GravityRainbow Part2 Episode7
第2部で、かなりページ数が多いところ。
KatzieとSlothlopeの、怪しげな絡み合いのシーンでも20ページ近くあったけど、
今度も、それくらいの分量。Episode7となります。
この章は、ストーリー全体の位置づけはまだ全部読んでいないから、なんともいえないけど、
ピンチョンが、これまでに書いた他の作品との関連を強く連想させる。
まず、南米の革命運動について取り上げていること。
これはAgainstTheDayという作品で、メキシコの事例がよく登場していたことを連想させる。
ATDではたしか、主要な登場人物が、鉱山労働が絡んで、南米にいく話だったと思う。
このGravityRainbowでは、アルゼンチンが登場する。
ATDのほうが書かれたのはずっと後になるけど、物語の舞台の時代設定は
GRのほうが、あとになる。
GRで書き足りなかったことを、ATDに書き足すというスタイルになったのだろうか。
メキシコも、おもに政治史との絡みで取り上げられていた。
アルゼンチンが出てくるこのエピソードも、Peronという実在したアルゼンチンの大統領をめぐる政治抗争に
関連して、Slothlopeが、関わるということ。どうもスパイ活動みたいだけど。
GRでも出てくるこの大統領の奥さんになった人が、またEvitaという通称で有名かつ、
いまでもアルゼンチンの人に敬愛(?)されている人らしい。
マドンナという「歌手兼女優」が出演して、この大統領夫人も映画になりました。
どうやら、最初はミュージカルだったものらしいけど。これもYouTubeで分割アップロードされていた。
そう、本作品のGRでも、まず、Slothlopeが、1940年代の時点で、スイスの喫茶店で
古くさい新聞を発見して、それを読んでみたら、南米で、血なまぐさい政治闘争が繰り広げられているみたいな
ことが、書いてあったというような下りがあった。
どうも、この古新聞があるところで、彼は人をまっていたのだと思う。
読解力がここでも問題になるが、構文や、代名詞が錯綜してくると、
新聞の記事の内容の話をしているのか、それとも、新聞が置いてあるカフェで、主人公が
他の人と会って話をしているときでの会話や、様子の描写なのかといったことが、わからなくなってくる
ことが多い。
BetweenThe TwoWorldという映画の取り上げ方も興味深い。
そういえば、M&Dでも、Masonは亡くなった奥さんの亡霊を、どこかで心待ちにしているような
感じがあった。実際にイギリスであったとされる「私は幽霊をみたんです」的事件を小説の小道具に
使ったりもしている。
この映画も、自分たちが、諸事情で死亡したということに気がついていない登場人物が織りなす物語という
ことらしい。
そして、さらに興味深いことに、この映画について、YouTubeで検索をかけてみたところ、
Avatarという映画作品がまるごとアップロードされているのがひっかかるということになった。
よくよく考えたら、あの作品だって、主人公が、体と頭に機械をはめて、人造異星人になりすまして
本物の異星人に、取り入られようとする話だった。
たしかに、TwoWorldの往復ということがテーマになっている。つまり、GRもよく取り上げられる
ことを、物語の小道具にしているということ。
M&Dでは、独立開拓の時代の雰囲気をまだなんとなく残しているアメリカが舞台だったので
当時の教会を巡る風景だったり、布教に活躍した聖職者などがよく登場していた。
スイスという地が登場することで、この場所で生まれることになったProtestantismのことも
なんとなく、触れられている。
化学企業を小道具にしている描写もある。
こちらは、下記にコピーしたWikipediaの記述と併読すると、よりGRの記述の奥深さを
鑑賞できるのではないかと思う。
イタリア王国統一に貢献した軍事家である。イタリア統一運動を推進。イタリア統一を進めるため、多くの軍事行動を個人的に率いた。ヨーロッパと南米での功績から「二つの世界の英雄」とも呼ばれ[1]、カヴール、マッツィーニと並ぶ「イタリア統一の三傑」の一人。
1860年、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助し両シチリア王国を滅ぼした。その後、征服地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上してイタリア統一に大きく貢献した。その後は政治家となることなく余生をカプレーラ島で送った。
