確率 1回目

A First Course in Probability

A First Course in Probability

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www.youtube.com
ドラマ Good Luck
冒頭の歌詞は「ride on time」から取りました。下記のドラマの主題歌に採用されたものです。

ANAを舞台に、木村演じる若手の旅客機パイロット・新海元を中心に、恋愛と仕事に生きる人達を描く青春ドラマ。ヒロインは柴咲コウ。共演に堤真一黒木瞳竹中直人いかりや長介など豪華俳優陣が脇に集まった。
第1話放送後から、撮影に全面協力していたANAの株価が上昇。ドラマ放送後、JALなど航空業界への就職希望者が急増する現象が起き、柴咲が演じた航空整備士を志願する女性は今でも多くいる。この航空業界への就職ブームについては、当のTBSのニュース番組の中で当時取り上げられた。
放送時間は日曜日21:00 - 21:54(第1話は21:00 - 22:09、第9話は21:00 - 21:59、最終話は21:03 - 22:09、すべてJST)。全10回。平均視聴率30.6%、最高視聴率は37.6%を記録した。

飛行機の運行に関する事故の確率計算についての講義なども
出てきます。
飛行機にせよ、航空産業にせよ、メディアでエンターテインメントの舞台になることが
おおいものです。
今回は、そういうこともあって、確率の授業を、少しでもアレルギーなく
最後まで「読める」「理解できる」「計算できるようになる」ことを目指して、連載をつくりました。

このブログの確率特集の講義をされたのは下記の経歴をもつ稲垣教授という人です。

筑波大学 大学院システム情報工学研究科長、稲垣 敏之氏。1979年に京都大学大学院 工学研究科 博士課程 精密工学専攻修了。2012年から現職。国土交通省の第5期先進安全自動車(ASV)推進検討会で副座長を務める。

現代の社会は,航空機や自動車などの移動体や巨大エネルギープラントの事故,都市・地域災害の 発生などをはじめ,さまざまな危険にさらされています.また,情報・通信技術の飛躍的発展による利便性向上の一方で,個人情報の盗用,電子的詐欺の巧妙化など,いままでになかった新たなリスクも発生しています.

リスク工学専攻は,これらの問題に的確かつ柔軟に対応でき,近未来に起こりうる多様なリスクを予測・制御する能力を持つ高度専門職業人の育成と最先端科学技術の先導的研究を目指しています.また,理論・応用研究の成果を社会の「安全・安心」構築 に貢献できる研究教育体制を具備し,先端科学技術を創出するリーダーシップを発揮できる若手研究者の恒常的輩出と,世界的視野に立ったリスク工学研究の先導的役割を担うことを目的としています

by financial planner

多くの人は、お金は足りないが時間は余っている、と思い込んでいますが、大いなる勘違いかもしれません。なぜなら、自分に残された時間が後どのくらいあるかは誰にもわからないからです。自分は90歳まで生きるつもりでいても、実は寿命は60歳までと知れば、時間の希少性に気が付くはずです。やりたくないことをやっている時間はありません。

公理論的確率論
測度論
面積 体積を出すことの数学的表現

ルベーグ積分 横に切る 見通しが良くなる点がある → 期待値の計算
工学でやらない 理学部のカリキュラム
数理工学のレベル
ross 教科書 例題が面白い 

リーマン積分 求めたい面積を縦きりの短冊にする

授業概要
不確実な知識の下での推論の基礎を学ぶ。不確実な知識の表現,確率的推論とその性質,人間の判断のバイアスと誤り,情報の価値,不確実情報下での合理的意思決定,意思決定論的エージェント。

コルモゴロフ

しがこうじ ルベーグ積分

数学的確率論
統計的確率論

試行
標本空間 sample space
コインは表か裏しかでない。
車の寿命なんかも、0年から∞年までを範囲として設定
サイコロに関心があるのが丁半だけだと
偶数か奇数だけ

2回目の授業
事象とは

事象

事例
コインを一回投げる 裏が出る限り、10分まって降ることを繰り返す

空集合事象の中の一つになるという話。

事象の演算

和の事象

積の事象

差 集合

確率の計算 → 面積の計算が入ってきている
標本空間を面積1と実は仮定しているでしょと。
事象が占める面積がその何割を占めているのかを問題にしている。

事象

空集合 空事象 → いかなるエレメントも含まない 起こりえない事象
ある2つの事象が同時に起きるかどうか → 記述ができる

補集合 compliment

Eがおきる

Eがおこらない これが補集合

確率論と力学を受講するという事例

A
A+
B
C
D

どれかの評点がつく。

確率論で単位がとれている状態 E

力学で単位がとれている状態 F

確率ではとれた 力学は落第 

Eであり、かつ Fの余事象

排反 の定義

AとBは決して同時におこることはない

英語 disjoint

二つの事象が独立であるということの定義 のさわり

お互いに自由に振る舞えるということ

力学の先生と確率の先生が単位取得の可否で示すあわすかどうか。→ 排反になりうる

力学でとれるかどうか

確率でとれるかどうか

これは独立

第2回目


Eが起きる確率

公理1 負にならない
公理2 すべて足し合わせると1
公理3 共通部分がないそれぞれの事象の和は足し算になる。

公理は仮定です。

これより重いものはないというレベルの仮定。

この3つの約束による記述だけで、分厚い本が書かれていく。

実数値集合関数

完全加法性

事象の確率は0になる。

上記のことは「証明」を要することである。(明らかである としてはいけないこと。)
証明の説明

有限加法性質
互いに排反する事象列Eの集合に対して
そのすべての確率を足し合わせると1になる。

奇数がでる確率 = 1 − 偶数が出る確率

という一般的証明


単調性というトピックでした。


劣加法性

優加法性はこの反対。

劣加法性をさらに一般化する nを∞にとばす。



複合確率の公式

包含排除の原理 inclusion exclusion identity


解析の復習をしましょう。

完全加法性 = 有限加法性 + 連続性

littel

神奈川県横浜市出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、東京大学文学部仏文学科卒業。1954年東大助手、1957年明治大学講師、助教授、1972年東京大学文学部仏文科助教授、1982年教授。
1984年に『詩学創造』で芸術選奨文部大臣賞、1986年に『ステファヌ・マラルメ』で読売文学賞、1997年に『永井荷風巡歴』でやまなし文学賞、1999年に日本芸術院賞をそれぞれ受賞。2003年、日本芸術院会員。2006年、旭日中綬章受章。2007年、世田谷文学館館長。2011年『慈しみの女神たち』で日本翻訳出版文化賞受賞。
現代フランス文学の翻訳が多数あるほか、近現代日本文学の研究も盛んに行っている。1981年から2001年まで「東京新聞」などで文芸時評を担当、『変容する文学の中で』として刊行された。

星埜 守之(ほしの もりゆき、1958年 - )は、日本の文学研究者、フランス文学者、東京大学教授。専攻、20世紀フランス文学、フランス語圏文学。
米国ペンシルベニア州生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退。パリ第3大学高等研究免状(DEA)。1998年渋沢クローデル賞・フランス大使館エール・フランス特別賞、2001年日仏翻訳文学賞白百合女子大学仏文科教授、2007年東京大学大学院総合文化研究科准教授。2012年4月より同大学院教授。2011年『慈しみの女神たち』で日本翻訳出版文化賞受賞。

篠田 勝英(しのだ かつひで、1948年 - )は、日本のフランス文学者、白百合女子大学教授。中世フランス文学専攻。
1973年東京大学仏文科卒。1979年同大学院博士課程単位取得満期退学、白百合女子大学文学部専任講師。1982年助教授、1992年教授。
1984年、デュビー『中世の結婚』の翻訳で渋沢クローデル賞受賞。1997年、『薔薇物語』の翻訳で読売文学賞受賞。2011年『慈しみの女神たち』で日本翻訳出版文化賞受賞。

有田 英也(ありた ひでや、1958年 - )は、日本のフランス文学者、成城大学教授。
山口県生まれ。1981年東京大学仏文科卒。1990年同大学院博士課程単位取得満期退学。パリ第4大学博士。東大文学部助手。1991年成城大学文芸学部専任講師、1994年助教授、2001年教授。2011年『慈しみの女神たち』で日本翻訳出版文化賞受賞。
20世紀フランス文学、特にナショナリズム文学が専門。

フランス現代文学で「多読」「うたかたの日々」

L Ecume Des Jours - Edition Anniversaire (Ldp Litterature)

L Ecume Des Jours - Edition Anniversaire (Ldp Litterature)

読了。
http://www.kotensinyaku.jp/archives/2015/01/006458.html
YouTubeをテレビ代わりにして色々な動画を視聴してきた。
家庭教師・塾講師という立場上、やはり教育的観点というものも気になって
「これは!」というコンテンツを探すことにする。
ぱっと思い出すだけでも、クラシックバレーの公演や、有名なミュージカルの
上演などなど、今までだったらビデオレンタルなどをするか、会場に
赴いて、チケットを購入しないと鑑賞できなかったのではないかという作品も
多くある。そういったものがどういうものか取り上げるだけでも、かなり
大きな作業になりそうなので、ここではあまり踏み込まない。
立場上、色々な生徒さんを教える。
色々な科目も教える。どうしても「何でも屋」という立場になる。
最終学歴が文系であるということもあり、自分の中では
一番得意なのは語学なのかなと。そういう自覚もあるので、
この先も、外国語を学習していく上での有効な方法論などを
模索していた。
そんな時に、遭遇したのがSEGという学習塾が主に推進役に
なっている「洋書の多読」というものに出会う。
仕組みは単純で、
「辞書引かない」
「面白くなかったらやめる。」
「興味のあるところだけ読む。」
という3つの原則を守りながら、どんどん自分の興味の赴くままに
洋書を読んでいけと。
そういう語学の学習論。
すでに、この方法論は英語教育の現場においてはかなり認知されているらしく。
受験進学教育に熱心な割とメジャーな中高一貫校にいる英語教師による普及活動も
進んでいる模様。
詳しくは調べていない。
だったら、英語で書かれているテキストに関連して「多読」のことを書いても今ひとつ、
インパクトにかける。
そうはいっても、やはり「なんちゃって英語教師」としてやはりそれなりの洋書購読の
経験も積みたかった。
ということもあり、このブログでもかなりの回数をつかって
トマス・ピンチョン」という英米文学の世界では大物として認知されている小説家の
作品を取り上げたりした。
性格的に自分は飽きっぽいんだなと思う。
このまま、他の英米系の作家の研究するをするか、ピンチョンの作品理解をさらに深めていくという
ほうがよかったのではないかとも思ったが。ちょっと休憩。
なぜ、休憩をしようと思ったのか。
自分は、英語に関しては、あまり不得意とか、挫折とかを感じたことがなかった。
だから、「英語の成績を維持する」という動機は働いても、
「英語の成績をのばさないと!」というプレッシャーは今ひとつない。もちろん、上には上が
たくさんいるので、やらないといけないのだけど。
こういう状態で、英語の多読だけをやっていても、
「洋書の多読」というものが、本当に外国語の習得、上達の秘訣として有効かどうかの実証は
できないのではないかと思った。
もともと得意だと思っていたものを、さわりやすいから、時間を使っていただけということにも
なりかねない。もちろん、まだまだ精進しないといけないことが山ほどあることは承知の上。
あくまで程度問題。
それより、自分にとって英語よりもっと、疎遠な外国語で、多読をすることで
その外国語が自分に身近になるかどうかを検証したほうがいいのではないかと。
そういうふうに考えた。
それと、自分にとって未知の外国語の「単語の記憶」の方法についての検証にも絡まる。
このブログでも英単語の記憶、12000語ラインを目指して、携帯電話の英単語アプリをひたすら
覚えていくということを記述したことがある。
あまり実証的なデータなどで示すことはできないけど、この作業は後々の文献購読にとても
有効だったと思う。
やはりペーパーバックを最初から最後まで読み通すのはしんどいけれど、それでも
なんとか、最後まで読み通す力がつくところまで来たのは、やはりある程度、自分の頭に
英単語のストックを入れたからだと思う。
この「英単語の記憶方法」の有効性が、他の外国語についても有効かどうかも検証してみたかった。
つまり、
「多読」「単語の記憶」のメソッドというものを、英語以外の外国語で試した方が、
かえって、このメソッドの有効性の検証に有益なデータを提供するのではないかと思った。

そこで、学生時代に少しだけ触れたことがあるフランス語で「多読」をしてみることにした。
そして、あえて、「Graded Readers」としてレベル高めのものに挑戦することで
単語をどんどん覚えて、本格的な洋書にアタックしていくプレッシャーを自分に与えてみようと思った。
ここまで、書いていて、また改めて、自分が洋書の購読について考えていたことがある程度まとまる。
SEGなどが推進する英語の多読の「システム」はとてもよく整理整頓されている。
英単語の語彙数がレベル別に分かれているし、本格的なペーパーバックを読みたい人にも
「読書案内」のジャンルの本がどんどん出ている。
でも、「人文系の研究レベルでよく参照されるような本」に関してはまだまだ案内がされていない
のではないかなとも思った。これは当然といえば当然で、英語が苦手な人が、英語に対するアレルギーを
取るために多読という方法を取るので、あまり内容が濃密な本格的な文学作品などは、真っ先に
「読むべきリスト」から削除されるベキなのだ。

