「もしもきれいな字が書けたら」

今週のお題

そんなのもありましたね。

習い事な。

習字やってみたいな。訓練したら書く字ってきれいになるのかなって
思う。
やっぱり、どれだけITがオフィスに進出しても、手書きの書類が
必要になることはかわりはないわけで。
漢字のタテとヨコの比率とか。
トメとか、ハライをエレガントに書くとか。
そういうのをマスターできたらなって思う。
年賀状などをいただくとき、やはり字がきれいな人と
そうでない人がいるのだなって、思う。
別に、それで、文面がよくなったりわるくなったりするわけは
ないけれど、やはり第一印象というのはありますね。
同じ、「あけましておめでとうございます」
も、達筆と、ミミズでは、ありがたみのようなものが違ってきます。
そういえば、習字をゲーム・アイディアにしたものも
販売されていましたよね。

書くことに関係する道具は多いですよね。
私も、なんだかんだいって相当の数のボールペンを買い換えています。
あれね。4色ペン
赤 青 黒 緑

大体、こんな感じなんですが、青と黒があっというまになくなります。
それでまた買い足す。
結果的に、赤インクと緑インクはものすごくのこってしまって
もったいない。
そう。ということは4色ボールペンは不経済なんだよね。
別々に買ったほうが、やすくあがるよね。
だって、ほとんどつかわない緑インク、赤インクを眠らせる
ことになるからね。
でも、どうしても、色々なカラーを駆使できるようにしたい
場合もある。
そういうとっさのときの必要はやはり馬鹿にならないのでは
ないかなと。個人的にはそう思っております。
きれいな字を書く。
読みやすい数字を書く。
基本的なことですが。毎回、そんなことで泣かされるのです。
あれも、小さいころから、しっかりしつけの中の一つとして
習得させたい「技能」の一つですね。
小学校や、中学校でスミで字をかく「習字」の時間というのが
ありましたが、あれも、いまになっておもうとそれなりの
必要性というか、カリキュラムとしての合理性があったんだなと
思います。
出来合いの墨汁をつかうか、すずりをかって、気長に、スミの
石みたいなもので、ゴリゴリゴリとすずりを
こすってこすってこすって、すずりにいれた水でしっかりと
黒い色になって、紙に字を書けるようにするというあの時間。
はっきりいって、私の記憶のなかで、すずりをまともにつかった
スミで、まともな発色ができた記憶がありません。
結局、らくな墨汁に頼むということをしていました。
たしか、「天下泰平」とか、そんな熟語を書いていたと
思います。
習字と、スミでいい字が筆で書けるようになるスキルというのは
まあ、関係しているといえばしているのかな。
こんなところも、字をきれいに書かせてくれる先生にご相談
したいです。
学校の習字のセンセイは、習字に必要な道具をわすれた
生徒に対しては、「所定の位置に座りなさい」と指示を
だし、机の上に正座をするという罰ゲームをシステムに
しておりました。
冬休みの宿題で、これがでて、大嫌いだったんです。
最近は、宅配便が届いたときに、荷物の受け取りの証拠に
なるサインを求められるな。
あれ、どうしても、丁寧にかけなくて。
はやく、荷物を受け取りたくて、どうしても、名前をかくのが
雑になってしまいます。
でも、荷物を届ける人と、荷物を受け取る私はストレンジャーな
わけです。
字がきれいに書けるかどうかというのは、大事な「出会い」というか。
「あいさつ」のひとつでございますわね。
字がとてもきれいに書ける生徒さんに、ものすごく成績のわるい
生徒さんには、まだあったことがないです。
程度問題ですけど、ある程度の相関関係はあるのではないかなと
思います。
やはり、自分で書いた記録を後で読み返すという作業を
する場合、字がきれいだったらまだしも復習でもやってみようか
ということになりますけど、字がミミズだったら、復習しようと
したときになえます。
だから、私はノートをとらないで、授業を記録するにはどうすれば
いいのだろうと、そんなことを考えておりました。