エルテールの祖父はユグノーの時計職人で、父は経済学者で政府の官僚にもなったピエール・サムエル・デュポン・ド・ヌムール (Pierre Samuel du Pont de Nemours) であった。フランス革命を避けて、1799年に一家でアメリカに移住したエルテールは、アントワーヌ・ラヴォアジエに師事し化学知識があり、黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。当時アメリカで生産されていた黒色火薬はきわめて粗悪であったため、ビジネスは成功した。徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取り、南北戦争で巨利をあげた。やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するようになった。第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マンハッタン計画に参加しワシントン州ハンフォード・サイト、テネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムの分離・精製やプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。
デュポン家からは海軍軍人サミュエル・フランシス・デュポンらが輩出された。またデュポン家は草創期の自動車産業に着目し、1914年にはピエール・S・デュポンが1908年に創業したゼネラルモーターズ (GM) に出資した。後に彼は社長に就任し、彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一の自動車会社へと成長した。また、GM支援とは別に、1919年から1931年にかけては、自社での自動車製作もおこなった。エンジンは主にコンチネンタル社製を使用した。
しかしシャーマン反トラスト法によって1912年には火薬市場の独占が、1950年代にはGM株の保有が問題視され、火薬事業の分割やGM株放出などを強いられている。
1920年代以降は化学分野に力を注ぎ、1928年には重合体(ポリマー)の研究のためにウォーレス・カロザースを雇い、彼のもとで合成ゴムやナイロンなどが発明された。さらにテフロン〓などの合成繊維、合成樹脂や農薬、塗料なども研究・開発し取り扱うようになった。2世紀にわたる歴史の中で、M&Aを繰りかえす典型的なアメリカのコングロマリット企業といえる。
スイス最初の宗教改革者。スイス改革派教会の創始者で、チューリッヒに神聖政治を確立しようとした。
中略
1518年チューリッヒの市参事会に招かれてチューリッヒ司教座聖堂の説教師の地位につく。自らも人文主義者であり、ギリシア語とヘブライ語を学んでいたツヴィングリは、当時一世を風靡していた人文主義者デジデリウス・エラスムスから大きな影響を受け、聖書の原典研究に傾倒した。また、主日の説教の内容も聖書と教父の著作のみによるものにしようと決意した。
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ルターと同じようにキリスト教の信仰の基準を「聖書のみ」と考えたツヴィングリは、キリスト教刷新運動に乗り出すが、それは単に宗教改革の枠を超えて社会変革を志向したものであった。このため、ツヴィングリはチューリッヒ市参事会に改革への協力を求め、参事会もこれに答えた。これはツヴィングリが、すでにチューリッヒで大きな影響力を持つ存在になっていたことを示している。彼は聖書に根拠が見つからない全ての教会制度の破棄を、参事会を通して呼びかけさせたのである。
小説中のワンシーンかな。
wikipedia:フランシス・ベーコン (哲学者)
「知識は力なり」(Ipsa scientia potestas est)という言葉とともに知られる[2]。独力では果たせなかったものの学問の壮大な体系化を構想していた。体系化の構想はフランス百科全書派にも引き継がれる。
なお、主な著作のノヴム・オルガヌムの影響もあり、イギリスのろう教育が始まっている。ろう学校を最初に設立した人物ではなく、ろう教育を最初に始めた人物であるとされている。中略
ペルーから船出した「われわれ」一行は、日本、中国を目指すが風に恵まれず、進退きわまっていた。そんな時にようやく未知の島「ベンセレム」にたどり着く。ここは「われわれ」と同じキリスト教徒の国であり、一行は異国人のための館に案内され手厚くもてなされると、この国の歴史や社会制度、慣習、「ソロモンの館」という学究機関の話などを聞く。それは科学技術の発達した理想郷のような世界であった。