この問題は違う観点からも見ることができる。
社会学、文学、経済学などの研究者が、翻訳などを通じて、日本の読者に紹介してきた「名著」といわれる
書籍を、「こういうテキストだって多読の対象になる!」という考え方を提示することで
今まで、専門的な人にしか縁のなかった本が、「語学学習用」というしっかりと市場のあるたくさんの
人に紹介することが可能になる。
すこし先走ることになるけれど。
映画と、映画の原作になる原作の関係。
映画が有名になると、その原作も書店で売り上げを伸ばすみたいなイメージ。
「専門ジャンル」に分類されそうなものでも、「多読のGraded Reader」というレッテルを
つけることで、多くの読者に迎えられる流通経路を見つけるみたいなイメージ。(2400文字)

トマスピンチョンのテキストをこのブログで紹介していった時にもこういう意識はどこかにあった。
彼は長い作品を書く。
「重力の虹」「against the day」「Inherent Vice」「Mason & Dixon]
「Vineland][Cryinglot 49][Bleeding Edge] 「V」
正確にカウントしていないけれど、彼の作品にがっぷり四つに組むと、実は100万語に到達します。
だとすれば、ピンチョンだって、「多読テキスト」として読書の対象にすることが可能になる。
「教材」としての流通経路を見いだすことができる。
そして彼の作品世界に、今まで縁遠かった多くの日本人読者が見いだせたら、それは
また日本の創作文化になにがしかの影響を与えることになる「かも」しれない。

外国語を学ぶ意義ということにも、新しい光が当たるかもしれない。
いや、光が当たるという言い方も適当ではないかもしれない。
特に、人文系の研究者が営々とやってきた洋書購読という「作業」を
「学習」という観点で「見直す」「仕立て直す」そんなことができたらと。
ふと思った。

それは、日本で、色々分野で「文化史」的なプロセスがある場合に
「要するに、とある外国語ができる人が、日本にとあるテキストを紹介することで展開した」
ということに集約されるのかもしれないけど。
それを、簡単に自覚するというもの悪くないかもしれない。
少なくとも、洋書の多読のまねごとをやるまで私はそんなことを意識することもなかった。
「論文を書く為に、文献を読み込む」という作業自体も、その意味を見いだすことが出来なかった。
でも、外国語でテキストを読もうと思うと、やはり辞書を引くことから始まって、
その国の文化や歴史の調査と無縁でいられない。
でもその過程を通じて、試験の成績プラスαの何かを得ていくのだと思う。
そんなことを、フランス語の読書で、実験してみたかった。
ちょっと話はそれるけど、東大駒場キャンパスでイタリア文学の研究者の先生がいる。
その先生(たしか准教授)の特別講義が動画で公開されていたので
視聴してみた。
その研究者はどうもプロフィールをみると、10年近くイタリアに留学していたそうな。
専門はおそらくダンヌンツィオ。
という名前の国際的流行作家。
厳密な検証はまだないみたいだけど、おそらく、おそらく三島なんたらという
作家はこのイタリア人の作家としてのスタイルに強烈な影響をうけて
みずからの「文学活動」を営んでいた節がある。
哲学科の教授はあるときはハイデッガーを読み、ある時はカールマルクスを読んで、
著書にその研究成果をまとめる。

そんなことを考えていたときに、光文社という出版社が営んでいる「新訳古典の森」という
プロジェクトを知る。
どこかの、有名な文庫が並べそうなメジャーな海外の文学作品を、色々なジャンルの研究者、
専門的な翻訳のプロの人たちが「新訳」として送り出していく。
こういうシリーズで取り上げられるものを「多読テキスト」の対象として見てみたらいいのではないかと
思った。
そして、さらにタイミングがいいことに。
YouTubeという媒体によって、今までなら、「動画視聴」なんて考えられなかったコンテンツに
アクセス出来るようにもなった。
光文社はそこで、東京大学フランス文学研究者に、ボリスビアンという小説家の作品で、
翻訳を依頼した。
その作品の原書のタイトルはL'Écume des jours。

この動画を視聴するまでは、このボリスビアンという小説家の名前すら知らなかった。
「うたかたの日々」という小説の存在も初めて知った。
ここで、動画の中で話されていることを重複して書くこともしないと思う。
ちょうど、ピンチョンの読み込みをしている時に、脱線的な感じで視聴したんじゃないかと思う。
「重力の虹」という作品が、第2次世界大戦の最中から、直後のドイツベルリンなどを舞台していたのと
重なって、どうやらこの「うたかたの日々」は、ドイツ軍から解放されたばかりのパリという
雰囲気が強烈に残っている時に誕生した作品なのだと。
そんなことを確か、この動画に出演している野崎先生は話した。
このとき、
「外国語で小説を読むことが出来たら、外国語で物語に触れる力があったら。たとえそこにいったことが
なかったとしても、自分の日常生活からは想像も出来ない、違う世界に触れることができるのかなと。」
そんなことがなんとなく頭をよぎった。
たしか、野崎先生がこの動画でいっていたことにこんなこともあった。
フランス文学には、長い伝統がある。そして政府も、文学作品を尊重する姿勢をもっている。
政治的な力がどれくらいあるかはさておいて、フランス語というものが、自覚的にしっかりと
整備されて、フランス人に使われてきた。」
傑作といわれる作品が長い年月にわたって、生まれるようにきちんと環境整備をしてきたのが
フランスという国なのだと。
そんなことを確か、おっしゃっていたと思う。
それも私には新鮮な驚きを覚えた。
これは、聞きかじり。読みかじりだけど。
飛行機にのる機会があり。「機内誌」を読む。そこで、日本で長いこと陶芸の作品を発表することに
従事してきた人が、念願かなってパリで個展を開くことができることになったというエッセーを寄せていた。
ある程度、まとまった滞在になる。当然、地元の飲食店に立ち寄る。
どうやら、店主と話をしているとき、陶芸で生計を立てているということを言ったらしい。
その店主は「そうか。君は芸術家なんだね。そういう人からお金を取らない。」
といって飲食代をただにしてくれた上に、自分の個展にまで来て、ワインのお土産を置いていったと。
マークしていなかった小説家。
はじめて聞く小説のタイトル。
この動画では、ある程度、この「うたかたの日々」を知っていることが前提になっているのか、
それとも「紹介」という性格があるのかは、いまひとつ、わからないけど。
どうやら、裕福な青年が、一人の女性に出会い、恋愛のすえに結婚をするが、
相手が難病にかかり、自己破産までしたあげく、その伴侶にも死なれるという話だということは
わかった。
ただそれだけだったらお涙くださいで終わる訳だけど。
どうもそこがボリスビアンの真骨頂というか。SF的な不思議な小道具を色々と登場させて、
とても幻想的な雰囲気を作品世界に与えているのだとか。(4700)

この動画にも少しだけ登場するけど、おそらくこの作品に出てくる不思議な品物の
代表格。
ピアノカクテル。
旋律を奏でると、その旋律に応じて色々なアルコールや原材料が自動的に混合されて、
カクテルが調合されるピアノ。
私がこの作品を読もうと思ったきっかけの一つ。
よくもまあ、こんな奇想天外なものを思いついたな。
現在の科学技術で出来るかどうかの前に、ある程度、こういうartistの発想というものが
まず先攻して、大ヒットする商品には必要なのかなとか。そんなことも思った。
この後、時間を置いて、この作品「うたかたの日々」を読むことになるが。
不思議な機械は、このピアノに限らないで、色々と出てくる。
それだけでも延々と、色々なことがかけるくらい。作品の長さはそんなにないのだから、
それだけ、「うたかたの日々」の密度は濃いということ。

「うたかたの日々」の本筋には入らないで、延々と、どうして自分がこの本を読もうと
思ったのかというなりそめをやたらと書くということをやってしまった。

あらためて。
この作品の主人公はコランという青年。二十歳をちょい過ぎたくらい。
どういう由来かはわからないが、物語がスタートした直後は、働いて、生活の糧を
得る必要がないくらいに、十二分な財産をもっているという設定。
そして、ニコラという専属料理人も抱えて、優雅な独身貴族の生活を楽しんでいる。
作品が発表された当時に、一世を風靡していた哲学者サルトルをパロディにしたと
誰でもわかる「パルトル」という哲学者に傾倒しているシックという親友もいる。
コランには、クロエという恋人ができる。
シックにはアリスという「哲学の同志 兼 恋人」がいる。
何の現実感もない雰囲気で、作中の若者はパーティーを楽しみ、
恋愛を楽しみ、結婚する。
ところが、後半になると、クロエが、肺に睡蓮の花が咲き誇るという奇怪な
病におかされ、コランは彼女の看病のために、高額な医療費の負担を
余儀なくされ、ついには自らの蓄えもそこをつき、
自分の生気を養分ににして、武器の製造をする会社でのアルバイトや、
人に未来におこる不幸をアナウンスすることで、告げた本人からの八つ当たりに
さらされる仕事(個人的には某国営放送局の放送料の集金を思い出した。)
などをしないといけない状態に追いつめられていく。
シックとアリスのカップルにも悲劇はやってくる。
シック(工場勤務のエンジニア)は、コランからアリスとの結婚の準備金として多額の金銭の贈与を受けたのにも
関わらず、そのすべての金銭をパルトルに関連する骨董品の購入に費やしてしまう。
そんなシックに絶望したアリスは、パルトルを、シックが狂気に陥った元凶だとみなし、ついにパルトルを
殺害してしまう。そしてシックの行きつけだった骨董品のお店に放火して、自らはその中で灰となる。
シックは、税金の滞納が理由で官憲からの捜索差し押さえをうける。
その公務の執行を妨害したかどで銃殺される。
この「うたかたの日々」は、すでに色々なブログで紹介されているけど。
私個人としては、コランとクロエが話の中心であることは間違いないが、このアリスとシックというカップルの
たどった末路のほうが衝撃的だったように思います。
かつて、学生時代に哲学書といわれるものを読んでいたことがあったからかな。
サルトルのテキストは、「自由への道」という長い小説をこのブログで多読テキストとして紹介した
ことがあります。
コランは、クロエという恋人と契りを結び、彼女の破滅に巻き込まれるようにして生きていく。
シックは、アリスを顧みないで、パルトルにまつわる骨董品やテキストの収集に奔走する。
そしてどちらにも、暗い結末がまっている。
ニコラを狂言回しにして、このコランとシックの二人の物語の交差に印象を受ける。
などどということを書くと、なにやら、「文学部っぽく」なってしまうのでもう少し、
ライトな感じで。
先ほど、ピアノカクテルの紹介をしたが、本作品では、ニコラという専属料理人が主人であるコランに
用意する様々な料理が出てくる。これもまた秀逸。
今はGoogle検索の時代なので、出てくる料理や食材に関してもいくらでも調べることができる。
やはりグルメの国だなと思う。

多読のトレーニングとして、なるべく一定のペースを守ろうと心がけて、
「うたかたの日々」の原書に挑戦。
そんなに長い小説でもないので、1日10%の進度を守る形で読み進める。
辞書は「あまり」ひかない。というか、kindleの「辞書」だと言葉が出てこなかったりする。
やはり、プチロワイヤルのような本格的な辞書を手元に置いておくべきだったなと。

フランス語常用6000語

フランス語常用6000語

フランス語分類単語集

フランス語分類単語集

こういったいわゆる「単語集」で一定の時間を置いて、原書に挑戦するための基盤に
なる語彙のストックを増やしていった。
分類単語のほうは、前書きにもある通り、フランス語の中で、頻繁に登場する
語法などに習熟する必要のある単語は一切掲載されていない。だから名詞にかたよる。
だから、「常用6000」のほうを徹底的に理解暗記することが大事になる。
これをすると、かなり読み進めることができるようになる。
それでも、「うたかたの日々」をフランス語の原文で読み進めるのはきつい。
どう考えも、「常用」にも「分類」にも掲載されていないっぽい単語がこれでもかこれでもかと
登場する。
もともと、幻想的な雰囲気にあふれている作品なので
「こういう設定、こういう場面だったら、だいたいこんなことが」
みたいな常識というものが読解の時に働かない。
クロエが重病になったとき、コランが彼女のための薬を薬局で処方してもらうシーンがあったが、
その薬局で使用されている薬の製造マシンの描写などは、野崎訳を読まないと、その全貌を
原文で掴むことはできなかった。
コランが、医療費を稼ぐためにどういうアルバイトをしていたのかとか。
こんなのも、野崎訳を読んで、ようやく理解した。
フランス料理に対する造詣などもほとんどないので、食材などでちょっと込み入ったものが
出てくると、お手上げ。
「ああ、無情」の原書を読んでいくために辞書を引く作業でもこういうことが多かった。
携帯電話ではなくて、手紙でのやり取りとか。
移動手段が車ではなくて、「馬車」だから宿屋に馬の宿泊する場所があるとか。
戦争するのにも、ハイテクではなくて「白兵戦」だから、兵隊のユニフォームの細かい描写があるとか。
そうすると19世紀で消えた語彙などが、よく出てくるから、プチロワイヤルだと、少ししか
説明が掲載されていないとか。それでもあるだけ助かる。kindleの辞書になると、そもそも
「ないよ」という返答がかえってくる。
「多読」を経験していくことで、「辞書の偉大さ」というものにも目覚める。
よくぞまあ、これだけ色々な言葉が出てきているのにちゃんと、引いたら、必要な情報が
掲載されているってすごいと。素朴にそういうことを思う。そういえば辞書の編集に関わった人をモデルにした
映画とかあったな。
外国文学をまともに読みこなそうと思ったら、想像もしなかったような色々な素養がないと、
何の妨害もなしに、そのままダイレクトに筆者の想像した世界を鑑賞することは出来ないのだなと。
そんなことを痛感する。
同時に、学校で行う語学教育の枠内で読むものというのは、しっかり語彙が統制されていて、
ある意味「本物感」がないのだなと。
本格的に、評価の定まった原書を読もうとすると、際限のない語彙の調査が必要なんだなと。
それが、翻訳に関わる人たちの気苦労なんだと。3000

