400年かそこら生きるとかそんな話だったような。
「ペスト」はいうまでもなく、もう超有名。ある意味わかりやすい。
こういう「職業」小説も、仕事を経験するとまた読み方が変わってくるのだろうなと
思う。いつか、機会があったら読み直してみたい。
女の一生」。これはたしか、文字通り、女性が主人公で。
たしかその女性はあまり幸福とはいえない生き方だったとか。
そんな漠然とした記憶です。
でも、文系学生にありがちな「えっへん、僕外国語で文学しているんだぜ!」
みたいな。そういう意識むんむんだったことは覚えています。
それなのに、どうして女の子にもてないんだと、そちらのほうで
えらいフラストレーションがたまっていました。
そう、あの時。「理系のスキル」についてとんと無知だった・・。
ただ、この間、現代文の先生が書いた「参考書」で
こういう、小生意気な「見栄」だって、学習というものを突き動かす上で
大事な要素なんだとか。「知らないことを恥じる」という意識だって、
学習というものを、高校生に仕込む上で大事な要素なんだと。
やれ、就職だとか。資格としての学歴だとか。
そういうメリットで人は動くのかという、今でも連綿としてある、
「学習モチベーション論」の私にとっての原風景がたしかに、
古びた白水社や、大学書林の単語帳にはあります。

ここから先が、現在の受験指導にも関係しますが。
では「読んだ」と思っていたつもりの理解がどの程度のものだったのかというのが
はなはだ怪しいです。
というのも、10数年の時をこえて、掘り出した単語のスペルの中で、先ほどの
理由で入れたチェックリストに入っている単語の意味が、いまになって
読んでみて、やはり「意味」が頭に浮かんでこないからです。
大学生だったときの、私は、一回やそこら単語集を回しただけで、
記載されている単語の意味を本当に把握していたのでしょうか。
ここがどうも最大の疑問。
あの頃のほうが、記憶力がよかったのかな。
目を通しただけで、鮮やかに意味が出てきていたのかな。
そんなことを思いながら、改めて、初級レベルのフランス語の単語で
残念ながら、記憶に定着していなかった単語のスペルを
今度はiPhoneのアプリにどんどんいれていくことにした。
たしか、2000単語が収録されている単語集で、その中で、記憶系のアプリに
打ち込んだのが、640弱。
ほぼ、3つに1つの割合で、うろ覚えがあったことになります。
これだけの「穴」があるのが、英語との大きな違いです。
英語はなんだかんだいっても、使う機会がある。
普段も、インターネットで情報収集しているときに、頻繁に読み書きする。
そういう蓄積もあるから、たとえば高校生だったときに使用した英単語集で
うろ覚えがあるかとなると、フランス語のそれに比べると格段に少ない。
やはり、アウトプットとして、使ったりするチャンスが多いか少ないかで
記憶の定着というのは、違ってくるものだと思いました。
あらためて、電車の行き帰りの時間に、アプリを取り出して、
フランス語のスペルから、日本語の訳が浮かぶかどうかのチェックテストのような
ことをやる。
アプリのすばらしいところは、この確認作業を、何度も、必要な範囲でどこまでも
繰り返して学習ができるということです。
私が使っているアプリは「iAnki」という名前です。
なんでも、記憶のメカニズムの研究に基づいて、反復のタイミングまで考慮して
設計がされているとか。
つまり一度、覚えた日から、3日、1週間、1ヶ月、3ヶ月。みたいな頻度で
復習ができるようになっているみたいな。
受験指導をやっていると、これの徹底がある種の習い性みたいになるので、
自分が負けてなるものかと、わりかし、しつこくやると、そんなに日数がかかるでもなく、
記憶の作業がおわる。
一つも、もれがない状態で、記憶しているとは、どのようなことをいうのかということを
体験してみる。
それが試験に関連する勉強では一番大事だろうから。

試験勉強の話になると、どうしてもギスギスしたノウハウのほうへ話がいきますので、
すこし、セピア色の学生時代に話をもどします。
いや、別に学生時代に戻るというわけではなく、
「では外国語を習得する意義は何だ?」
という古典的なテーマについて、ちょっとという話です。

http://www.ut-life.net/study/lecture/french/
ロシア語のボキャブラリについて。おそらく、他の印欧語も同じなのでしょう。

75種類の単語がその言語全体の40%を占める

200種類の単語がその言語全体の50%を占める

524種類の単語がその言語全体の60%を占める

1257種類の単語がその言語全体の70%を占める

2925種類の単語がその言語全体の80%を占める

7444種類の単語がその言語全体の90%を占める

13374種類の単語がその言語全体の95%を占める

25508種類の単語がその言語全体の99%を占める

それこそ先ほどの「フランス語を生かせる専門」のように、勉強することの実際的なメリットを問われることがあります。勉強に投資した時間があるのだから、すぐにその元を取らなくてはいけないと。そうした考え方はもちろん大事ですが、それだけではないのです。たとえば私は、英語やオランダ語のような実用性のある言葉ももちろん勉強しましたが、全くそうでないギリシャ語やラテン語もやっていました。あれはまだ鮮明に記憶しているのですが、それまでラテン語で行われていたミサがフランス語に変わったのは衝撃でした。私としてはラテン語のままでよかったのに、やっとラテン語を理解できるようになったのにという(笑)。でもまあラテン語だと誰にも分からないので、フランス語に変わったわけです。我々の精神を開き、咲かせる、そのために言葉を勉強することは非常に重要なのに、それが完全に忘れられているのではないかと思います。何のためでもなく、ただ自分のために。実際的な目的以前のそうした意義があるのではないか。それがリベラル・アーツだと思います。私は実用性ということを過度に追う現在の世の中に危機感を抱いているのですが、学生の皆さんにもこうした問題をいつもどこかに意識してもらいたいですね。

http://www.ut-life.net/study/lecture/russian/

でもどうやらロシア人は、もしかしたらヨーロッパもそうかもしれませんが、自分がしでかしたこと、自分の事跡はけっして消すことができないと思っているのです。悪事を働いていても、ロシア人は克明にその記録を残しています。1930年代にスターリンは罪なき人々をシベリアに送り、多くの人命を奪うという陰惨な粛清を行いました。ところが、そうした歴史の暗部に関する文書は全部残っています。人間が行った事実は消したり改ざんすることはできない、人間が左右できることではないと考えられているからでしょう。そういった歴史観がロシアの街並みから見て取れますね。

私のブログのスタイルは、本を読んで、その本について何かしらのことを
書き残すというスタイルです。
多くのブログもそうでしょう。
だとしたら、「いい本」「おもしろい本」を探して、それをブログのエントリーに仕立てたいなと思うのが人情というものです。
そうすると、ブログのエントリーを書き上げるための準備として、
「どうやっていい本を仕入れするのか?」
という「バイヤー」としてのプロセスが出てきます。
「外国語の知識」はそのまま「外国語への文献のアクセス」を可能にし、
それは、そのまま「ブログのエントリーにできる内容の多様さ」への道筋の
一部を照らします。
そして、上記のロシア語の先生の引用からもわかるように、
そもそも「まだ本になっていないかもしれない情報」へのアクセスすらも可能に
するという側面があるのです。
ここが、「人文系」と「理系」のおおきな違いかも。
日本人が「外国語」をやるときのインパクトの違い。
そんなことを、国語の受験参考書に、仏文出身の人がちらほらといるのをみかけて
思った。だからこのエントリーをおこしたのかもしれない。
そして、その先にまっているのは「業務としての翻訳」。

http://www.ut-life.net/people/n.tose/