風水講義 (文春新書)

風水講義 (文春新書)

話がずっと錯綜している。
印象にのこるエピソードをちらほらと。
古代中国の科学者DrZhangだったかな。
なぜか、M&Dがいる北米大陸に出現して、独特の方位磁石を
駆使しながら、どうも18世紀北米や欧州の情勢を「風水」の観点から
読み解いているような。
しかも、そこにその当時のヨーロッパの宗教上の知見まで
おりまざる。
そういうわけで、ちょっと風水のことをまとめて調べてみたいと
おもって、この新書を中古で購入。
中国の研究をしている人が、「禁じられた遊び」をしているような
気持ちで、こつこつと中国や韓国における風水のあり方を
どこぞの雑誌で連載しておったと。
どうしてそんなチャンスがまわってきたのかといったら、
筆者が研究に着手してから、いくらか時間がたって
世間のほうで「風水ブーム」が起きたからと。
なんでも「風水」とついたら、いろいろなグッズが売れるといったような
風水バブル」があったのだと。
そういうブームがあるときは、よくあることだが、長年研究している
人にとってみると「トンでも」といったような言説が跋扈する。
そういう状態に嫌気がさして、本書は書かれた。
私はM&Dの読解を豊かにするために、購入しましたけど。
そういうわけで、風水の本家である中国の人や、韓国の人が執筆した
風水のバイブル的テキスト」をベースにして
風水ってそもそも何?」
という疑問に答えるということが、この本のテーマになっていると。
風水
直接的な用途としては、「ご先祖様のお墓の場所の選定」
これが、一番大きかったらしい。
本書の最後に書いてあったけど、韓国の田舎にいくと、
平らな土地にお墓がないことに、日本人としては、驚くのだそうな。
小高い、ぽこっとしたところに、いつも先祖が眠る墓石がある。
これは、風水という地形や天文の解釈の一手法から出される結論に
そってのことなのだと。
風は、地表を吹きます。
水は、私が本書を読んだ限りでは、「川」です。
東アジアの人が、自分の土地の特徴だったり、天空の星の配置や
星や惑星の運行を観測する。
そこで蓄積された事実に、いろいろなストーリーをつけたもの。
星の動きにせよ、いろいろな地形にせよ。
とにかく「パターン」というものがある。
そのパターンに、縁起がいいとか。縁起が悪いとか。ある特定の
行為をすることはまかりならんとか。
そういう「結論」「なんとなくロジカルに引き出されたっぽい規範」
のかたまりみたいなもの。
本書で、典拠になっているテキストは、科挙の試験勉強を中途で
あきらめた人が、中国の各地を巡り歩いて編纂したものだと。
こういう地形は、首都に向いているとか。
こういう地形は、家産を傾けるとか。
そういうものを、図鑑のように集積している。
そういうものの解説が延々と続きます。
このような東アジア生まれの、地形をめぐる「物語」を
18世紀の北米大陸の歴史物語に登場させるというところが
M&Dの面白い、不思議なところ。
いわゆる「科学的根拠」というものがあっての言説ではないので
別にどうってことないけど。
ゲゲゲの鬼太郎」を楽しむつもりで、風水の世界観にひたるというのは
一つのあり方ではないかと思う。
風水の見方にそって、「家をたてるのにおすすめの土地」という
売り込みが入ると、「ここに家をたてて、家族経営をすると、科挙の合格者が
たくさんでるよ!」というものが、本書の色々なところにでてくる。
本当に、科挙合格のご利益があるかどうかは、さておくとして、
家族が居住する家の住所を決めるという話になって、
科挙の記述が、よくセットで出てくるというのは、当時の中国人の
中で、科挙の受験勉強を取り巻く、「教育」「勉学」の存在感の大きさを
推測させる手がかりにはなる。
物語は、単なるフィクションだけど、そのフィクションに反応する人の
行動様式には、幾分かの事実が含まれる。
フィクションは物語の面白さ、鑑賞の仕方というのはそういうところに
あるのではないかなと。
この新書では、風水を説明するに際して、可能なかぎり、
多くの地形図というか、イラストが添付されています。
その地図や、地形図をじっくりながめながら、解説をフォローしていくと、
風水の本質がなんなのか。
ちょっとわかるような気がするかも。
こういうところに、筆者の心遣いはあるのだけれど、それでも
やはり、2次元、3次元のものをながめて、色々な結論や、ストーリーを
引き出してくるものを、新書で、文字主体で説明しようとするときの
無理のようなものは出てくる。
「砂」という字がある。
これは、日本人の、使い慣れた漢字の扱いでいくと、ちょっと誤解する。
どうも「山」という語感に近かったらしい。
そういう難点もある。
とはいえ、昔の中国人の、地理に対するイマジネーションは、面白い。
彼らは、昔から「ドラゴン」「龍」というものを、空想上の動物として
とても愛護していたとか。いまでもそうなのかな。
おそらく、現代中国の「生活様式」にも食い込んでいるところなんだろうと
思います。