とここまで書いたら、原書と訳書に対する私の「書評」みたいなものはもう出来上がったようなもの
なのかなと。
正直、英語で読んだものを日本語で読み返したいとはあまり思わない。
二度手間になるよなと。
でも今回はテキストに関してはそうはいかなかった。
野崎訳を参照しないと、ある程度、内容に自信をもってブログを書くということはとても出来なかったと思う。
あとがきなどを読むと、いま最新のビアンの作品を集めた「全集」を参照されて、
しっかりと、それを「訳注」(「うたかたの日々」の文庫の後ろにかたまって掲載されている作品に出てくるものへの注記事項のあつまり。)
として反映されたとのこと。
これは貴重。原書でtryという人も、こんなものは原書にはないですから、それだけでも訳書を買う価値が
あるって感じです。
この作品では、ビアンが、熱烈に好きだったjazzにまつわる情報もたくさん掲載されている。
そもそもクロエというコランの恋人の名前も、デゥークエリントンというjazzの名手による楽曲からとられたもの。

なんとなく、話がうろうろしてしまうなと思うが。
この「うたかたの日々」を下敷きにした映画「the mood indigo」というものもdvdで鑑賞しました。
大体、作品世界をうまいこと再現しているのではないかなと思いました。
監督は、get luckyのチームのpvなどを担当したとのこと。one more timeだったかな。
それと、ビョーク。human behavior
監督のミシェルゴンドリーは映画に華やかさを添えるためにこのjazz
を徹底的に利用しています。

この映画についても下記の対談で、翻訳者とプロのjazz演奏家が色々な話題に
触れています。

この対談も、作品に触れる前に聴いていて、なんとなく面白いと思った。
だから読んでみよ。映画も見てみようと思えた傑作の動画。おすすめです。
場所はおそらく東京大学本郷キャンパスのどこか。

うたかたの日々

うたかたの日々

野崎先生が登場する動画でも言及されている岡崎京子という漫画家による
「翻案」。
古本をamazonで購入して読んでみました。
帯のほうに、

「私の夢はオカザキ版「うたかの日々」を読んでパリジェンヌが涙を流すことよ。」

というキャッチが入っていました。
最近は「レミゼラブル」の漫画化とかも進行していて、外国文学のポピュラーなやつを
漫画にして市場に出すということもあまりめずらしいことではなくなっているようですが。
わりかし、この時期にこういう願望をもって作品を世に出す人というのは少数はだったのかなとか。
色々と突っ込みどころはあります。
そもそも、この作品は日本でだけ生き残って売れているけど、肝心の本国では見向きもされていないとか。
それが、オカザキ漫画で復活したりするのかとか。
閑話休題
漫画のクオリティーはとってもいいのではないかと思いました。
原書の中身確認して、翻訳も読んでからの購読なので、3週目の「うたかたの日々」。
さすが。漫画。あっというまに読めます。原作だってそんなに長い本ではありませんから。
多分、30分くらいあったら充分にいけるのではないかと思います。

とはいえ、実際にこの「うたかたの日々」がパリで出版されて、筆者の死後、フランスの5月革命では
運動に参加した学生がよく読んでいたということもききます。
もちろん、時代的制約といのはあるのであります。
最近は、男女雇用機会均等法の時代でございますから。
男性よりばりばりと稼いでいる女性だってわんさかいるわけです。
そういう時代からすると、クロエみたいな女性がヒロインになって、無力に死んでいくというストーリーというのは
ある種の「偏見」があるのではないかとか。
だとしたら、現代版で修正するとして、どういう方法があるのかとかも考えたりすると面白い。
話はそれますが。
JR大阪の駅で、とあるイタリア風のカフェというものが出店されました。
私はこの駅の大改装工事が会ったときからこの店舗をみているので知っていますが。
私の知る限り、あまり客足がいいとはいえなかった。
ところが、今年になって、ロングセラー的に子供に大人気の「名探偵コナン」の知的財産権
活用する事業提携(?)で、いきなりそのカフェでサンドイッチやコーヒーを頼むのに行列が
出来るようになっていた。
なんてことはない。店の看板に「コナンのカフェ」と書いてあり。
名探偵コナン」のいくつもあるストーリーの中で、実際に登場したことのある「料理」が
そのカフェで注文できるという仕掛けが出来ただけ。もちろん、それだけでなく、
いわゆる「オリジナルグッズ」といいますか。キーホルダーとか。下敷きとか。
マグカップとか。アニメのキャラクターがあしらってあるやつ。昔からありました。
名古屋の万博でトトロの家つくったら、行列できたのと同じ論理。
「うたかたの日々」は、物語の結末があまりにも悲劇的なので「コナン」「トトロ」を目指すのは
難しいかもしれないけど。
「コランの家」は充分、アトラクションになりそうだし。
「ニコラ」という天才料理人が腕によりをかけた料理が「フランス」のブランドを背負って登場するし。
そういう意味で、出し方を工夫したら、いくらでも化けてくれそうな作品だなと。
そんなことも思いましたが。もう一般の人にはハードル高めになったかな。(1100)

wikipedia

事件の発端は1966年に起こったストラスブール大学の学生運動で、教授独占の位階体制に対する民主化要求からはじまる。ナンテールに波及し、1968年3月22日にはベトナム戦争反対を唱える国民委員会5人の検挙に反対する学生運動に発展、ソルボンヌ(パリ大学)の学生の自治と民主化の運動に継承された。アナーキストのダニエル・コーン=ベンディットと統一社会党のジャック・ソヴァジョ、毛沢東主義者のアラン・ジェスマル、トロツキストのアラン・クリヴィンネが指導し、フランス全体の労働者も同趣旨から民主化に賛同し、運動は拡大した。5月2日から3日にかけて、カルチエ・ラタンを含むパリ中心部で大規模な学生デモがおこなわれた。5月21日にはベトナム戦争プラハの春事件等の国境を越えた国家権力の抑圧に反対し、自由と平等と自治を掲げた約1千万人の労働者・学生がパリでゼネストを行った。これに対して、機動隊がこの参加者を殴打したため、抗議した民衆によって工場はストライキに突入し、フランスの交通システムはすべて麻痺状態に陥った。「中央委員会」は間接的に援助、各大学もストライキに突入し、このゼネスト第二次世界大戦以来の政府の危機をもたらした。
「モスクワの長女」ともされたスターリン主義的なフランス共産党は、影響下にある労組ナショナルセンターであるCGT(労働総同盟)を通じて労働者のストライキを組織したが、ベンディットらの急進的な学生運動を一貫して否定し、バリケードを構築しての衝突や街頭占拠を積極的に推し進めるアナーキストトロツキストたちを「挑発者」として、激しく非難した。
シャルル・ド・ゴール大統領は、軍隊を出動させて鎮圧に動くと共に、国民議会を解散し、総選挙を行って圧勝し、事態の解決をみた。労働者の団結権、特に高等教育機関の位階制度の見直しと民主化、大学の学生による自治権の承認、大学の主体は学生にあることを法的に確定し、教育制度の民主化が大幅に拡大された。また、五月革命は政治的側面のみならず、「旧世代に反対する新世代の台頭」あるいは「フリーセックス」「自由恋愛」に代表されるような「古い価値観を打破する20世紀のルネッサンス運動」という意識を持って参加するものも多かった。
フランスの五月革命は西ドイツ、日本、イタリアなどの先進国の学生たちに大きな衝撃を与え、学生運動の激化をもたらしていった。

学生がイニシアチブを取る、政治的な運動というものに建設的な価値を認めるかどうかとなると。
いかんせん、「彼らって無力なんじゃないか?」という「感覚」が私にはあるので、なんともいえないです。
そういえば、「うたかたの日々」でもスケート場の場面でなぜか、その当時のフランスの共産党の有力政治家の名前が
さりげなく登場するという場面もあったやに思います。
巻末の注釈をみると「本筋にはなんの関係もない」みたいなことが書かれていました。
野崎先生の動画によると、この文学作品で論文を執筆するとなると、
「クロエの肺の近くで咲き誇る睡蓮の花にはどういう暗喩なのか?」
ということに説得力のある議論が展開できるといいのだと。
そういうことでした。典型的なものでは「妊娠」の暗喩なのだと。
そういう意見もある。アート系の女性は、「妊娠」による体型の変化などを蛇蝎のごとく嫌うという人も
いたのだとか。「ブリジットバルドー」という女優の名前も出てきます。
「結婚生活」というものはろくなものではないというメッセージが謎掛けではいっているとか。
菊池氏(jazz)によると、「jazzの楽曲で睡蓮がでてくるよ。」みたいな結論だったので、あまりそういう詮索には
意味がないのではないかとか。そんな話も聞こえます。
僕が、この作品で気になったのは。
そもそもこの本を読んでみようと思ったきっかけは、
「コランは働くことが嫌い」
という内容に関することでした。
野崎先生が、「翻訳をしていて、一番違和感を感じたのは、「労働」に対する徹底的な嫌悪です。」
というふうに、いっていた。
どうして、こんなに嫌いなのかよくわからないと。
たしかにこの「価値観」は僕もきいていて、ちょっと不思議だと思った。
外国ではよくある「価値観」だときいてはいたけど。
あまり、ここで細かく、追求しようとは思わないけど。
少なくとも、私が、原書と翻訳を読んだ限り、どうも
「コランは働くことが大嫌い」という受け取り方は誤解が混じるような気がしないでもないです。
「論証は?」といわれると、こっちも困りますが。
なにより、コランは全財産がなくなってから、どんな人間だってやりたがらないような労働に
従事しているというのがすこし気になるところ。
それと、薬局で、動物の消化機能を、製剤のノウハウに応用する機械を目の当たりにして
目を輝かしたり。
カクテルピアノを発明して、結果的にそれを「売却」することに成功していたり。
ただ単に、コランは労働は嫌いというまとめ方をするには、コランの労働への関わり方は
あまりに多面的過ぎるように思います。
実際の労働事件を裁判で戦ったことのある弁護士に弟子入りした人の話をきいたことがある。
いや、広告代理店で、夜も寝ないで働いていたから、朝食をとっているとき、箸を動かしている
のに、うつらうつらしている人がいたと。
そしてあげくの果てに自殺してしまったと。
こういう人は、「労働が大好き」だったかもしれないけど。
「労働への関わり方」が果たして、まともだったといえるのかという問題があります。
広告代理店に、監督責任の不行き届きがあったかどうかとか、そういう問題とは別。
突き詰めたら、働いている本人に不幸をもたらすような「労働讃歌」だってあまり
健全とはいえないわけで。
コランというキャラクターは、この自殺してしまった代理店マンが
10時間かけてやっていたことを1時間でできるようにすることには強い知的関心を
もつセンスを感じるのです。
実際、googleという会社が広告の業界に与えたインパクトは、
コランがカクテルピアノを世に送り出すのにだぶってみえます。
動物の消化機能の製薬への応用なんかもそう。
そういう応用の実現が出来なかったら、人力でコストを無駄にかけて
やらないといけない作業を、「自動化」(ファナックとか。)
するみたいなところには、コランは動物的な本能を見せていると思う。
私の記憶違いかもしれないけど、この部分がオカザキ版で抜けていた。
ここが抜けてしまうと、「うたかたの日々」は一面的な恋愛小説になる。
私には、コランがなんらかの新しい「仕事のあり方」というものを提示する
イノベーターとしての側面をもっているような気がしてなりません。
そして、そのイノベーターとしての側面を彼が発揮させたきっかけが、
クロエとの出会いだったということが、この作品を時を超えた傑作にしているように思えるのです。(12000)

ラディゲ

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

フランス語による読書。
wikipediaより

フランスはパリの郊外、サン=モール=デ=フォッセで生まれる。幼少の頃は学業優秀でならすものの、思春期にさしかかる頃から文学にしか興味を示さなくなり、学業そっちのけで、風刺漫画家として活動していた父の蔵書を読み耽るようになる。そのときフランス文学の古典の魅力にとりつかれる。14歳の頃、『肉体の悪魔』のモデルとされる年上の女性と出会い、結果として不勉強と不登校のため学校を放校処分になる。その後、自宅で父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。15歳の時に父親の知り合いの編集者のつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自分の友人の芸術家や文学者仲間に紹介してまわる。数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移しはじめ、自らの体験に取材した長編処女小説『肉体の悪魔』の執筆にとりかかる。

でどういう小説だったんだなということになりますが。
タイトルほど、センセーショナルな内容ではなかったような気がします。
いわゆる「絡み」といわれるところも思ったほどなかったし。
主人公とmartheという女性の間の「悲恋」「道ならざる恋」というもの。
親戚の仲介で会った女性に一一目惚れしたけど、彼女にはすでに
婚約者がいた。
それでも、あきらめ切れない主人公はとうとう。
というような話。
筆者もまだ若い。だからその若さがそのまま物語の主人公の境遇にどうしても
重なる。
というか、学生。です。主人公。だから、両親や家族とのやり取りも出てくる。
それは、「大人」と「大人」のやり取りではなくて、
完全に「子供」と「大人」
教育する立場で日頃、子供をみている立場からいくと、
あんまり学校でばっとしない少年が、「非行」に走っていくときの
親子関係がどうやって描写されていくのかということも気にかかるところ。
総じて、文学系は学校でぱっとしていない人が多いようなん気がする。
ピンチョンはその点、すこし例外かな。

医学部合格者のつぶやきを再録
=====
私が理3に合格してから聞いて印象に残っている、学習方法に関する話を紹介する。

その話は駿台市ヶ谷校での浪人後に合格した人の話である。

私「駿台市ヶ谷というと理3には出身者がたくさんいるけど、

徹底的に鍛えてくれる先生たちがいるということかな?

