テーマって問題意識だよなって思う。
物書き的な視点にたつと、「そういう問題、あるよね。」
と多くの人に思ってもらえるかどうか。
「で、それをどうやって解いていくのか?」
テーマの選択と、そのテーマの発展という核がしっかりしていたら、
それが小説という形をとるか、論文という形をとるのか、
演技という形をとるのかは、人それぞれ。
詩という選択肢だってある。
下の動画で紹介した経済学者の人が、談話の最中に
社会主義経済論争」ってありましたね。
みたいなことをいっていて、気になったので、ここにpickup。
談話のなかで、「英語論文の多読」のことが問題になる。
ここでは、「ケインズの原書は読みづらい」
ということ。
「現役の日本人経済学者は、論文を英語で発表しないといけないという
ところで、英米系の研究者に比べて、ハンディがある。」
ということ。

wikipedia:Economic_calculation_problem

社会主義経済において、生産手段は公のものとされ、生産量は国家が決定するため、市場や価格は存在しないことになる。このような経済が現実に適用できるものか。

政治の問題は、多くの人の命運に強烈なインパクトを与える可能性が
あるので、時に、エモーショナルになりがち。
そういう問題について、「計算可能性」というかなり「客観的な装い」を
もって取り上げられた問題が、かつてあったということに興味がわいた。
このトピックも、日本語のWikiはさわりだけ。
英語のWikiにいかないと、まとまった記述が得られない。
賢明な中央政府が、適切な資源配分を行うには、中央政府に政策実行の
ためのありとあらゆる情報が集中している必要がある。
しかし、そんな情報収集能力を、政府はもちあわせていないというのが
否定論。
だとしたら、政府が巨大な情報収集能力を手にしたらどうなるのかという
ことも、射程にあったらしい。
なんか、SFみたい。
GravityRainbowとも無縁ではない。
「政治と統計」というのは、作品のなかにしっかり息づいていると
思います。