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- 作者: イタロ・カルヴィーノ,セルジオ・トーファノ,関口英子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2009/06/16
- メディア: 単行本
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授業にて、取り扱った。
したがって、断片しか読んではいない。
でも、読後、家路につきながら、この作家はどんな人なのだろうと
ずっと考えていた。
子供とずっと接していると、こちらが説明したいことがうまいことがいかないという
ことはよくあることです。
かといって、わからないなら、わかる人だけが、ついて来いとは、立場上いえないのです。
ですから、「こういうふうに、説明したけど、あの子にちゃんと理解が出来ているのかな」
という気持ちの悪い意識を、常に持ち続けることになります。
そういう生活が長く続くと、子供に伝えたい内容について、ハードルをどうやって下げたらいいのかという
意識にたどり着きます。
もうすこし、ありていにいいますと、「とにもかくにも必要最低限のことだけ伝わればいい」
こういう発想になります。
「余計な、前提知識が必要になるようなことを話題にするのは、ご法度にしたほうがいい。」
これは、たとえば、大学という空間のように、話をしている人と、話を聞いている人の間の知的レベルの格差が
あまりない場合は、思い悩まないでいい問題だと思います。
お互い、議論を進めていく上で、必要になる前提知識のハードルがどれだけ高くても、いざ、議論開始という
段階には、お互いに「宿題」をすませているだろうという、「幸福な前提」をあてにできるからです。
それの「前提」がどれだけ確かなものなのかは、検証が必要かと思いますが。
このカルビーノ氏の文章に触れたとき、
表現において、素人の人間が、もつそういったハードルが、やすやすと超えてしまうような
凄みを感じました。
「こうやって、表現すれば、これだけいろいろなことが伝わるでしょう」と。
とても、優雅なダンスをみたような気がしました。
いや、読む子供に、実はつたわっていなくても、いつか、「理解した」という瞬間がきたとき、
カルビーノ氏が、この文章で描いた映像世界が、その子供の頭の中に、(いや、思い浮かんだときは大人になっているでしょうけど。)
優美にうつるのかもしれません。