そういった先生たちだと給料も高いから、

あそこは採算度外視でやっているわけ?

まあそれでも実績が出れば宣伝効果が大きいからいいか。」

市ヶ谷出身者「先生の中にもすごい人がいるのは確かだけれど、

それ以上に生徒たちがすごかった。

自分は田舎の公立校出身だけれども、

『勉強ってこうやってするんだ!!』という発見が毎日あったね。

これは高校では絶対に知ることができなかった。

市ヶ谷には前年入試で理3に突然の病気などの事故で落ちた人もいるから、

そういった人たちから勉強法について学ぶことは多かった。

市ヶ谷で仲間に教えてもらった勉強法は自分の人生を変えてくれた

と思っている。」

この市ヶ谷出身者は、出身県のトップと言われる公立高校卒である。

この話を聞いて管理人が考えたのは、

進学校がない都道府県では

東大や医学部に合格する学習方法を

教えられている受験生が皆無に近いのではないか?

ということである。

これはどう考えても社会の欠陥である。

しかし周りを見ても幼少期から塾・予備校・鉄緑漬けだった人ばかりで、

学習法を発信できる人は少なそうだ。

ビジネスモデルを聞いてみたつもりが、

話がそれて意図しない新しい気づきを得ることとなった。

「勉強法は人生を変える」

この言葉に衝撃を受けた私は、余暇を使って自分がやってきた学習法や参考書の選び方を「1人の理3合格者の例」として公開することを決心した。


「水素原子モデル」を考案したニールスボーアにちなんで設立されている
研究所で、自分の研究生活を送って「インフレーション理論」という
宇宙論のメイントピックを自ら作り上げたという大学研究者による
啓蒙書。
改めて、アマゾンで検索を書けると、この筆者による宇宙論の本の数は
半端ではない。論文かく暇がよくあったなって思う。
「宇宙は、静止しているのか。縮小しているのか。それとも膨張しているのか。」
ということをテーマにしたトピック。
今まで僕が見聞きした中でももっとも壮大なテーマなのに、
なぜ、「素粒子研究」というとてもミクロな研究の話が頻繁に出てくるのか
よくわからなかったが、この本を読むとかなり納得出来るのではないかと思う。
アインシュタインの考案した理論、宇宙物理学の研究の歴史。
ビッグバンの話。そこにどうして素粒子の研究が絡むのかという話。
思いっきり詰め込んでいるので、正直、後半はちょっとつらいのではないかと思う。


必ず手に入れたいものは誰にも知られたくない
百ある甘そな話なら 一度は触れてみたいさ
勇気だと愛だと騒ぎ立てずに その気になればいい

掴んだ拳を使えずに 言葉をなくしてないかい
傷つけられたら牙をむけ 自分を失くさぬために
今から一緒に これから一緒に 殴りにいこうか

追いかけて 追いかけても
つかめないものばかりさ
愛して 愛しても
近づくほど 見えない


京都大学の物理の問題を、1983年から2013年度まで確認。
というより、合計26問の力学の問題をすべて解いて、解法暗記まで着手。

  • 等加速度運動・衝突
  • 剛体
  • 円運動
  • 単振動
  • 万有引力

「問題のテーマ」というものを、力学に限定して分類すると、上記の5つの領域になると。
「京大の物理」編集を担当している岡田先生による入学試験の問題全般への考察も鋭いと思います。

http://www.riruraru.com/cfv21/phys/index.html

こちらでは、最難関大学の物理の入試問題の内容について検討して行きたいと思います。
当サイトでは、解答そのものよりも解答に至るプロセス・背景について検討を加えて行きます。

まあ、仕事絡んでいるけど、ネット上でかなり詳細な模範解答をアップロードしている人もいますよってことで。
紹介。

京都大学の問題に入る前に、夏休み期間をつぶして「32年の東大物理」をやっている。
そういうわけで、どうしても
「東大の問題と比べて、京都大学の問題ってどうなのさ?」
ということになります。
結論から言うと、「東大よりは、京都大学の問題のほうが、難易度としては、事前準備の綿密さで克服できるものだ。」
というのが、感覚的な印象です。(それをどうやって実証するのかという話ですが、そこまではいかない。)
たしかに、噂に聞く通り、問題文の量は多い。東大より重いんじゃないかな。
でも、そういう「ボリューム」と問題のしんどさにはあまり、関係がないのかもしれないと。
一見、物珍しいテーマを取り扱っているように見えるけど、実は、標準的なテキストに掲載されている典型的な
立式でなんとかなるみたいな。もちろん例外もあるけど。
それより厄介なのは、物理の科目の特性でもあるけど、空欄が10個ほどあったとして、最初の2個目とか3個目で
間違った解答を出してしまうと、その後の空欄にうめる数値がすべて誤答となってしまい、得点ができなくなるという
点では、かなりシビアな設問の作りになっている。
京大のほうが、東大よりスタンダードな印象をもったこととも関連している。
最初の設問で、どうも気持ちの悪い設定や、普段実践したことのないような解法で、解くみたいな状況がある。
そこで、あせってしまって、誤答すると、あとの問題でどれだけ、スタンダードな設問だったとしても
引きずってしまう。ここのところ、本当に引きずるのかどうかは検証する余地あり。
中途でわからない設問があっても、後半も問題が優しかったりしたことは、ある。確かに。
テーマ分類にそった印象についても、書いておこう。
2013年の「万有引力」の問題が一番、強烈だったかな。
2日かかって、何度もやり直したので、かなり定着したとは思うけど。
地球から一定の高さの所から、まず地表。地表から、地球の中心へと、球体を運動させる。
そして地球の中心部にて、別の球体をセットして、それを、玉突き的に地球の裏側に発射させる。
「宇宙空間」「地表」「地球内部」再び「地表」
保存則を駆使して、何度も運動する物体の速度を計算しないと、完答できない。A4で4枚の紙が
計算式で埋まった。これマジです。

熱力学
しばらく、京都大学理系前期試験における物理の問題の解きすすめの作業を止めていた。
断熱過程の理解を試す、熱気球の問題の理解に散々にわたって、苦心している内に風邪をこじらせてしまい、
そのまま、作業がとまってしまった。
そして、授業が忙しくなってきて、かなりブランクをあけてしまうことになった。
年明けになって作業再開。
YouTubeによる、高校物理の「独学的」再履修をする環境が劇的に改善されたように思う。
おそらく高校の物理教師とおもわれる人が運営しているYouTubeのチャンネルで高校レベル熱力学の復習を
することになったが、とても参考になった。
「熱の基本」「気体の状態方程式」「気体分子運動論」「熱力学第一法則」「熱効率」の項目別に
入学試験で出題される問題で問われる数値を計算するために必要な公式や方程式の意味合いをわかりやすく
解説してあった。かなり心理的に楽な気持ちで京都大学の熱力学の問題に取り組むことが出来た。
「気体の分子運動論」の論証。つまり温度の変化がそのまま、密閉された空間を飛び回る気体分子の運動の激しさの
度合いを示すといった典型的な問題もでる。
ピストンを押したり、引いたり、そしてそのピストンにバネが装着されているみたいなタイプもしっかり出る。
等温 定積 定圧 断熱 の4つのパターンにおいてどのように気体の状態方程式を立てたら、欲しい数値が
出るのかの一連の流れが理解されていると、やりやすい。
京大、東大のレベルになると、問題文に記述されているピストンへの操作が果たして、この4つのパターンのどれに
分類されるのか、よくわからなくなることなども多い。
そういったところでは、現場思考で乗り切る必要がある。
ピストンの問題において、ピストンが短時間に激しく上下することで、単振動の運動が成立するケースというものも
出てくる。
こういった場合は、ポワソンの式の導入や、だいたい、問題文で与えられている近似式を駆使して、
「力学」的に運動方程式を立てて、単振動の性質を計算するのが流れ。
ピストンの代わりに、水銀の固まりが入っていたり、ピストンの代わりに、玉が詰め込まれていて、
密室の中が加熱されることで、詰め込まれた玉が斜面を駆け抜けて、斜方向運動をするというパターンもある。
熱エネルギーが、斜面を玉が駆け上るための位置エネルギーや、密室体積の膨張に使うエネルギーに切り替わるといった
「保存則」の視点が要求されたりする。ほかにも、輪軸滑車を、ピストンに付属したつっかえ棒で、回転を
防止するという装置も出てくる。

波動学
1983年から2013年の京都大学の問題
熱力学の分野からの出題が20問くらいだったのに対して、波動分野は10問くらいの感覚。
熱力学と波動の2分野からどれか1題が出題されるというパターン。あとの2題は力学と電磁気学
こころなしか、熱力学や力学の分野よりはやりやすい問題が多かったように思う。
教科書や、スタンダードと化した問題集にでるパターンはもちろんふまえる必要がある。けれども、それだけでは
ないんだぞというメッセージは数十年にわたって継続している。例えば、
「原理」というのは、「実験によって実証されることはないけれど、そのような「仮説」を設定することで現実の事象
いろいろと合理的に説明できるもの」という話がどこかで登場した。
そう、「ホイヘンスの原理」。
波面の境界線の1点、1点からさらに波面が重なる円環をなして、広がっていくというあの仮説。
「高校物理の波動」分野の授業を、動画視聴したけど、やはりこの「原理」でやれ反射だ、やれ屈折だ、やれ回折だという
いろいろな波によって引き起こされる現象が説明される。
「このホイヘンスの原理を用いて、見慣れない導出問題に対応できますか?」というジャンルが2題ほど出題されました。
それと、ドップラーの法則。
これも、スタンダードな説明で登場する具体的な設定は、
走っている電車みたいな、音を発する物体が、立ち止まっていたり、走っている「観測者」に近づいたり、遠ざかったりするということが
お約束なのですが。
あくまでも、「ドップラーの法則」が適用されるのは、「音」ではなくて、「波そのもの」なんだということがいいたいらしく。
だったら、「光」だって波動なのだからということで。
振動数の増減をしてみせるのが、出題例の中では、「電磁波」だったりする。
年度は覚えていないけど、音波はあくまでも、空気のような媒質の濃度の濃淡が伝わるということを、「見えない反射壁」とみなして
その「壁」に向かって、光の波をぶつけるという設定もあった。
壁や、光の発信源が動けば、そこでドップラーの現象が出てくると。そして、反射する光の波長の変化を、「原子物理」の単元で
説明させる。
京都大学の問題は、あらゆることがわかっている状態で、整然と解いていくという希望は最初から捨てたほうがいい。
なんとなく、問題を解いているような気持ちにはなるけど、後で振り返ったとき、問題文が想定している現象のイメージが
よく掴めていなかったのではないかというのはざらにあると思う。
にも関わらず、本当に、波動分野の学習をしていたら体にしみ込んでいるはずの公式が、「なんとなく」浮かぶと
ルートが見えるような気分になる。そして、「結果的」に答えがあって、得点が出来たらlucky
なんだという、気持ちの悪さを引き受ける必要があるような気がした。

1983年から2013年
電磁気学
出題ジャンル
直流回路
オームの法則や、キルヒホッフの法則を割とストレートに応用するような回路図を使った出題が多い。
ただし、オームの法則はそのまま使えるということはあまりない。
ダイオード」という電子部品が回路に組み込まれているので、横軸電圧、縦軸電流のグラフを
取ったときに「非線形」となる。
半導体」を学習する単元で、ダイオードの特性を理解して、どうやって方程式を
立てていくのかが問われる。かなり厄介。ある意味、一番難しいのではないかと思う。
赤本の解説を読んでも、戸惑うことが多い。
コンデンサ
京大電磁気の二つの主要ジャンルの一つ。
コンデンサの極板間引力という力が登場するので、それに絡めて、力学との融合問題が
出る。極板が静止していれば、力の釣り合いの問題に置き換わるし、
極板の距離が、時に応じて、変化すると単振動の方程式を解いていく問題になる。
コンデンサーごとに、どれだけの電圧がかかっているかを計算出来ると、他の数値が
計算できるという王道もそのまま出る。
電流と磁界
直線電流と、円電流が登場して、磁界の大きさを計算する問題などが素直にでる。
ただ、それだけだと、問題の難易度があまりよろしいことにならない。
どちらかというと、「電磁誘導」のジャンルに近い出題がされる。
そして、この分野では、計算を進めていくときに、問題文の中で指定されている
近似計算が応用できるかどうも問われる。指定された近似計算の応用が見えなかった
場合、それまでの誘導で計算した解答が正しくなかった可能性が高い。
電磁誘導
京大電磁気のジャンルで最も、出題が多いのはこの分野。
電気が通る2本のレールが設置されているところへ、「導体棒」を転がしていくという
どの学習参考書にも掲載されている問題。
出題されている問題で、登場する装置がどのようなものなのかということの説明が
多大なスペースを割いて書かれている。問題文も概して長い。
ほとんど、微分方程式を解くための誘導になっているスタイルも見受けられた。
おそらく、その中で重要になってくるのは、一見するとゴチャゴチャしている
装置の中で、どのような回路図が組まれているのかを見抜くことだと思われる。
後は、キルヒホッフの適用、ローレンツ力の計算、力学方程式の応用(力のモーメントの応用も含む。)
をお約束の手順に従って計算すればいいのではないかと思われる。
やはり、「単振動」の運動を登場させる出題も目立った。少ないながら、交流のリアクタンスやインピーダンス
計算させる問題もあった。
荷電粒子の運動
電子や陽子を、電場の力によって加速させていくという出題パターン。
その中でも典型的なのが、磁場と電場が発生している実験装置に陽子や電子を打ち込んで、
その粒子をどんどん加速させていく「加速器」の動作原理を問う問題。
2015年度の慶応医学部でもこのジャンルからの出題があった。
分類としては電磁気のジャンルになるが、問題を解いているときに求められる基本姿勢は
明らかに「力学」のそれだと思われる。
なぜなら、テーマになっているのは「粒子の運動」だから。
坂道を転がったり、バネの弾性力で弾かれたりという形で力を受けるのでない力学のパターン。
粒子にものが触れないのに、力が加わっている状態といってもいいのかなと考える。
その粒子の運動のパターンを、グラフで書かせるという設問も目立った。

