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受験が終わった後の数学について - book-loverの日記
偶然ですか、ほぼ1年前に、同じ筆者による数学の本をエントリーで取り上げていました。
- 作者: 森毅
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/10/07
- メディア: 文庫
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数理物理学のテキストの計算過程を理解しようとするとき、「物理数学」というジャンルの本をあさります。
しかし、どうもあさっていて、いろいろなところに頭をぶつけるような気分になる。
その気持ち悪さを、数学者としてかなりうまいこと表現しているのではないかと思い、抜粋します。
変化の解析、という思想は、17世紀のヨーロッパの新しい数学を生み出した。それはだいたいの形がニュートンとライプニッツによって完成された微積分、主として1変数の微積分であった。18世紀になると、力学系の議論などの形で、多変数の問題が部分的にはふかめられるようにはなったが、本格的には19世紀になってからである。
ところで、17世紀の人はずいぶん大胆に「無限の計算」をやり、それだからこそ、新しい数学を生み出しえたのだが、その一方で「無限の論理」については、かなりあやふやのものだった。18世紀には科学を国力の基礎とすることの必要、啓蒙主義の時代になるとともに、これらの論理体系への要求が強まってきた。それが、可能になったのは、19世紀になってであった。しかし、これを、純粋に論理的要求とだけとみるのは正しくなく、むしろ、複雑な法則を扱うことが論理的正確さを余儀なくさせてもいた。事実、18世紀には機械的な力学がほとんどであったのだが、19世紀に熱や電気に中心的な関心が移る。そして、18世紀までは、数学者と物理学者は同義語であったが、19世紀以後の資本主義的分業化の中にあって、物理学と数学の間に、純粋数学と応用数学の間に、そして、数学の各分野の間に、その後100年以上もそれらを隔離した壁が築かれる。
このような不幸な事情にあって、ベクトル解析はイギリス人の電磁気学者ないしは応用物理学者の手によって作られる。そのために、それらは、いくぶん断片的であったもりして、解析学の正統権を持ち得ない「応用」として扱われがちであった。純粋数学者のほうはというと、とくに解析学者たちは、もっぱら論理の完成をおっているようにおもわれがちであった。
そういう表現者としての能力は、「教育」という分野においては威力を発揮するように思うのです。
私は、このテキストを読んでいて、やっと「偏微分」の記号をみても、あまり怖くなくなりました。
第0章 ベクトル解析とは
第1章 多変数の微分(正比例関数と微分
多変数の(同次)1次関数
多変数関数の微分
多変数の微分計算
陰関数
勾配ベクトル場
変数変換
2階微分
微分作用素の計算
関数関係
多様体
多様体上の関数)
第2章 多変数の積分(積分の概念
測度
微分と積分(1変数の場合)
多変数の積分
体積要素
線積分
面積分
回転
発散
微分と積分(多変数の場合))
第3章 なぜベクトル解析なのか―多次元世界の微積分
演習問題
練習問題解答
http://www9.nhk.or.jp/ryomaden/
竜馬が、地元の治水工事の仕切り役を務めることになる。
ところが、人夫として動員されている農民が、利水をめぐって、仲のわるい村から調達されていたので、
工事のプロセスの中で、次から次へといさかいを起こす。
工事責任者として困り果てた竜馬は、少しでも、人夫がスムーズに業務を遂行するように、酒を振舞ったり、
楽器の演奏を披露したりと、悪戦苦闘する。
一方、岩崎弥太郎は、父の浪費癖に苦しみながら、貧困のどん底にあえぐ。
竜馬が江戸での留学を希望しているのをみて、うらやむ。
竜馬は、剣術を頼みとし、弥太郎は、学問を頼みとする。
http://www.kajima.co.jp/prof/recruit/new/person/career/01/index-j.html
26歳の時に、やっと念願の現場に出ることができました。全長1.5kmの高速道路の工事現場でした。この頃までには設計課で自分はなくてはならない人間になったと勝手に思っていましたが、いざ現場に来てみると分からないことばかり。誰も自分の言うことを聞いてくれず、職人は指示を仰ごうともしてくれませんでした。
上司には信頼されず、一時は求人広告を見て「ラーメン屋ででも働くか」と思ったぐらい、働き始めて最大の壁にぶち当たったわけです。設計のときはとにかく勉強すればよかったのですが、現場では人に指示を与え働いて貰わなければ仕事にならない訳です。自分より仕事を熟知している職人をも動かす必要があります。しかしどのようにしたら良いのか分かりませんでした。現場に配属されて2年位は、自分の不甲斐なさを痛感し、本当に自信をなくしてしまいました。
それでも日々現場で必要な知識を学んでいくにつれて、少しずつ周りの人たちが自分の言うことを聞いてくれるようになりました。そしてこの時期支えになったのは、一緒に働いていたJVサブ会社の工事主任が、色々なことを教えてくれたことです。「なぜ僕にそんなに色々教えてくれるのですか?」と聞いたところ、「私も昔まだ経験が少なかった頃、鹿島の人に色んなことを教わったんだよ。その恩返しだね」と笑って話してくれました。この現場はトータルで5年在籍したのですが、3年目からは自信も徐々に回復し、文字通り泥まみれになって工事に没頭しました。工事も順調に進捗し、現場の所長以下さまざまな上司や温かい施主にも恵まれ、竣工時には本当においしいお酒を飲む事ができました。