原子物理の単元
新課程になってから、「出題範囲」として復活するといわれている学習分野。
「微視的世界の物理学」なんていわれることもあるし。
「現代物理学」といわれている場合もある。
東京大学の今までの入学試験の内容と見比べをすると、京都大学はこの「原子物理」の
分野でかなりの回数の出題を行ってきたことがわかる。
たしか、東大のこの分野の問題は本当に少なかったことを思うと、この過去問題は
貴重かもしれない。
ボーアという物理学者が考案した「水素原子モデル」からの出題は
今のところ、ない。かなり苦労して計算問題の標準パターンをやったのですが。ということは
そろそろ出るのかもしれません。
光の粒子性質
2008 2003 2001 2000 1993 1988 1985
「波動」の単元で、光は「波」として理解するということを前提にいろいろな計算問題に
登場した。屈折の問題やレンズの問題、全反射の現象など。
光の現象についてさらに、実験のスケールを小さくとることで、どのように理解を
進めていくかが問題のテーマになる。
今までの単元で登場するものは、ボールだったり、見ることができるバネだったり、
回路だったりするが、ここでは、「原子」を「ボール」のように見立てて、
止まっている「原子」に、別の「原子」を発射して、衝突を起こさせるといったミクロな
実験が出題される。
「波動」としての光に「粒子」としての性質があるということをテーマに
多量の光の粒を、鏡にぶつけることで、鏡それ自体に運動させるという問題もある。
気体の分子運動論で、飛び交う分子が壁にあたることで生み出す圧力の計算があるが
あの手法を、光の粒子が登場する設問で応用させる。
よく登場するのがガンマ線と「コンプトン効果」。
ボールとボールの衝突なので、「力学」で学習した「運動量保存則」や
「エネルギー保存則」を適用した連立方程式で、欲しい値を産出するという流れは
同じ。
また、「力学」で習う「運動」の計算手法とほとんど同じことを、原子1個を
鉛直方向に放り投げるという現象において、実行させる設問などもある。
基本的に、登場する文字は多い。連立方程式の流れがわかったとしても、計算の作業内容で
辟易することが多い。

粒子の波動性
1995
中性子」という「粒子」を結晶格子に向かって入射する問題。
ところが、この実験をすると、「波の干渉」という現象が観察されるというもの。
「粒子」を運動させている問題なのに、気がついたら、複数の光線の経路差を
計算する問題にすり替わっているような、ちょっと不気味な問題。

核反応
1996 1993 1987 1984 1983
ただ、打ち込む原子のエネルギー計算に、その「ボール」の「波動」としての性質から
「振動数」が登場したり、衝突の前後で、登場する原子の質量に「差異」が出来るので、
その「差異」が、「質量欠損によるエネルギー」というものを生み出していることを考慮に
いれて、計算する。
「年代測定法」という原子核レベルでの変化に注目した現象も登場する。
半減期」の計算。
指数関数なので、扱いにはある程度の習熟が必要。
==
たとえば、「コンプトン効果」という現象をテーマにした問題は
市販されている問題集では、どんな本でも掲載されていると思う。
だったら、あっさりすべての問題で正解がとれるのかというとそうはならない。
エネルギーの保存則を適用するときの式の立て方は案外パターンになっている。
でも、運動量保存則になると、いろいろとバラエティーが出てくる。
弾性衝突するかどうか。
そもそも入射される粒子と、静止していて、飛ばされる粒子がどういう向きで
動くのかということなど。
ここで、問題集によるパターン暗記をやりすぎると、頭がある一定の式の
立て方で固定しているので、ちょっとした柔軟さが発揮できないで
その先に進めない。
ドップラー効果や、単振動の運動なども登場する。
ここは、あまりひねるが効いているようには見えなかった。

直近の入学試験について
2014年 前期試験
第1問 力学
思いっきり、転んだ問題。
問題設定は、スクリーンショットでコピペしてきた通り。
そもそも、ここで、台車にのっている物体と、台車に注目して
運動量保存の法則と、エネルギー保存の法則を適用して式を立てることが
できなかったのがいたすぎ。しばらく力学の問題から遠ざかっていたのも問題
なのかもしれない。
運動量保存の法則をうまいこと適用できるかどうか。
さらに、苦手な単振動まで組み込まれてきた。
単振動の扱いは以前よりはよくなったと思う。しかしながら、
今回、「壁」が横向きになっていたというのも私にはつらかった。
ボールを、縦に置かれているバネ付きの台に落として、
「さて、このボールがバネから離れて、浮遊開始するのにかかる時間は?」
とかいう計算があったような気がする。そのパターンだったのかな。
単振動しているボールの速さや、ある状態になるのにかかる時間の計算などなど。
それと、2物体の重心の挙動を自在に計算できるかどうか。これ自体は難問レベルの物理の
定型パターンにそっていると思った。


第2問 電磁気
交流電源を用いた回路。
そして、回路に組み込まれている部品は、コンデンサと銅線の抵抗が合わさっているという
ちょっと見慣れない形。
アップロードした画像にもあるように、通常の電気抵抗がある銅線と、コンデンサを並列に
することで、「等価」になるのだという。そもそもこの二つの電子部品を並列にして
置き換え可能というところを読み落としたようにも思う。
やはり、セミ本番の気分で演習するから、緊張感も半端ではありません。
交流電源の回路において、電源で観察できる正弦波と、コンデンサの板の間の電圧の変化を
示す正弦波は「ずれる」ということまでは、標準的な問題集にてかなりの数の演習を
積んでいた。
今度こそはそこそこ対応できるのかと思いきや、並列に通常の電気抵抗とコンデンサを組み合わせて
交流電源からの電流を二つの電流に分けてしまい、そこに三角関数の和と差の積を利用すると、
この「正弦波のずれ」のラジアンを調整することが出来るということに思い至ったかどうかで
命運が分かれました。これにはかなり飛ばされました。
後半の問題はそうでもない。キルヒホッフの法則や、コンデンサにまつわる公式を素直に
適用できたら、あっさりと答えにたどり着いたと思います。
キルヒホッフの使い方でこけてしまいました。



第3問 熱力学
おそらく、2014年の京大物理受験者のみなさんにとってはこの第3問が一番
得点getが簡単だったのではないかと。少なくとも、私は思いました。
ピストンの中を動き回る気体状態の分子が、ピストンの壁にガンガンと衝突
するという様子を「気体の分子運動論」のお決まりのstoryに乗っ取って
必要な値を計算していく。
「定型パターン」では、圧力などを求めて、最終的に気体が持っていると
運動エネルギーと、温度の変化というものが、同質なのだという例の式を
導くのですが。
この問題では、ほとんどそれに近い形のようで、目指すのは
「断熱圧縮」「断熱膨張」を起こすピストンの内部空間における
温度変化と、体積変化の関係を式にして導出しましょうというもの。
ポアソンの式」でしたか。
問題の中盤では、熱サイクル運動の王道パターン。
ポアソンの式を適用することで、熱効率が、体積変化に注目するだけで
計算できることを証明させる問題でした。
終盤の設問では、断熱変化と、等温変化におけるピストンの仕事の大きさを
比較するということが問われました。(1400)

2015年度 京都大学前期試験 物理科目について

第1問 力学
フラフープを縦において、そのループにそってボールを転がす。
かつ、そのフープ自身もグルグル回っている。
左右に行ったり来たりしながら、そのループがグルグル回るので、
ボールにかかる重力と、遠心力が、ループの角速度によって
ボールの運動にいろいろなバラエティーが出るというもの。
一度、フープが止まっている状態から、あらためて、フープを回転させて、
運動の様子を考察させる。
というように書くと、なんだかしんどいようですが、
振り子の単振動の周期を求めるときに必要な「近似のパターン」さえ、
頭に入っていたらかなりあっさりと式は立つように思えました。
天頂から動いているボールに陰を当てて、地上のボールの陰が
どういう軌跡を描くのかという設問もあった。
「媒介変数」が登場している。
2014年の京都大学の力学も、バネに取り付けられたボールの単振動が
テーマだったが、2015年も昨年に続いて、単振動が取り上げられた。
やはり、力学のメインはこれになるのだろうか。


第2問 電磁気学
問題用紙が6ページにもなっていたので、おっかなびっくりで解いてみたが
その内の1ページは2ページに掲載されているイラストの再掲だった。
受験する人が、問題を解いている時に、図をみるために行ったり来たりする
手間ひまを省こうという配慮が働いていたのかもしれない。
設問のレベルは、かなり基本的なレンツ・ファラデーの法則の
応用的な問題。
最初の設問で、ループになっている銅線に電流が流れた時の
磁場が、ある1点でどのくらいの強さかを計算させる場所が
あった。ここで、問題文に掲載されていた「三角形」というキーワードを
読み落としていたことに気がついたが後のまつり。
キルヒホッフの法則の適用
レンツファラデーの法則の適用
これだけで、かなりの設問に解答が用意できるのではないかと思った。
見た目の実験装置の複雑さは、受験生をびっくりさせるだけだったのかも
しれない。
グルグル回転するループ状態の導線に、ローレンツの法則で発生する
力が、回転方向と逆向きに働き、回転する速さが落ちるときの
運動エネルギーの現象と、ローレンツ力を発揮している電気回路での
消費電気エネルギーが等しいことを方程式でかけたらおしまい。
今回は、かなりオーソドックスな設問だったと考える。

第3問 原子物理(熱力学と波動との融合)
今年度の入学試験から「原子物理」の問題を出すことが「解禁」されたようで。
京都大学は早速、「ボーアの原子モデル」に絡んだ問題を出してきました。
問題の数は一番、多かったように思います。
ドブロイの公式は覚えていなかったら、いきなり減点。
プランク定数を、運動量で割り算すると、波長が出るというアレです。
15個の空欄だったかな。
あまり、調子はよくなかったけど、出題をつらつら分析するに、
そんなにエキセントリックなことをつかれることもない、とてもおとなしい
問題だったのではないかと思う。
設問は大きく、3つに分かれていて、「水素原子モデル」にそって、
原子が高いエネルギー状態から低いエネルギー状態に移行するときに
原子から発光する光の波長を求めるという問題。
コンプトン効果で、変なパターンで保存則を計算するよりはるかに素直。
しかし、数値計算を最後にもってこないで、問題の中途で解答させて、
しかも、その数値をふまえないと、解答ができない別の質問を後にしかけるという
イライラすることをやってくれた。
5回くらい、波長を求める計算をしないと、結局答えがでない。
そして中盤は、これまたオーソドックスな「ヤングの実験」のパターン。
経路差が出せたら、あとはいけるかも!みたいな。
干渉のパターンを選択させる問題もありました。
そして第3問は、なんとなく「気体分子運動論」を連想させるような設問。
ここで、ドップラー効果による波長の長さの変化を計算させるということも
出てきました。原子物理の分野で、ドップラー効果の計算をさせるのは
京都大学の過去の問題を分析しているとよく出てくる。
今年は、ドップラー効果のかかり方が、原子の進行方向に対して、
どのようにかかるのかが、よく設問を読まないとわかりにくかった。

備忘録

19世紀の激動のフランスを時代背景としたヴィクトル・ユーゴーの長編小説 『レ・ミゼラブル』第二部コゼット第一編の主題はワーテルローであり、1861年5月に物語の著者(ユーゴー)がベルギーの戦場跡を訪れる場面から始まり、ワーテルローの戦いの詳細な戦場描写からナポレオンの没落までが語られている。『レ・ミゼラブル』の作中では本筋とはあまり関係のない歴史挿話やユーゴーの歴史考察が交えられており、第二部第一編もそのひとつである[204]。
ユーゴーは手がけている大作にこの世紀の一戦を挿入したいと考えており、1861年3月から喉の病気の転地療養を兼ねてワーテルローに滞在し、古戦場を散策しながら『レ・ミゼラブル』の執筆を行い、6月30日にいちおうの完成をみた[205]。彼は作品の完成を知らせる友人に宛てた手紙で「偶然にもワーテルローの古戦場で、私は自分の戦いを戦った」と書き送っている[206]。その後もユーゴーは加筆と修正を続けており、第二部第一編「ワーテルロー」は12月21日に書き上げている[207]。『レ・ミゼラブル』は1862年3月と4月にベルギーとフランスで出版され、爆発的な売れ行きとなった[208]。『レ・ミゼラブル』完成の地となったベルギーワーテルローにはヴィクトル・ユーゴーの記念柱が建立されている。

イスタンブルのガラタ地区(現在のカラキョイ)に外交官の三男として生まれる。父親ルイ・シェニエはフランスのラングドック出身で、レバント方面で20年にわたって織物商人として働いた後、イスタンブルでフランス大使相当の地位に任ぜられていた。ギリシャ系の母エリザベト・サンティ=ロマカは、19世紀の歴史家・政治家のアドルフ・ティエールの祖母と姉妹であった。
アンドレが3歳のとき、一家はフランス王国に戻り、父親が1768年から1775年までモロッコでフランス領事を務めるものの、家族はその間フランスに留まった。数年間カルカッソンヌのおばのもとで自由奔放に育った後、パリのコレージュ・ド・ナヴァールにおいて、古典文学の詩の翻訳家として名を揚げた。
1783年にストラスブールのフランス連隊に士官候補生名簿に登載されるが、新たな経験は間もなく潰えてしまう。年末までにパリに戻り、家族の歓待を受けるとともに、母親のサロンに足繁く通った洗練された社交界の常連、とりわけルブラン・=パンダール、ラヴォワジエ、ルジュール、ドラや、少し後にはダヴィッドらと交際する。
この頃にはすでに詩人になろうと決めており、当時の新古典主義に参加しようと決心していた。特に、1784年にローマやナポリ、ポンペイを訪れたことから、強く刺激された。
ほぼ3年の間シェニエは、家族からプレッシャーや干渉を受けることなく、詩作を研究し試作に向けた。 この時期、テオクリトスやビオーン、古代ギリシャ詞花集を大幅に模倣し、主に田園詩や牧歌を書いた。この頃に書かれたか、少なくともスケッチされた詩に、「 L'Oaristys 」「 L'Aveugle 」「 La Jeune Malode 」「 Bacchus 」「Euphrosine 」「 La Jeune Tarentine 」があり、古代神話と、個人の感情や精神という感覚を融合させた。
田園詩やエレジー以外にも、教訓詩や哲学詩の詩作にも挑戦し,1783年にHermesの述作を始めた時には、いくらかルクレティウス流に、ドゥニ・ディドロの百科全書を凝縮して長編詩にすることを目指していた。
現存しているのは断片のみであるが、この詩は、宇宙における人間の立場について触れているもので、始めは孤立した状態として、そして次に社会的な状態として扱っている[1]。また別の断片である"L'Invention"には、シェニエの詩歌に対する考え方が述べられている[2]。

What does this mean (Latin phrase)?
the phrase is:
"quid obscurum, quid divinum"
i'm pretty sure that its Latin, and its from the book Les Miserables. will someone translate it for me? thanks!

It means "What darkness, what divine."

ナポレオン時代[編集]

ユサール軍服のジョアシャン・ミュラ
東方を起源とするユサールは、ヨーロッパの部隊において特徴的な服装をしていた。ドルマン(Dolman)と呼ばれる肋骨状の糸飾りのついたジャケット(肋骨服)を着て、その上にペリース(Pelisse)と呼ばれるジャケット風のマントを左肩にだけ掛けていた。頭にはカルパック帽と呼ばれる毛皮の丸帽子や、シャコー帽と呼ばれる円筒状の帽子を被り、湾曲した独特のサーベルを携帯していた。
これらユサールの独特な服装は、当時の東洋趣味と相まって、軍民問わず広く取り入れられるようになった。また異国風の優雅で華麗なユサールたちの衣装は、戦場で自身の存在を際立たせるだけでなく、女性たちの心を掴むのにも役立ったという。
中でもユサールたちがもっとも華やかに着飾ったのは、ナポレオン戦争の頃である。この当時もユサールは非常に優秀な騎兵であり、前方での敵との小競り合いや、偵察、追撃などに有効に使用された。神出鬼没で情け容赦の無いユサールたちは、敵からは悪名高い存在であった。

メーストルは世襲君主政や教会、或いは偏見や迷信といったものの権威を、それが合理的であるがゆえに擁護するのではなく、逆にそれが非合理的であるがゆえに擁護する。彼は徹底した反合理主義、反啓蒙主義者であり、ヴォルテールとルソーに対してあらん限りの表現で罵倒を行っている。
メーストルにおいて理性と信仰は対立している。彼は理性と信仰の調和をはかったトマス・アクィナス門徒たることを自称しているが、それというのは理性が信仰を前提としている限りにおいてであり、自律的理性などという考えはメーストルにとって理性の単なる越権というのに留まらず、人間本性を腐敗させる考え方なのである。
啓蒙主義の前提である自律的理性は全てのものに懐疑の目を差し向ける。かくて非合理的な全てのものは非合理的であるという理由によって排撃される。メーストルは社会の紐帯を非合理的な偏見や迷信、権威に帰したので、啓蒙主義はあらゆる社会的紐帯を破壊する危険な思想であると考えたのである。
従って、最も非合理的な権威が社会の安定の為には最も必要とされることになる。理性は完全に権威の下に統制されない限り、悪へと向かう。理性は権威の奴隷としてのみ、その生存権を得る。自律的理性によって構築された思想、組織、制度は全て不自然で破壊的であり、短命である。自律的理性の汚染を蒙っていない偏見や迷信こそが、「真理」なのである。世襲君主政や結婚、家族といったものは自律的理性の産物ではないからこそ長らく生き残っているのであり、有用で健全な真理なのである。
このようにして彼は完全な権威主義者であると同時に、経験主義者たりえたのである。

1758年、パリのコレージュ・ド・ナヴァールに入学、数学の才能を認められ、パリのコレージュ・マザランで数学を学んだ。1765年に「積分論」を刊行し、1769年にフランス王立科学アカデミーの会員に推挙された。啓蒙思想家たちと親交を深め、百科全書に独占的買占などの経済学の論稿を掲載した。1770年代には解析を中心とする数学の理論研究の傍ら、1774年から1776年にかけて財務総監ジャック・テュルゴーの片腕として政治改革に関わる。
テュルゴーの改革は挫折に終わったが、政治と科学双方を射程に入れたコンドルセの思想はその後深化を遂げ、1780年代に「道徳政治科学の数学化」もしくは「社会数学」という学問プロジェクトに着手することとなる。道徳政治科学とは、当時まだ明確な学問的輪郭を与えられていなかった経済学の源流の一つであり、啓蒙の知識人達に共有されていた問題関心であるばかりか数学者達の関心をも集めていた。そこでコンドルセは、当時数学者ピエール=シモン・ラプラスらによって理論的な整備の進みつつあった確率論を社会現象に適用し、合理的な意思決定の指針を与えるような社会科学を目指したのである。1785年に出版された「多数決の確率に対する解析の応用試論」はその一環であった。この著作で彼はルソーの直接民主制を否定し、唯一の社会的義務とは、一般の「意志」に従うことではなく一般の「理性」に従うことだと論じて間接選挙制を支持している[1]。その結論を導くにあたっての理論的準備として確率に関する哲学的な議論も行い、信念の根拠としての確率という今日でいえば確率の主観説に近い立場を提示した。また、後にゲーム理論などで「コンドルセのパラドクス」もしくは投票の逆理と呼ばれるものを一般化して提示した[2]。
しかし、フランス革命の混乱による中断等で社会数学の試みは未完成に終わり、20世紀初頭までその内容と射程が正確に見直されることは少なかったと言えるだろう。その一因には19世紀を通じて大きな影響をふるった実証主義の祖であるオーギュスト・コントコンドルセ評価が後世に与えた影響がある。「社会学」の創始者であるコントは、自らの「精神的父」としてコンドルセを挙げ、コンドルセの政治思想や歴史観を再解釈して評価した。だが、社会現象の記述に数学を適用することを全く認めなかったのである[3]。数学者からの低い評価も同様に影響した。唯一まとまった形で出版された1785年の「多数決の確率に対する解析の応用試論」が複雑な解析計算を展開する割にはごく一般的な結論しか導けていないことが批判の的となり、20世紀初頭、カール・ピアソンにより再評価されるまで忘れ去られることになったのである。

革命まで[編集]
1743年、スイスのヌーシャテルの中流家庭に6人兄弟の長男として生まれる。脆弱で勉強好きな少年だった。ヨーロッパ各地を遊学した後、ロンドンで開業医となる。1777年にフランスに招聘され1783年まで王弟アルトワ伯(後のシャルル10世)のもとで働いた。その頃から反体制運動を始めている。
革命指導者としての活躍[編集]
1789年のフランス革命勃発後は、新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持された。そのことがもとで1790年1月にイギリスに亡命。4月に戻ってからコルドルエ・クラブに入り、8月10日のテュイルリー王宮襲撃事件や反革命派への九月虐殺を引き起こしたといわれている。1792年、国民公会の議員に選出されて山岳派に所属した。議会を主導するジロンド派を攻撃し、一時、逮捕されたがすぐに釈放されパリ民衆を蜂起させて最終的に国民公会から追放した。
暗殺と死後[編集]

『マラーの死』(ジャック=ルイ・ダヴィッド画 )
この頃、持病の皮膚病が悪化。活動不能となり自宅にこもって1日中入浴して療養していた。1793年、面会に来たジロンド派支持者のシャルロット・コルデーに暗殺された。
暗殺後、現場で画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが有名な『マラーの死』を描いている。ジャコバン派の盟友マクシミリアン・ロベスピエールによって神格化され、ジロンド派への弾圧強化の口実となった。遺体は「革命の殉教者」としてパンテオンに埋葬されたがテルミドールのクーデター後に取り除かれた。

バブーフは1760年11月23日(12月24日説あり)、フランス北部・ピカルディーのサン=カンタン(Saint-Quentin)において、貧しい農家の長男として生まれた。
父クロード(Claude Babeuf)はフランス軍の騎兵隊に所属していたが、1738年に上官に反抗して脱走、以後ヨーロッパ各国を放浪。オーストリアマリア・テレジアの軍隊に所属し、皇太子時代のヨーゼフ2世の教育係を勤めたこともあった。恩赦によって帰国を果たしたのち、塩税を徴収する役人として働いたが、反抗的な気性のため失業。その後も定職に就くことができず、貧困に喘いだ。この不安定な生活は、結婚後も変わることなく続いた。
家計を支えるため、バブーフは14歳から働くことになり、17歳の頃、土地台帳管理の職を得る(字が巧かったため、村の書記をした時期もあった)。貧困のため正規の教育を受けることもままならず、父にフランス語、ドイツ語、ラテン語の読み書きや数学を教わりつつ、独学で知識を吸収した。大変な読書家であったらしく、広範囲の分野にわたって関心を示したという。
1780年、父クロードが死去。その2年後にはアンヌ・ヴィクトワール・ラングレーと結婚し、彼女との間に3人の子(長男ロベール、次男カミーユ、三男カイユス)を儲ける(長男はのちにバブーフによって、ルソーの著書にあやかり「エミール」と改名)。家計は更に苦しくなり、一家の生活は彼の双肩に懸かった。
1784年、故郷に程近いロア(Rore)の地で、バブーフは土地台帳管理人として自立した。この仕事を通じて彼は、領主権の不正を目の当たりにして土地私有制の弊害を痛感。同時にルソーやアベ・マブリー、モレリーなどの啓蒙思想家の著作に接して革命思想に傾倒した。1785年にアラスのアカデミーの通信会員となり、1788年まで、常任幹事のデュポワ・ド・フォスーと書簡を交わした。彼の思想の核は、これらの経験により形成された。
1789年、『永久土地台帳(Cadastre perpétuel)』をパリで上梓。農地均分と税制改革を説いた。

ペトラルカの作品で、もっとも知られる作品はラウラと呼ばれる女性へ捧げられた一連の恋愛抒情詩群である。これは『カンツォニエーレ』(Canzoniere, 歌の本)と題された詩集にまとめられている。 1327年、アヴィニョンのある教会でペトラルカはラウラの顔を初めて見たというが、この女性についてはほとんど知られていない。ラウラが実際に誰かについては諸説あり、ラウラという名前は、ペトラルカがこの女性に与えた変名である可能性もある(恋愛詩において相手の女性を匿名にすることは古典期のラテン詩人にも類例がある)。謎の恋人とペトラルカは、実際には交際を持たなかった可能性が強い。ペトラルカとラウラはその後、会うこともなく、1348年にラウラは死亡したという。ペトラルカはその後も、ラウラを失った悲嘆を歌う詩など、ラウラへ充てた詩を書き続けた。

同じく百科全書派の哲学者、ドゥニ・ディドロやジャン・ル・ロン・ダランベールなどとは長く良好な交流があったことはよく知られている。
小説、詩、戯曲などの文学作品から、日記、多数の手紙(書簡)など、多くの著書を残した。なかでも『歴史哲学』、『寛容論』、『哲学辞典』、『哲学書簡』、『オイディプス』、『カンディード』などが代表作として知られている。
ヴォルテールの思想は啓蒙思想の典型である。彼は、人間の理性を信頼し、自由を信奉した。ヴォルテールの活動として最も有名なものは、腐敗していた教会、キリスト教の悪弊を弾劾し是正することであった。彼はその人生において多くの時間と精力を注ぎ、理神論の立場から教会を批判する。しかし、教会批判のなかで、理神論とは両立できない重大な理論上の問題を引き起こしていることを、イギリスの哲学者アルフレッド・エイヤーは著書『ヴォルテール』のなかで明らかにした。一方で、エイヤーは、そうした指摘をしつつも、「こうすることで彼の精神的勇気への私の感嘆の念は減少したりはしない」と明言している(エイヤーは、ヴォルテールの「知的誠実さ」と「精神的勇気」に「感嘆の念」をもって、敬愛している)。また、エイヤーは、著書『ヴォルテール』のなかで、「全体的な印象として、ヴォルテールの知性、いたずら好き、自信といったものは疑いないところであろう」と述べている。[8]

思想的には、初期の理神論から唯物論無神論に進んでいる。『盲人に関する手紙(盲人書簡)』(1749年刊)の唯物論的な主張のため投獄されたこともある。
英語に堪能で、ル・ブルトン書店がイギリスで刊行し成功したチェインバースの百科事典のフランス語版を依頼されたことが、18世紀を代表する出版物『百科全書』の編纂・刊行につながった。事業としての『百科全書』が狙っていた主要な対象は新興のブルジョワ階級であり、その中心は当時の先端の技術や科学思想を紹介した項目だが、それらにまじえながら、社会・宗教・哲学等の批判を行ったため、『百科全書』を刊行すること自体が宗教界や特権階級から危険視された。ディドロは、たびたびの出版弾圧、執筆者の離散を跳ね返し、『百科全書』(1751年-1772年)の完結という大事業を成し遂げた(『百科全書』はフランス革命(1789-1794年)を思想的に準備したともいわれる)。
1751年、プロイセン科学アカデミーの外国会員となる。

先駆のトマス・ホッブズジョン・ロックと並びルソーは、近代的な「社会契約(Social Contract)説」の論理を提唱した主要な哲学者の一人である。
まず、1755年に発表した『人間不平等起源論』において、自然状態と、理性による社会化について論じた。ホッブズの自然状態論を批判し、ホッブズの論じているような、人々が互いに道徳的関係を有して闘争状態に陥る自然状態はすでに社会状態であって自然状態ではないとした。ルソーは、あくまでも「仮定」としつつも、あらゆる道徳的関係(社会性)がなく、理性を持たない野生の人(自然人)が他者を認識することもなく孤立して存在している状態(孤独と自由)を自然状態として論じた。無論、そこには家族などの社会もない。理性によって人々が道徳的諸関係を結び、理性的で文明的な諸集団に所属することによって、その抑圧による不自由と不平等の広がる社会状態が訪れたとして、社会状態を規定する(堕落)。自然状態の自由と平和を好意的に描き、社会状態を堕落した状態と捉えるが、もはや人間はふたたび文明を捨てて自然に戻ることができないということを認め、思弁を進める。
ルソーは、自然状態の人間について次のように語っている。

ジャックリーの乱 (Jacquerie) は、1358年に百年戦争中のフランスで起こった大規模な農民反乱。反乱の名前は当時の農民を貴族が指すときの蔑称ジャック(Jacques)に由来するとされ,それは当時の農民が短い胴衣jaques を着ていたことに由来する[1].当時の年代記作者によって、当初、指導者名がジャック・ボノムと誤って伝えられたことに由来するという異説もある。
1358年5月末にサン=ルー=デスラン村 (Saint-Leu-d'Esserent) の事件をきっかけとして始まり、ピカルディ、ノルマンディー、シャンパーニュなどフランス北東部で広範に発生した。叛乱した農民たちはそれぞれに指導者を選んで破壊や略奪行為に及んだが、その全体を統率したのがギヨーム・カルル (Guillaume Carle/姓はカール Kale、カイエ Caillet、カレ Callet ともいわれる) であった。
カルルは、パリで叛乱を起こしたエティエンヌ・マルセルとの共闘を目指したが、カルル自身は6月10日にナバラ王シャルル (Charles le Mauvais) に敗れ、処刑された。カルルの処刑のあと、反乱は急速に鎮静化に向かった。
この反乱の原因は、農民の窮状とそこから発した領主への不満に求められることが多いが、参加したのが農民だけでなかった点などから、単なる農民反乱の一種と見るべきではないといった指摘も出されている[要出典]。
領主による農民を保護する機能の低下が反乱の底流として指摘できよう。すなわちこの乱は農民の自己の共同体慣行と文化、日常的生存を守ろうとする自衛の蜂起であり、領主権力の衰退と農村共同体の自立(成長)の反映と見ることができる[2]。

ルシー・シンプリス・カミーユ・ブノワ・デムーラン(仏: Lucie Simplice Camille Benoist Desmoulins、1760年3月2日 - 1794年4月5日)は、革命派のジャーナリストで編集者、およびダントン派の政治家である。バスティーユ襲撃の際にパレ・ロワイヤルで群衆を扇動したことで知られる。

単語数の数え方 2008.6.18 改訂

SSS方式では、本のレベルをあげる・下げる基準の目安を

分速 80語以下  → レベルを下げた方がよい
分速100語以上  → レベルを上げてもよい
としています。
これは個人差もあるので、楽しんで読めていれば無理にレベルを下げる必要も上げる必要もありません。
あくまで、これを目安に、自分なりの基準を作って下さい。
読書速度を調べるには、読んだ本の語数を計算する必要があります。一冊あたりの本の単語数を調べるSSSの基準をここでは解説します。

総語数を調べるには、現在3つの データベースが利用できます。
 A. SSS書評システム B. SSS旧書評システム C Scholastic Counts
上記の検索システムでは、題名、著者名、ISBNで検索し、語数を調べることができます。(Cは題名、著者名のみ)

また、下記のシリーズは、本の中に総語数が明示されています。
1 Penguin Readers,Oxford Bookworms, Cambridge English Readers は裏表紙(表4)
2 Fast Forward は、表紙の内側(表2)
3 Springboard、Houghton Mifflin Leveled Readersでは裏表紙の内側(表3)
4 Collins Big Catは、裏表紙の内側(表3)またはその前のページ
ただし、版の古いものや、上記のシリーズでも一部の本にはのっていないこともあります。

上記の方法で調べられない場合、次の様に語数を数えて下さい。また、それをSSSの書評システムに登録していただけると、みんなの共有財産となります。

SSSでは、 次の3パターンで語数を計算するように基準を作っています。


1) 総語数の少ない絵本の場合

本を音読しながら、数取器 または 電卓(1+======= で数えます)で語数を一つづつ数えます。
2) manga形式の本や絵本の場合

一読した後、

a: 一番語数の少なそうなページの語数
b: 一番語数が多そうなページの語数
c: 平均的と思えるページの語数
各3ページずつ数取器で数え、それぞれの平均語数を算出します。
この平均値にページ数を掛けて、100未満の数値を切り捨てて下さい。語数が1000語以下の語数の少ない絵本の場合は、10未満の数値を切り捨てて下さい。 (a平均語数+b平均語数+c平均語数)/3×ページ数
manga語数カウント簡易法の場合

文字が比較的多めと思う5ページの選び、各ページの語数をカウント
5ページの中で一番多い語数のページを削除
残りの4ページで平均値を算出
本文ページ数(扉絵など除く)×平均値
算出された値に「50%」を掛ける
となっています。

3) 普通のGRや一般書の場合

A: 1行あたりの単語数
B: 1ペイジあたりの行数
C: 1冊あたりのペイジ数
D: 1ペイジあたりの文字率
をもとに、単語数をA×B×C×Dで計算します。なお、目次や後付、イントロの部分は除いて考えます。
3-1. 1行あたりの単語数(A)の計算

標準的な二行〜四行を選び,各行の単語数を数え,一行あたり単語数の平均を求めます.
但し小数第2位以下は5捨6入して下さい。この数をAとします。例えば,
『一行が11語』と『一行が10語』であれば、平均して10.5語なので,A=10.5となります。
『二行が11語』で『一行が10語』であれば、平均して10.66語なので,A=10.7となります。
3-2. 1ペイジあたりの行数(B)の計算

普通の本では、一番行数の多いペイジを選び、1頁あたりの行数を数えて下さい。この数をBとします。
3-3. 総ページ数(図のみの頁をのぞく)を数えて下さい。この数をCとします.

ペンギン・オックスフォード等の,レベル1〜2の分量の多くないGraded Readersに限っては、ページ数をより正確に数えるため、図が1/2,1/3,1/4程度入っているペイジについては,絵のペイジを小数単位で数えます。例えば、図が1/2,1/3,1/4のペイジが各1ペイジあった場合には、
   0.5 + 0.3 + 0.2 = 1
を絵のページとして引きます。小数点が出た場合には、5捨6入とします。
普通の洋書の場合には、絵のみのペイジがあれば、それだけをのぞきます。
絵本など、絵がまだらにはいっている本の場合には、すべてのペイジを数えます。
3-4. 一ページあたりの、平均的な文字率を推測して下さい。この値をDとします

特にGraded Readerでは、1行あたりの単語数が、標準の行より短い行もあるのが普通です。
標準的なものはD = 0.85 として下さい。
文字がすきすきな感じのする本では、D = 0.8として下さい。
一般書では、D = 0.87  としてください。文字がぎっしりつまっている感じのする本では、D = 0.93として下さい。
絵がまだらにはいっている本の場合には、2)のマンガ・絵本の数え方の方法で数えて下さい。
3-5. A×B×C×Dを計算して下さい。この値が推定総単語数です.

総単語数が10000以上なら、1000以下の数字を切り捨てて下さい。
総単語数が10000未満なら、100以下の数字を切り捨てて下さい。
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ピケッティ 「21世紀の資本論」

Capital in the Twenty-First Century

Capital in the Twenty-First Century

 
書籍の紹介をどうやってするのが適当なのかというのはなかなか難しい問題。
今回の書籍のテーマは「21世紀の資本論」という名の下に、国と国の間や
個人と個人の間の資産格差、所得格差を扱っている。
かなり人の感情を逆撫でするデリケートな問題なので扱い方を間違えると大変な
ことになりそうな政治的な問題。ここまでpoliticalなものをこのブログで扱ったことは
あまりなかったかもしれない。
この書籍を紹介している他のブログ
ピケティ『21世紀の資本論』はなぜ論争を呼んでいるのか | nikkei BPnet 〈日経BPネット〉:日経BPオールジャンルまとめ読みサイト
↑のブログが本書の中身を一番、丁寧に紹介しているのではないかと思います。

そもそもこの本を、突貫工事で翻訳することになった人のブログ
山形浩生の「経済のトリセツ」
↑日本で出版される運びになったら一番、渦中になる人ということで、すこしカオスな感じで
紹介されている。ピケティの本を実際は読んでいないのに、いろいろと発言したり、書こうとしたり
する人がいるらしく、そういう人たちについて「ちゃんと読んでから書いて!」というメッセージを
送っている。

放送局出身のエコノミスト
池田信夫 blog : 21世紀の資本論
ガチで経済学をやり込んだようなので、いろいろと専門的な突っ込んだ考察が書いてあると思います。

ピケティの本は世界的な論争を呼び起こしている。タレブの『ブラック・スワン』以来だろう。特にクルーグマンは、NYRBに長文の書評を寄せて絶賛している。ピケティの最大の強みは、15年かけて最近300年の各国の税務資料を収集し、富の分配とその内訳について包括的な統計をつくったことだ

NHKでの紹介
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_1017.html
なんといっても、マスコミの強みを活かして、ピケティ本人に対するインタビューに成功している。

「21世紀の資本論」で伝えたかったことは何ですか?

ピケティ教授:
欧米や日本などでは、暮らしは楽にならないのに、金持ちばかりがいい思いをしていると感じている人が増えています。多くの人が今の資本主義の姿に疑問を持つようになっているのです。 私は、誰のもとにお金が集まってきたのか、歴史をさかのぼって明らかにしたいと思ってきました。所得税制度が作られたのは、フランスなど欧州各国やアメリカでは1900年前後です。日本ではもう少し早く始まりましたね。相続や資産に関するデータについては、イギリスやフランスでは18世紀にまでさかのぼることができます。無味乾燥なデータが、実は、私たちの暮らしそのものを表しています。

この本の筆者が、自前で運営しているホームページには
この本に挿入されているグラフをつくるためのデータがexcelファイル形式で
アップされていて、だれでもアクセスができる。↓がそこへのリンクになっている。
Thomas Piketty - capital21cen

本文は およそ19万ワード。
注釈の部分は加算していない。
本の作りからして少し変わっているなと思いました。
普通、学術っぽい書籍は本文と脚注にわかれます。私が法学部に在籍しているときに購入した法学系の教科書なんかも
その典型でした。
本書もそのスタイルを踏襲しているのですが、その脚注の部分が2階建てになっている。
とある統計データを、本文に掲載する。
そのデータについて脚注でコメントをつける。
そのデータや図表を作るときにどういう計算方法を用いたのかといったことをさらにウェブサイトでアップしている「技術的補遺」(山形訳)。
本書の中で少ししか出てこないジニ係数なんかも、この「補遺」の中では、係数の考え方から具体的な計算方法まで丁寧に書かれている。
また、本書の中で大事なデータは、そもそもそういうデータを誰が、どうやって作ったのかとか。
それに関連する論文は何かとか、本文の脚注に掲載することすら躊躇するようなマニアックな事項をすべて「補遺」にまとめている。
だから、本書をガチで読もうと思ったら、本文を読んで、脚注に飛んで、さらに、「技術的補遺」にジャンプする必要がある。
ネットにつなぎやすい端末が近くにあったほうがいいと思う。
バルザックの「ゴリオ爺さん」という文学作品が頻繁に引用されるけど、本書では、随所に様々な映画や文学作品の引用や紹介が
テーマにそってなされます。その引用されている作品の概要をすこしネットで見るだけでも、面白い発見(「息抜き?」)が
あると思います。下記は訳者によるバルザックの紹介があります。

バルザック『ゴリオ爺さん』:さすが元祖大衆小説。おもしろい! - 山形浩生の「経済のトリセツ」

筆者のピケッティは、MITで教鞭をとっていたこともある、フランス人のエコノミスト
こつこつとフランスで、税務署に蓄積されたデータを丁寧に調べ上げることで本書のもとになる研究成果を生んだということで
やはり、この書籍の中でも、フランスについての所得分布の推移についての記述は、群を抜いて優れていると思います。
私が、学生だったときに、「フランス法」の講義をうけたことがあります。
単位をとれたかどうか、すこし自信がないのですが。そのとき、教授がいったことが印象的。
「フランスの民法が、革命後に生まれたというのは、「もうこれで争いは終わりだ」ということだったんですよ。」。
こういうことの意味は、もっと大人になって財産の重要性を思い知らないと、ピンと来ない。
フランス革命があってから、民法典の整備が進む。不動産まわりの法整備が進む。そして政府による課税のために
誰が、どの土地をもっているのかといったことや、誰と誰の間で不動産の取引があったのかといったことが200年以上にわたって
きっちり記録になって残っていた。所得税という制度も、フランスが先駆けて、採用したらしい。だから、個人が税務署に申告するときの
書類なんかも残っている。
税務署に残っている申告に関する資料を使って所得分布を時系列で推移を追えるようにするという方法論はクズネッツという経済学者が
先駆けてやったそうだ。クズネッツはどういう研究者だったのでしょうか?
wikipedia

クズネッツは計量経済学に大きな変革をもたらし、ケインジアンのマクロ経済理論の発展に大きく寄与した。
クズネッツは1930年に刊行された『Secular Movements in Production and Prices(生産と価格の趨勢)』の中で、アメリカ合衆国の経済時系列データに15年から20年の周期的変動があることを示した(現在、クズネッツ循環として知られている)。
1941年に刊行された『National Income and Its Composition(国民所得とその構成)』や1971年に刊行された『Economic Growth of Nations: Total Output and Production Struct(諸国民の経済成長:総生産高と産業構造)』など、経済成長に関する一連の著書は、クズネッツの業績を知る上で最も重要な作品である。これらの本の中でクズネッツは、経済成長に伴い所得格差が増加するのに対し、先進国では経済成長に伴い所得格差が減少することを示した。
クズネッツはこの他にも、世界各国の国民総生産やその構成要素の統計学的な分析を通じて、長期波動や産業構造の変化法則、平均貯蓄性向の長期的安定性、所得分配の平等度に関する逆U字型変動(逆U字仮説)など、多くの規則性を発見した。
これらの「経済および社会の成長に関する構造および過程を深く洞察するための経済成長に関する理論を実証的手法を用いて構築した功績」が称えられ、1971年にクズネッツはアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞を受賞した。

という人でした。
ただ、筆者(ピケッティ)にとって残念だったのは、この方法論が「アメリカだけ」「期間が短い」
という問題を抱えていたということ。
アメリカ合衆国は、建国当初から、その発展期、そして現在と、国情を比較したとき、人口増加が激しすぎるなど、他の国と
発展のパターンが違いすぎる面がある。
クズネッツが統計をとった期間だけをみると、たしかに、資産や所得の格差は減少していたそうな。クズネッツはここから
現代資本主義は、勃興機は資産格差を拡大させるけど、だんだんその格差を減少させる傾向があるという結論を出す。
それはそのまま政府の経済政策に対する方向付けを与えてしまう。
ピケッティは、クズネッツがとった統計の期間の「前」と「後ろ」を詳細に、共同研究の手法で作り上げた。
そして、その「前」と「後ろ」では、資産格差が拡大している場合のほうが常態なんだということを明らかにした。

こういった統計学をフル活用する地味な実証研究の成果を延々とpart3まで書き上げて、part4になって
今までに明らかにした事実から、実践的な結論、提案を出します。

資産課税を、世界の税務当局が協力しながら行うということ。
世界のどこで、誰が(どの銀行が)、どれだけの資産をもっているのか。
この情報を、世界中の政府は共有しろと。

そうしないと、実効的な徴税が出来なくなっているのだと。
この徴税が出来なくなると、「社会国家」の運営に必要な財源の確保が出来なくなるのだと。

英米流の経済学もガチで取り込んだ筆者は、自分の祖国が生み出した人文科学の成果もおおいに活用して
優れた研究書を世に送り出そうと努力しました。
ピケッティいわく、自分が世に送り出す書物は、「歴史学」の書物としても評価して欲しいとのこと。では
フランスの歴史学の流れとはどういうものなのかというと。これもwikipediaからはりつけしますが。
wikipediaから。

フェーヴルの歴史学の特色[編集]
文献史料主義への批判:
ランケにより確立された、政治史・外交史を文献に基づき厳密に再現する歴史学(「歴史は文献で作られる」)を無味蒙昧な方法(「生命を欠いたオウム返しの歴史」)と批判。統計学、地理学、経済学等を取り入れた社会学的手法を取り入れ、文献史料の意義を問い直し、「生きた歴史学」を主張した。また、古文書等の文献史料のみならず、詩・絵画・戯曲・考古学的史料なども、広義において史料と位置づけられることを強調した。
学際性の提唱:
農業史、技術史、出版史などのテーマ史において、周辺領域の学問との連携が必要であると主張した。経済史においては政治史のみならず、貨幣価値の変遷を重視し、統計学的手法を取り入れた。上記のように絵画・文学を史料として用いる場合は芸術学・心理学・文学の手法を用いるなど、テーマに応じ他の学問の手法を柔軟に援用し、対象となる時代の「心性」を包括的に位置づけるよう主張した。
テーマ史・問題史の提唱:
自己の問題意識から出発し、様々な史料から得られた仮説を組み立てつつ、対象のテーマを掘り下げて再構成する、テーマ史または問題史を提唱した。この姿勢は19世紀のランケが、ドイツ統一ナショナリズムの気運の影響下で政治史・外交史・戦争史的側面の強い研究を行っていたのと対照的である。フェーヴルは、2つの大戦を経て、人間の心性の進化や歴史でのその描かれ方に強い疑念を抱いていた。そのため、歴史を「人間を対象とする学問」と定義づけ、歴史家の役割を問題提起を行うことであると規定した。

たしかに、本書の構成の根本を規定するようなことが書かれているような気がします。

下記には、本書の全体の概要を書きました。
本書はとても長い書物なので筆者もそれを意識して随所に、コンパクトに全体像が見渡せるようなまとめが付記しています。
本エントリの筆者もそれを利用させてもらいます。

part1 資本と所得
chapter1
国民所得 資本 資本を所得で割った値 について定義する。
所得と、産出が世界レベルでどういう推移をとったかを示す。

chapter2
産業革命以来の人口増加率と産出の推移をみる。

part2 資本を所得で割った値の変化
chapter3
資本を構成する要素が変化していくことを確認する。18世紀からの変化。
サンプルはイギリスとフランス。 なぜなら資料が豊富にあったから。
ピケッティは言うには、寓話である文学作品だって、当時の時代背景をとても克明に記していることがあるのだということです。
こういう経済学的な興味をきっかけに英語やフランス語の「多読」をするのもいいかもしれません。

かの有名な「レミズ」 私がニューヨークで唯一みたことのあるミュージカル

1815年10月のある日、76歳のディーニュのミリエル司教の司教館を、46歳のひとりの男が訪れる。男の名はジャン・ヴァルジャン。貧困に耐え切れず、たった1本のパンを盗んだ罪でトゥーロンの徒刑場で19年も服役していた。行く先々で冷遇された彼を、司教は暖かく迎え入れる。しかし、その夜、大切にしていた銀の食器をヴァルジャンに盗まれてしまう。翌朝、彼を捕らえた憲兵に対して司教は「食器は私が与えたもの」だと告げて彼を放免させたうえに、2本の銀の燭台をも彼に差し出す。それまで人間不信と憎悪の塊であったヴァルジャンの魂は司教の信念に打ち砕かれる。迷いあぐねているうちに、サヴォワの少年プティ・ジェルヴェ(Petit-Gervais)の持っていた銀貨40スー[1]を結果的に奪ってしまったことを司教に懺悔し、正直な人間として生きていくことを誓う。

オリヴァー・ツイスト
主人公。養育院で生まれ、すぐに母親が死亡。純粋な心を持った孤児。常に感謝の心を忘れることなく生きる。9歳のころ移された救貧院を抜け出しロンドンへ逃亡するが、フェイギン率いる窃盗団に捕まる。その後、紆余曲折を経て紳士のブラウンロー氏の元で幸せな生活を送る。その出生には大きな秘密があった。

chapter4
chapter3で行った分析をアメリカとドイツに対して行う。
映画「タイタニック」とか登場させてしまうところが、憎い。

chapter5 chapter6
これまでに行った分析の対象範囲を全世界に広げる。そして、資本を所得で割った値が、今後どのように
推移するかの予測をする。さらに、所得の中で、労働によって得られる所得と、資本からの収益で得られる所得の
割合の変化の推移もみる。

part3 不平等の構造
chapter7
労働からの所得が、どのように分布しているか示す。
資本から得られる所得がどのように分布しているかを示す。

chapter8
労働からの所得と、資本から得られる所得を合算した所得がどのように分布しているかを示す。

バルザックの描く世界と対極にある、資産形成に対する価値判断。
勤勉さ、優秀さに基づいて、経済的な勝者と敗者が決定されるべきという世界観が、放映されているドラマにも反映されているのではないのかということ。

診断医としての評価は高いが一匹狼で捻くれ者のハウスとそのチームが、他の医師が解明出来なかった病の原因をそれぞれ専門分野の能力や個性を生かして突き止めていく姿を描く医療ドラマ。

chapter9 chapter10
筆者がデータベースをもっている範囲で、chapter7 chapter8で行った分析の対象範囲を他の国にも拡大して
分布表を作る。

chapter11
先代から相続する遺産と評価される財産が、歴史的にどのようにその重要性を変化させたのかをみる。
(旧世界のヨーロッパは、開発され尽くしているので、成長がみこめない。すると先代からの蓄積をもっている人が
財産の多寡で優位になる。草創期のアメリカは、そもそもみんな移民なので蓄積された財産をもっていない。というような要素を
勘案する。)
意外(?)にもタランティーノの映画も登場

wikipedia

The story is set in early winter and then spring, during the antebellum era of the Deep South with preliminary scenes taking place in Old West Texas. The film follows an African-American slave, Django (Foxx), and an English-speaking, German bounty hunter posing as a traveling dentist (Waltz), named Dr. Schultz. In exchange for helping Schultz collect a large bounty on three outlaws (hiding-in-plain-sight in the south, working in the slave trade) that he has never seen – but Django has, while being trafficked – Schultz buys and then promises to free Django after they catch the outlaws the following spring. Schultz subsequently promises to teach Django bounty hunting, and split the bounties with him, if Django assists him in hunting down other outlaws throughout the winter. Django agrees – on the condition that they also locate and free his long-lost wife (Washington) from her cruel plantation owner (DiCaprio).

chapter12
21世紀の前半において、全世界的な規模では富がどのように分布することになるのかを予測する。

part4 21世紀の資本を統制する方法

chapter13
社会保障制度を充実させている「社会国家」という国家の運営スタイルを財源の観点から考察する。

chapter14
累進課税としての所得税がどういう成り立ちをもっているかを解説する。過去の歴史から現在の徴税の問題まで概観。
マルサの女

chapter15
資本に対する累進課税を、21世紀にどのように実現するかについての構想。
欧州における資産課税の例。中国において実施されている資本の統制のシステム、アメリカにおける移民法制などに
ついての考察が加わる。

chapter16
国家が債務者になる借金 public debtについての考察。

結論部分 941P以降
1) 18世紀から、(主に欧州を対象として)、財産の分布と、所得の分布がどのように
推移してきたのかを、概観した。その推移の考察の結果、(21世紀の経済政策の構築のために、)どのような教訓が引き出されるのかを、精査した。

2) 本書で網羅したデータは、もちろん完璧ではないので、今後も批判・検討にさらされるべきだ。政治的な対立がありえたり、民主制の根本に関わったり、公に関わる議論をすることの重要性がこれから、すたれることには反対。社会科学の研究は、その研究結果が数学的な合理性に沿っているかどうかに腐心するだけなのにも反対。

3)私有財産制度が保障されているもとで、自由市場のルールで競争する社会には、
その社会の構成員の資産の格差を縮小させる要因(主に教育の普及)と、拡大させる要因の
双方がある。(格差の拡大を長い間放置すると、社会正義とは何かについての合意が、その社会の構成員の間で得ることが出来なくなってきて、その社会の民主制に基づく運営が出来なくなってくる。)

4)(社会構成員同士または、国家と国家の間の)資産の格差がなぜ、長期的には拡大していくのか。その根本的な理由は、資産運用(Capitalによる所得)による収入のほうが、勤労(国民所得)による収入よりも、成長率という点で、歴史的な事実として、常に上だったことによる。
5)とある事業家が成功して財産をつくったとする。その人はその財産を証券会社に任せて、
お金が働くことによる収入だけで生きる人になっていく。そういう人の収入は、自分の労働力しか、収入を手に入れることが出来ない人よりも、多くなっていって、結局、資産格差がどんどん大きくなるということ。
6)資本の成長率(r)と、所得の成長率(g)にギャップがあることによる資産格差拡大の効果は、長期的にみて、大きな影響を及ぼす。
7)資本の成長スピードと、所得の成長スピードに差があることが問題なら、そのギャップがなくなれば問題は解決するが、ことはそう単純ではない。そもそも、所得の成長スピードを、資本の成長スピードにまで引き上げるということは、戦後の復興期にある欧州とか、現代のアジア諸国(中国)の急成長みたいな特殊な期間、地域しか実現されない。
8)資本の成長スピードが、所得の成長スピードを上回るという傾向は、19世紀や、20世紀の初頭のように、我々が生きている21世紀初頭の資産や所得の分布の推移の方向を規定するだろう。資産格差の縮小は、歴史的にみて、第2次大戦のような大きな変動によってのみ実現された特殊なこと。